スカイドライブ

佐藤要

第1話 彰と侑司



 午後6時。まだ陽が落ちる前に練習が終わる。


 私立四津川高校バドミントン部の練習は極めてホワイトだ。

 

 男女合わせて30人程度の部員が一斉に片付け始める。床のモップ掛け、ポールとシャトルの片付けは一年生の仕事だ。5人が横一列になり、小走りでモップを掛ける。それが終われば顧問から締めの挨拶があって解散となる。

 

 練習が終わると部員達は順番にシャワーを浴びる。三年生が先で、一年生は最後だ。正直、あまり上下関係は厳しくない。

 ひとえに、弱小だからだ。


 着替え終わって学校を出るのは6時半。五月だが、外は暗い。

 一年生の一人が足早に自転車置き場へと向かう。高校生にしては小柄で、顔も幼さを感じさせる。



 司馬彰 15歳。154cm、52kg。

 私立四津川高校1年生。



 その少年、彰にとって、これからが本番だ。

 学校から飛び出し、駅とは反対側に自転車を漕ぐ。道中、クラスメイト達とすれ違った。

「おーい。あきらー。どこ行くんだ?」

 その内の一人が声を掛けてきた。彰は自転車のスピードを少し落として答える。

「これから練習なんだ。」

 クラスメイト達はポカンと顔を見合わせる。

「あいつ、部活してたよなぁ?」

「うん。確かバド部。」

「体育館6時までじゃん。」

「つーか、学校出てったよ。」

 クラスメイト達は首を傾げた。


 自転車を飛ばして彰がやってきた場所は近くの小学校の体育館だった。

 彰は地域のバドミントンクラブチーム「よつばど」に所属しており、週2回行われる練習には必ず参加している。

 地域のチームなので高校と違い、色々な人間がいる。老若男女、キャリアもそれぞれだ。

 


 体育館に入り、先に来ていた人達に挨拶する。

 練習後なので軽く柔軟をし、すぐにラケットを出した。


「お、重役出勤だな。」

 恰幅のいい中年の男が声をかけてきた。団体の代表を務める近藤だった。45歳、165cm、78kgというスペックは、おおよそスポーツ選手らしくない。

「無理言わないでくださいよ。ダルさん。」

「俺はもう一仕事終えたぞ。ビールの前座だ。」

 汗だくになりながら、ガハハ、と近藤は豪快に笑った。

ここのメンバーは近藤のことを「ダルさん」と呼ぶ。

ダルマみたいな体型で、若手の頃から「ダル」と言われていた名残だ。本人がそう呼べ、というので言っているだけで、みな悪意はない。


 パシン。


 ふいに乾いた音が響き渡った。彰は即座に音が鳴った方向に目を向けた。

 スマッシュの音だった。

 打ったのは、ここでは見たことのない男だった。背が高く、筋肉質な身体をしている。


「かーっ。いい音させるなぁ。」

 ダルさんが指を鳴らして感心した。

「新しく入った人ですか?」

「ああ。ジングウさんの紹介でな。高校一年。お前とタメだぞ。」

 彰は驚いた。自分とは全く体つきが違う。

 

 さっきのスマッシュでも分かるように、とにかく弾速が早い。そして、それ以上に目を引くのはフットワークの軽さだ。どこに打っても拾うし、当て感もよい。

「うまいですね。それにサウスポーだし、やりづらそう。」

「伊勢橋の子だからな。」

 私立伊勢橋高校。県内でも有数の強豪校だ。

「道理でうまいわけだ。」

「どこがだ。アホウ。」

 突然、彰の眼前に一人の老人が現れた。細くて小さい。皺くちゃの顔で覗き込んでいる。

「うわあ、ジングウさん。びっくりさせないでくださいよ!」

「力任せで頭も悪い。小技なんか見れたもんじゃねえ。高校レベルでも序二段以下だろが。」

 相変わらずの口の悪さに彰は苦笑いした。だが、これは彼なりの期待の表れなのだ。

「でも、ジングウさんが連れてきたんでしょ?」

「今日だけな。伊勢橋の練習が休みだったからってな。ふん、実力は半人前だが、やる気だけは一人前だな。」

 やっぱり、気に入ったんだな、と彰はとダルさんは笑いあった。



 篠宮侑司 15歳。178cm、65kg。

 私立伊勢橋高校1年生。



「おーい。篠宮君。」

 ダルさんが彼を呼んだ。練習相手にお礼を告げ、こっちに小走りで来る。

 背が高く、顔が小さい。少しくせ毛で、切れ長の目をした端正な顔立ちをしている。

「こいつは司馬彰。君と同学年だ。背ちっせえけど、上手いぞ。」

 ダルさんが笑いながら彰を紹介した。

「そうなんだ、俺、篠宮侑司。よろしく。」

 侑司がニコリと笑いながら会釈をした。彰も同じように返す。


「高校どこ?」

「四津川。」

「強いの?四津川って。」

「団体も個人も、3年連続1回戦負け。」

「えぇ?弱いじゃん!」

 侑司はケラケラと笑った。率直に失礼な奴だな、と彰は思ったが、事実だから言い返せない。


 伊勢橋高校のバドミントン部は厳しい。

 県内、県外問わず、有力な選手に声をかけ、長いスパンでスカウトの審査を行う。実際にスポーツ特待生として入部できるのは一握りで、中途半端な実力では入部すらできないと聞く。

 伊勢橋高校にいる、というだけで水準以上の実力があることが伺えた。

「ちょっと打たない?」

 侑司がラケットを振りながら言った。彰は応じる。侑司は笑った。屈託のない笑顔だった。

 

「シングルスやろうよ。1セットだけ、21点先取で。」

 軽い基礎打ちの後、侑司が言った。

「いいよ。」

「この後、終わるまで多分試合形式でしょ。そうなったらダブルスじゃん。俺、本職シングルスだからね。」

 侑司が言った。

「俺もだよ。」

 淡々と彰は答えた。侑司はおお、と声を上げて驚いていた。


 二人が向き合う。サーブは彰からだ。

 構えは、わざとらしい見え見えのアンダーハンドサーブ。パンと音がして、シャトルが高くふわっと浮いた。


 試してやがる。スマッシュを打ってこいってことかよ。

 侑司はニヤリと笑った。


「じゃあ、遠慮なく!」

 侑司は思いっきり身体をひねり、打ちかました。

 パシン、という破裂音と共に強烈な速さでシャトルが駆けていく。

 コースはあえて、真ん中に陣取った彰の正面。「こっちも試してやるよ。」という意思の表れだった。


(取ってみろ!三流高校のチビ!)


 パンという音と共に、シャトルが返ってきたのは、侑司の右前、ネット際。

「うおっ!」

 侑司は慌ててロブを上げる。彰はクリアと見せかけて、同じコースにドロップを落とす。

 同じように拾った侑司の右奥深くに早い弾道でクリアを打つ。慌てた侑司のバッククリアは中途半端な距離になった。

 彰が浅い位置からスマッシュを決めるのに問題はなかった。


 簡単に一点目を取った彰に対し、侑司の目つきが変わった。

 嬉しそうに笑ったかと思うと、今後は厳しい位置に打ち込んでくるようになった。

 強烈なショットと、抜群のフットワークを誇る侑司に対し、彰は確実なレシーブと、強弱とコースの打ち分けで揺さぶった。

 試合はほぼ互角だったが、最後に侑司がミスを繰り返し、21対18で彰が勝利した。

 最後の瞬間、侑司は大きな声で「クソォ!」と叫んだ。


「何だよ!強えじゃん!」


 侑司は少し悔しそうに、でも満面の笑みで言った。

「ラッキーだったよ。」

「いや、俺が下手だったな!最後ミスばっかだったし。」

 彰は試合中に侑司の弱点に気づいていた。

 バックハンドとネット際。特に早い弾道のシャトルを打ち返すときのバックハンドは苦手だった。

「最初、舐めてて悪かったよ。」

 侑司は彰に頭を下げた。彰はきょとんと眼を瞬かせた。

「いや、一回戦負けって言ってたじゃん。だから三流高校だな、って。」

 正直な奴だ。いちいち言わなくて良いのに。彰はおかしくなって笑った。

 表情の硬かった彰の笑う顔を見て、侑司もへへ、と笑った。

「次は負けねえぞ。彰!」


「おー。彰が勝ったぞ。」

 ダルさんが感心して言った。ジングウはふん、と吐き捨てた。

「当たり前だろ。俺が鍛えてやってんだ。」

「将来、どっちが強くなるかねぇ?」

「ふん。」

 ダルさんの問いかけにジングウは眉を顰めた。


「じゃれ合ってる内はどっちも知れてらあ。」

 ジングウはそういいながらも嬉しそうだった。


 彰と侑司、何でもないはずの出会いが、二人の運命を変えることになるとは、今はまだお互い知る由もなかった。

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