第19話 何で分からないんだ
「ご飯食べてる?」
「食ってるよ。メシ出るし。」
「そう。良いわね。」
「親父は?」
「お父さん?相変わらずよ。」
「そう。」
「でも、私もう帰らないから。」
「そうか。いいんじゃない?」
「じゃあ、頑張ってね。」
「ああ。そっちも。」
そう返した時、電話の相手は急に泣き出した。
「何よ。あんたなんか。お父さんと一緒よ。」
怒りと呆れ、悲しみで震えた声。どうやら自分は彼女の何かに触れたらしい。
「何でそんな言葉言えるのよ。あんたは、何で・・・。」
それが最後に交わした言葉になった。
また一人か。
私立伊勢橋高校バドミントン部は、県内屈指の名門だ。全国大会の常連で、過去にはオリンピック日本代表まで輩出したこともある。
しかし、ここ数年の成績は冴えず、全国を逃すことも少なくない。昨年に至っては、もう一つの名門、武蔵工業高校にシングルス、ダブルス、団体の3冠を許してしまった。
県大会を目前にして、伊勢橋高校の練習は日毎に熱を増すばかりだった。
全ては、昨年の汚名を雪ぐために。
シャトルが飛び交う音の中、パアン、と一際強烈な音が弾ける。
「おー!ユウジ、凄いよ、どしたの?今日は。」
コーチの一人、王が手を叩いて感嘆の声を上げた。体育館中の視線が侑司に集まる。
この日、侑司はシングルスで3年の先輩を圧倒していた。
「くそっ・・・!」
1年坊相手に全く手も足も出なかった先輩は、吐き捨てるようにコートを去った。侑司とは視線も交わさなかった。
「いやー!今日は絶好調や。」
手を叩きながら、王は喜ぶ。50歳くらいの中年で、単身痩躯、7・3分けといった、全くスポーツと無縁そうな風貌だが、これでも祖国・中国で強化選手にまでなった経歴を持つ。
「ああ、調子いいよ、王さん。」
侑司は素っ気なく言った。そして、汗を拭うとすぐにまた練習に戻った。
「おんや・・・?」
「篠宮はどうだ?」
呆気に取られていた王に話しかけてきたのは監督だった。
「今日は良かったように見えたが。」
「良かったどころか抜群よ。一年の時のコニシみたいね。」
小西というのは、現在の伊勢橋のキャプテンで、シングルスのエースでもある3年生だ。
「正直で、公平な君が言うならそうかもしれんな。」
監督は嬉しそうに笑った。
「とはいえ、監督、期待しすぎちゃバツね。まだ一年。今年はチームとして勝つよ。」
「分かっているよ。」
「侑司一人に入れ込みすぎ。」
そう言った王の指摘も無理もない。次の県大会、侑司をシングルスのレギュラーに抜擢したのは監督だ。他の有力な3年生より現在の実力が明らかに劣っているにも関わらず、だ。
この決定に対してチームメイト達、特に3年生は憤った。小西キャプテンを中心に監督に不満を示す者達が独自の自主練メニューをこなすようになったり、中には練習に来なくなった者もいた。
数日経ち、喧騒は落ち着いたが、チームマネジメントは監督とキャプテンで2極化しており、王は調整役として苦労していた。
もちろん、王も納得してはいない。
監督の決定は不公平で、努力の大切さや実力主義を否定し、何よりスポーツマンシップに反する。
と思う一方、マネジメント側として、決定を否定し切れなかった。
今年のメンバーでは、ハッキリ言って武蔵工業には勝てない。
去年の惨敗から積み上げもなく、一年間の間にあった練習試合や大会では武蔵工業にことごとく敗れた。
選手達を大切にしている王の目から見ても、今のレギュラー達と武蔵工業の実力差は明らかだった。
どうせ今年は勝てないのであれば、1年後、あるいは2年後を見据えて、侑司を成長させるためにレギュラーに抜擢する。それが監督の思惑だった。
非情とも取れる決断、普通ならば納得できなかっただろう。問題は、それが侑司だったからだ。
実際、今日も、王は侑司を褒めながらも内心戦慄していた。
さっきのシングルスの相手は3年生の準レギュラークラス。調子も悪くなく、団体であればメンバー入りしてもおかしくなかった。
それを内容でもスコアでも圧倒してしまった。
たった2か月前、侑司が入部してきた時は、手も足も出なかったというのに。
指導者であれば、この才能に惚れこむなという方が無理だ。
(それは分かるけどねぇ。)
王はチラリと侑司の方を見た。
侑司は一人で座って水分補給をしていた。部員達は侑司から少し距離を置いたところに集まり、休憩を取っている。
選手を大成させるために、人間関係というのはいつも頭の痛い問題だ。
まだ表立って問題は起きていないが、侑司と他の部員との間には緊張が走っている状態だ。
大きな問題になる前に、何とかしないといけない。王は頭を捻っていた。
「篠宮。ちょっといいか?」
その日の練習後、同学年の桐谷が侑司に声を掛けてきた。クラスも違うし、普段あまり話さない。何の用なのか。
「どうした?桐谷。」
「篠宮、気を付けろよ。」
桐谷は怪訝な表情で言った。
「何が?」
「先輩達だよ。怒ってるぞ。」
自分がレギュラーに選ばれたことに対してだと思った。しかし、どうやらそれだけではないようだ。
「お前、今日シングルスで椎名先輩に勝った時、喜んでたろ。」
「そりゃ、やっと勝てたからな。ずっと椎名先輩に負けてたし。」
「ああいうのが、先輩達の癪に障るんだよ。」
侑司には、桐谷の言うことが分からなかった。
「何でだよ。椎名先輩なんて、俺に勝つたびヘラヘラして「まだまだ」とか言ってくるんだぞ。」
「先輩と、お前みたいな新人じゃ受け取られ方が違うんだよ。」
「ふん、そうかよ。気を付けるわ。」
不機嫌そうに言う侑司に対し、桐谷は続けた。
「不貞腐れんなよ。」
「じゃあ、辞退したらいいのかよ。」
侑司は面倒そうに言った。
「そんなこと言ってねえだろ。」
ムキになる桐谷に対し、はあ、と侑司は気の抜けた返事をした。
「どうしろってんだよ。」
「お前の態度を改めろってことだよ。」
「態度?」
侑司はきょとんとした。桐谷は侑司を睨みつけていた。
「お前が実力でレギュラー取ったことは誰も文句言わねえ。でも、夏に賭けてた先輩達もいたんだ。そのことを弁えて、先輩達に敬意を持って接しろって言ってんだよ。分からねえのか。」
「してるよ。」
「上辺だけだろ。」
「どうしろって言うんだ。」
侑司は苛立ちながら言った。先輩には敬語で接している。雑用だってやっている。偉そうな態度など取っていないはずだ。
「点取って嬉しそうにはしゃぐな。」
「自然と出るんだよ。試合を楽しめって習っただろ。それの何が悪いんだ?」
「お前、クソだな。」
桐谷は呆れたように侑司に吐き捨てた。そして、イラついたように石を蹴りながら足早に去っていった。
最後に一言を残して。
それを言われた時、侑司は諦めた。
中学2年の時もそうだった。
サッカー部でエースだった侑司は、大会のメンバーから外された。
納得が行かず、監督やチームメイト達に詰め寄った際、かえってきた言葉は、桐谷の最後の言葉そのものだった。
小学生のとき、告白してきた女の子を振った時も、侑司からしたらただ断っただけなのに、相手は酷く泣いてしまった。
子供の頃、親父に叱られた時もいつも言われた。
姉ちゃんが出ていったときに言った言葉も。
皆同じだった。
「何で分からないんだ。」
侑司は、はあ、とため息をついて座り込んだ。
いつもそうだ。みんな怒る。本気で離れていく。
だが、俺には分からない。
いつだって俺は。
「あいつも離れていくのかなぁ。」
一人だ。
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