第22話 フェティッシュ

 湯沢のプレーは「異質」だった。

 強引に攻めたと思いきや、時折、気の抜けたようなトリックプレーを繰り出してくる。

 最初はふざけているのか、と呆れていたが、やがて絶妙なタイミングで繰り出すようになっていた。


「まるで考えが読まれてるみたいだ。」

 雪永が呟いた。


「うわっ。」

 彰は思わず声を上げた。ドロップを打つつもりが、中途半端な高さになった。湯沢が難なく叩き、ボーナスポイントをものにする。

「躊躇ったな、司馬ちゃん。」

 金本が額に手を当てて首を横に振った。


 うー、と唸った彰を見て、湯沢がネット際に寄ってきた。

「君さあ。」

 突然、湯沢が頭を掻きながら彰に声を掛けてきた。彰はぎょっとした。

「そんな顔しないでよ。」

 彰はぞくりと震えた。慰めるような口調だったが、湯沢の顔はいびつに笑っていた。

 

 それからも、試合中、何度も湯沢は笑った。得点を決めたわけでも、特に良いショットを打ったわけでもない。クリアを打った後、本当に突然に笑うのだ。彰は異様なものを感じて寒気を覚えた。


「確かに上手いけど、彰だって負けてないはずなのに。」

「うーん。司馬ちゃんも単調になってるかな。」 

 金本達からは湯沢の表情は見えない。手こずる彰にもどかしさを感じていた。


 彰は湯沢の表情を見ないようにした。湯沢は、時々立ち止まって、彰をじっと見つめている。プレーに集中できなかった。相手の作戦?いや、違う。


 何かを楽しんでいるのだ。

 人には理解できない、何かを。

 その正体が分からず、不気味で、彰は嫌悪感を感じていた。



 久しぶりに気分が良かった。

 こんな気持ちは久しい。

 

 自分の中にある欲求。

 それをうっすらと自覚したのは、小学生の時だった。

 

 親に連れられ、参加したバドミントン教室。周囲の子供達は全くシャトルに当てられない中、自分は簡単に当てることができた。

 やがて相手のコートに山なりで返すことができるようになり、ドライブに近いこともできるようになった。

 大人たちは驚き、親は歓声を上げた。

 しかし、全く気分は良くなかった。

こんな小さいコートで、ボールでもない羽根を飛ばし合うだけ。

 スケールの小さいスポーツ。そう感じた。そんなものに才能があっても嬉しいわけがない。


 気怠い気持ちで、ぼんやりと他の人間のプレーを眺めている時、ある試合が目に留まった。

 青年二人によるシングルスマッチだった。

 実力が拮抗している二人のように見えたが、一方が巧みに相手を揺さぶり、相手を手玉にとっていく様子が見えた。相手は混乱し、自滅し、やがて心まで折られていった。

 その試合に自分は魅入った。何かは分からないが、心が躍った。

 すぐに入会を決めた。親はその日の内に手続きしてくれた。


 ある日の練習のこと、遊び感覚で、初めてシングルスマッチを行った。相手はチームメイトで、湯沢が好意を寄せていた女の子だった。黒髪で肌の白い、丸っこい顔の子だった。

 一つ下で、自分よりもキャリアが短い。対等に戦える相手ではなかった。あくまでお遊びだった。にも関わらず、湯沢は相手を徹底的に打ちのめした。

 周りからは非難された。コーチからも怒られた。自分が何故そうしたのか、初めて自覚した。

 

 自分の好きな女の子の顔が悲しく歪んでいく様。目に涙を浮かべながら健気に追いかけ、打ちのめされる様。美しく、満たされた。

 

 自分でもおかしいと思う。しかし、自覚してしまったのだ。



 湯沢は彰との試合中、そのことを思い出していた。

 ディティールに差をもたらすもの、それは高度な心理戦だ。相手の心理を読み、その上を行き、支配する。

 ゾクリと背中が震えた。ああ、この感覚。止められない理由だ。


 バドミントンは所詮スポーツだ。自分は高校を卒業したら就職する。社会人チームに入るつもりはない。せいぜい趣味程度で、地域のクラブに参加するくらいだろう。湯沢はそう割り切っている。

だが、バドミントンが単純なものとは思っていないし、辞めるつもりは毛頭ない。


 相手を支配する感覚、これは何物にも代えがたいものだった。相手の困惑した顔。何もかもが上手くいかなくなり、沈んでいく顔。そんな災厄をもたらしたのは自分だと考えるとたまらなかった。

 そのためにバドミントンを続けている自分は、よほどの変わり者だろう。


 さらに言えば、目の前の少年は、苦痛の面影があるのだ。あの女の子のように。


「こんな不快な奴は初めてだ。」

 彰は言いようのない嫌悪感を感じていた。爬虫類の長い舌で身体を一舐めされたような生理的な嫌悪感だ。


 また湯沢が笑っている。

「うう。何だよ、こいつ。」

 彰は思わず下を向いた。


「彰のやつ、どうしたんだよ。」

「集中!上向け。」

 チームメイト達が心配の声を上げるが、彰には届かない。


 集中できない。ダメだ。

 彰は首を横に振る。上手くいってないときの癖だ。

 もう一度心を奮い立たせる。しかし、湯沢と向き合うと、不快感がこみ上げてきた。

 サーブの構えをしたが、手を下してしまった。


「本当にどうしたんだ。司馬ちゃん。怪我したのか?」

 金本も心配していた。思わず立ち上がって、コートに向かおうとしていた。


 その時だった。


「あきらー!何してんだー!」

 体育館にバカでかい声が響いた。

 彰だけではなく、他のコートまで試合が止まる。


「侑司?」

 彰はびっくりして周囲をキョロキョロと見渡した。一つ挟んだコートで、試合を終えた侑司がいた。

 21対10。

 3回戦を先に突破していた。


「何してんだ!メンタル弱男!」

 怒りながら叫ぶ侑司を審判が諫めた。

「あのバカ!」

 彰の顔が沸騰するように赤くなった。その表情を見て、湯沢はゾクゾクと震えた。

 怒りに満ちた最高の表情だ。堕ちる様を見てみたい。

 これから訪れる愉悦に震えていた。


 パン。


 彰のスマッシュだった。

 強烈なスマッシュが湯沢のラケットを弾いた。それまでと全く違う弾道に、驚きを隠せなかった。


 彰の顔は、赤く膨れ上がっていた。

 湯沢がどんな揺さぶりをかけても、全く動じなくなった。



「見てろよ、侑司め。」

 彰の呟きが聞こえた。

 自分のことなど、全く見ていない。

 

 何だこいつは。

 

 何だあいつは。


 想定外の追い上げを受け、湯沢は焦りを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る