割れた花瓶に花束を

@himagari

割れた花瓶に花束を

廃れた街の隅。その一角にある裏路地から続く一軒の店。骨組みに幕を張っただけの簡素な店からは絶えず枯れ腐った柑橘類のような匂いが漂ってきている。


「おやおや、こちらへどうぞ」


店先に立っていた男が俺を見るなり手招きをして店の奥へと誘ってきた。この店の客でないものはこんなところまで来はしないのだからここまで来たものは皆この男にこうして迎えられているのだろう。


当然私もこの店に用があってきたのだから何も聞かず入れてくれるというのなら都合がいい。言われるがままに店の奥へと入れば先程とは比べ物にならない刺激臭が鼻をついた。


「本日はどのような奴隷をお探しで?」


男の言葉を聞いて視線を横に向ければ檻の中に入れられた老若男女が目に入る。この店は奴隷を専門に取り扱う店なのだから当然のことだが。人を売り買いするなど全くろくな店じゃない。だから買いに来た俺もろくな人間じゃない。


「先の戦争で腕をやられてな」


そう言ってマントで隠していた手首ほどから先がない右腕を見せると男は二度深く頷いた。


「身の回りの世話ができるものを買いに来た。性別は問わんが若いほうがいい」

「ふーむ、そうなりますと当てはまるものは一人ですね」


男は俺の要望に対しそう考える素振りも見せず答えてみせた。商品の管理は行き届いているということだろう。


「ではそいつを買おう。連れてきてくれ」

「畏まりました」


裏へと引っ込んだ男は数分と待たせず鎖を引きずりながら帰ってきた。「お待たせいたしました」と言いながら部屋に入った男が鎖を強く引き、地を這っていた鎖が伸びてその先に繋がっていたものを引き寄せる。


「ぅ」

「…………女か?」

「そうでございます」


鎖の先は首輪につながっており、その首輪に囚われた奴隷が部屋に入ってきた。伸びた髪の隙間からは死んだ目以外に顔が見えないが、体の膨らみ方とうめき声から男だという気はしなかった。


「今は少し痩せておりますが身の回りのお世話をするくらいでしたら可能でしょう。一応言葉も話せますし物分りも良い方ですのでお値段は少し高くなってしまいますが、いかがなされますか?」


確かに男の言うとおり痩せ過ぎだが死にかけてはいない。飯をでも食わせてしばらく働かせておけば気にならなくなるだろう。


「幾らだ?」

「金貨四十枚でございます」



☆☆☆



「ここだ」

「……」


趣味でもない首輪を引いてあの店からの道を鎖を引きずりながら帰ってきた家を名前も知らいない奴隷に紹介した。奴隷商人は話せると言っていたがこいつはここに来るまで一言も喋っていない。俺も喋りかけてはいないが。


「入るぞ」


返事をすることはなかったが鎖を引けばついてくるので気にしなかった。話しかけてこないことも返事をしないこともどうでも良かったがこの饐えた匂いだけは我慢できない。まずは風呂に入れなければ。


「風呂の入り方はわかるか?」


浴室まで歩いて脱衣所で問いかけると奴隷は俯いたまま小さく首を振った。

やはり言葉は喋らないか。


「とりあえず服を脱げ。……鎖も首輪も邪魔か」


脱げと言われて服を脱ぎ始めた奴隷だが貫頭衣であるため首輪とそれに繋がった鎖のせいでもたもたとしている。別に短気では無いので待ってもいいが毎日風呂に入るたびこんなに手間がかかるのは馬鹿らしい。どうせ必要はないと思っていたので奴隷商人に貰った鍵を使って奴隷の首輪を外した。


「………ぁ」

「なんだ?邪魔になるだろう?」


首輪を外すと奴隷が髪の奥に隠れた目を見開いて初めて声を漏らしたため、何か問題があったかと声をかけるが返事は返ってこなかった。


「………早く入れ」


首輪を見つめたまま動かない奴隷をせっついて風呂に入れたあと俺も上着とズボンを脱いで中に入った。


「そこの椅子に座れ」


風呂で立ち尽くす奴隷に座るよう指示して俺は火の魔石の効果でお湯が出る蛇口を捻った。その先に繋がるホースから出てきたお湯に手で触れ、温度を確認して奴隷の背中にかけてみる。


「熱いか?」


奴隷は一瞬体をビクリと硬直させたが温度は問題がなかったらしく、相変わらず返事はせずに首を小さく横に振った。


「頭に掛けるから目を閉じていろ」


言ってからホースを動かして頭と髪の毛を濡らしていく。毛量が極端に多いわけではないが立てば膝裏まである程髪が長いため濡らすのはなかなか手間がかかる。片手だから余計にそう感じるのだろうか。


「髪が邪魔だな」


ふと何の気無しにつぶやいた言葉に奴隷が体を硬直させたので余計なことは言わない事にした。


髪全体が濡れたのを確認して粉状の洗髪剤を使って奴隷の頭を洗っていく。汚過ぎたのか中々泡立たない洗髪剤を一度お湯で落としてもう一度洗ってみるとそこそこ綺麗になったので頭の方をもう一度流して次はタオルと石鹸を使って体を洗う。邪魔な髪はまとめて前の方に流して背中、腕、足と洗っていく。


「前は自分で洗え」


後ろから見える範囲を洗い終わったのでタオルを渡して前は自分で洗わせる。変な目で見ているわけではないが相手は一応女だ。背中何かはいいにしても前の方は俺のように雑に洗っていいものかどうか分からないからな。


体を洗うことに慣れていないため非常にもたもたと体を洗う奴隷を待って洗い終わったところでまたホースからお湯を出して石鹸を流すと、汚れが落ちたのがひと目でわかるほど綺麗になった。しかし綺麗になったことで見えるようになった傷がいくつか増えた。


「傷が多いな」


今までは汚れのせいで見えづらかったが今はいくつもの痣と傷が確認できる。まぁどれもそう酷いものではないので一月もする頃には恐らく消えているだろう。


奴隷を風呂に待たせておいてタオルと着替えを取りに行き、濡れた部分を拭き取って奴隷に俺の服を着せてみた。襟と裾がブカブカでサイズは合っていないが、脱衣所のゴミ箱に捨てたあのボロ布をもう一度着せるわけにはいかないので我慢してもらう。


「今日はそれを着ていろ。服は明日買いに行く。次はもう一度外に出ろ。髪を切る」




☆☆☆



「まぁ、それなりに見られるようにはなったか」


外で椅子に座らせた奴隷の周りを回って散髪の出来を確認する。一応長さや髪型の希望は聞いたが首を振られたので何となく切ってみたが中々いい出来ではないだろうか。


「どうだ?多少はスッキリしたか?」


そう尋ねると奴隷は困ったように首を傾げたため返事は求めず家の中に入れた。


次は飯にしよう。風呂と散髪が優先であったため触れなかったがさっきから時折奴隷が腹を鳴らしている。奴隷の口から空腹を訴えられてはいないが俺も腹が減ったので適当な物を食わせておこうか。


「食えないものはあるか?」


そう尋ねるとか今度は明確に首を振られたため食料保存庫からベーコンと鳥の卵とチーズ、キャベツと玉ねぎと人参、そしてパンを持ってきて料理を始める。作ったのはベーコン入りのスクランブルエッグと野菜を切っただけのサラダだ。パンには溶かしたチーズを載せておく。これだけあれば好みに合うものがあるだろう。最悪パンとチーズは食べられるはずだ。


「………何をしている?早く座れ」


片手での料理に集中していて気づかなかったがこの部屋に入ってきたときの位置から一歩も動いていない奴隷に座るように言うと部屋の隅に膝を抱えて座り込んだ。奴隷としては正しいのかもしれんがそんなところで食事をさせるつもりはない。食事はテーブルでするのがマナーだ。


「床にじゃなく椅子に座れ」


命令を飛ばしながら食器をさっさと並べて食事の用意を済ませていく。

コップに昨日買って冷蔵室に置いておいたミルクを注いで準備は完了だ。


「座れ、と言ったはずだか?」


奴隷が椅子の後ろに立って座ろうとしないので椅子を引いて無理やり座らせる。俺も椅子に座って食事を始めた。


「…………見ていないで食え」

「……………………これを、でしょうか?」


いつまでたっても食事に手を付けずこちらの様子をうかがっているので食べるように勧めると、これまで一言も喋らなかった奴隷が初めて口を開いた。


「食えないのか?」


まさか全て食べられないのかと思ったが、そんなことは無いらしく奴隷は首を振った。


「勿体無いです。私は残飯でも――」

「なぜ有りもしない残飯を出さなければならない。それはお前に食べさせていいと判断したからお前の前に出している。いいから食え」

「………………はい」


奴隷は震える手でパンを掴み、小さく開けた口で端を噛みちぎった。そしてもくもくと口を動かして嚥下したのを確認してから俺も食事を再開する。


「美味いか?」

「……はい」


一口食わせればあとは勝手に食うだろう。


そう思って自分の食事に集中していたのだが、俺が食べ終わる頃奴隷はまだパン半分とその他を少し食べたくらいだった。しかも苦しそうに短く呼吸をしながら目から涙を流している。時々えずいているところを見ると食事に感動している訳ではなく単に食べられる量の限界なのだろう。


今まで食わせてもらえなかった人間にこの量はやはり多すぎたか。


「食いきれないか?」

「た、食べます」


俺がそう言うと、奴隷はビクリしたあと固まってまた口に無理やり食べ物を詰め込み始めた。


「無理をして全て食う必要はない」

「だ、大丈夫です。食べます」


と、口ではそう言っているが明らかにどう見たって限界そうなので食事をする手を掴んで皿を下げた。


「も、申し訳ありません。ですが、た、食べてみせますから……どうかっ」

「そこまでしなくていい。元々食えないものがあるかもしれないと量を多く作っておいたんだ。夕飯も用意するからこれはもう食わなくていい」

「……………はぃ」


椅子に座ったまま俯く奴隷を見て夕飯は必ず少なめに作ることにしようと思った。



☆☆☆


食い過ぎで動けなくなった奴隷を休ませるついでに歯を磨かせ、動けるようになったあとは家の案内をした。俺の家は戦争で戦果を上げたときに領主様からもらった屋敷なのでそこそこ広く、そのうえ掃除の仕方などを教えていたら全て案内するのに少し時間が掛かった。家の裏にある馬小屋に連れて行ったときは奴隷が馬に怯えていたが、いずれ世話をしてもらう予定なのでいつかはなれてもらわなくてはならない。


「さて、家の説明は以上だ。見て分かったと思うが俺の家は広い。元からあまり手入れが行き届いていなかったのに左手を失って出来ることが大幅に減った。そこでお前にはこの屋敷での家事を任せたいと思っている」


そう言うと奴隷は頷いた。仕事は任せても良いようだ。


「俺も暫くは家にいるからその間に仕事を覚えてくれ」

「はい」

「それではこれからだが………」


今はまだ夕方。食事を作るにはまだ少し早いし、かと言って外に出るにはもう遅い。いや、どうせ時間があるのなら今日から奴隷に料理を作らせればどうだろうか?

恐らく何を作るにも最初は時間がかかるだろうし今の時間から作り始めればちょうど夕食の時間くらいになるはずだ。


「まずは料理をやってもらおう」


そうと決まれば後は早い。先程案内した食料庫に着いていき、適当な食材を選んでキッチンへと運んだ。


「今日はシチューを作ってもらおうか」

「………シチュー」

「作り方は俺が教える。言うとおりにやってみろ」


ここ最近は片手しか使えないせいでフライパンや片手鍋で作れるものしか食べていなかったからシチューを久しぶりに食べたくなった。牛乳も昨日買ったのがたくさんあるしちょうどいい。


「まずは洗った野菜の皮を包丁で剥いて―――」


基本的な包丁の使い方から教え込んでシチューを作らせていく。そうして気づいたことだが、こいつは非常に慣れが早い。野菜の皮剥きもすぐに出来るようになったし包丁捌きも正確だ。


「そしたら牛乳を入れてしばらく煮詰める」


あっという間にシチュー作りの殆どの工程が終わり、後は完成を待つだけとなった。待つ間にパンとチーズの準備をしたらシチューも出来上がり、食事の準備が整った。


「まぁ、多少時間は掛かったがいい手際だな」


そう褒めてはみても返答はない。そのことはなんとなくわかっていたので食器を並べていく。


「配膳を手伝ってくれ」

「はい」


昼間に作ったサラダの残りと、その他パンやバター、チーズなどを置いて、最後に奴隷がシチューが入った皿を置こうとした。その時、俺も右手でカトラリーを並べていたためシチューの皿と手が当たってしまった。シチューの入った皿は握られていた手から離れて床へと落ちていった。当然陶器でできていた皿は砕け、中に入っていたシチューは床に散らばってしまった。


「………あ」

「も、申し訳ございません!!」


奴隷は顔を青ざめさせて床に膝をつき、溢れたシチューと皿に向かって震える手を当てなく彷徨わせている。まぁやってしまったことは仕方がない。この皿に愛着もなければ余りのあるシチューを惜しむこともない。とにかく怪我をしないうちに片付けなければと手を伸ばすと、奴隷が体を震わせながら目を閉じた。別に罰を与えたりはしないが。


「気にするな。誰にでもある失敗だ。今回は俺にも非がある」


そう言って奴隷の頭をポンポンと軽く叩き片付けを手伝うように促す。カーペットも引いていなかったので片付けはすぐに終わった。奴隷のシチューも新しい皿に注ぎ直して配膳する。予想外の掃除で時間が掛かったがそれでも元から想定していた時間内だ。


「………食うか」


奴隷に向かって言い、俺もすぐに手を付ける。スプーンで食べられるものは楽でいい。片手の俺も苦労なく食える。久しぶりのシチューの味も最高だ。


「…………」


奴隷の反応はどうかと視線を向けると、奴隷はほろほろと涙をこぼしながらシチューを口に運んでいた。俺は再びシチューに視線を戻して食事を再開する。泣いている女にかける言葉など俺は持ってはいなかった。



☆☆☆



彼女との出会いから一年が過ぎた朝、俺は部屋に響いたノックの音で目を覚ました。


「御主人様、朝食の用意が整いました」

「あぁ………今行く」


寝ぼけた瞳をこすって服を着替え、ダイニングへと向かう。俺がテーブルを見たときには既に料理は並べ終えられており、いつも俺が座る席の対面に彼女は座っていた。

 

「………これは」


俺も席に座って今日の朝食は何かと目を向けるとそれは見覚えのある献立だった。


「今度は食べ切れるといいな」

「はい」


それから二人で黙々とした、それでいてとても温かい朝食を食べ始めた。

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