引きこもり特対法

金糸雀

特対法、施行

 時は、令和二十年四月。後に述べるように引きこもり問題がいよいよのっぴきならない局面に達しており、政府は対応に苦慮し、苦慮した末に、平成の時代には到底考えられなかったような過激な法律が制定、施行されるに至った。


 刑法の例外規定にあたる部分を特別法として成立させるという形で生まれたその法律の名前は、「長期無職成人に対する家族内における殺人に関する刑罰に係る特別措置法」であるが、一般的には「引きこもり特対法」という通称で知られる。



 


 引きこもり問題に関しては、平成の時代から大きな社会問題としてしばしばメディアを賑わせてきた。粗暴で他人に危害を加えるタイプの引きこもりの息子を高齢の父親が殺してしまったり、逆に、引きこもりが引きこもっていればいいものを何を思ったか外に出て、幼気いたいけな幼稚園児たちをぶち殺して回ったりといった事件が続発し、十代半ばから二十代で引きこもり始めた当事者が家から出られないまま年齢を重ねたことにより、「親亡き後、コイツらを一体どうすれば良いのか」という、いわゆる八〇五〇ハチマルゴーマル問題が社会全体にとっての懸案事項となった。

 平成の時代から醸成された引きこもりに対する一般的な見解は“犯罪者予備軍”であり、「引きこもりは社会にとって危険極まりない集団でしかない」と看做されるようになって久しい。なんら事件を起こさない比較的おとなしい引きこもりであっても、働こうとしない大人はそれだけで「みんなにとっての迷惑」だし、「働きもしないで家でのうのうとしてるアイツらはずるい」という嫌悪の対象となるのは、致し方ないところであろう。



 元号が替わって二十年が経ったが、この二十年間で状況は好転するばかりか、悪化するばかりであった。高齢化と晩婚化・非婚化がますます進展し、結婚して子供を儲けるという昭和の時代には当たり前だった営みがすっかり廃れたこの時代、労働力として期待される青年・壮年層の三分の一は引きこもりである。かつての中高年引きこもりの究極のなれの果てともいえる引きこもり独居老人も少なからず棲息していて、そういった手合いが孤独死した後に腐敗臭と害虫の類を近所一帯に撒き散らすことでその存在をアピールすることも時折ある。未来を担う子供は、というと、十代どころか年齢一桁の頃から、早い者は引きこもり始める。最新の統計によると、全世帯の四分の一は家庭内に一人以上の引きこもりを抱えている。

 つまり老いも若きも当たり前に引きこもっているのがこの国の現状であり、外で働こうという者が極端に少ないことから国力はおおいに衰退し、今や日本は“クールジャパン”や“モッタイナイ”、“オモテナシ”ではなく”ヒキコモリ”の国として世界にその名を轟かせている。



 政府は、令和に入ってからも数年の間、引きこもりを社会に復帰させ、できることならなんらかの仕事をあてがうことに主眼を置いた対策を取っていた。しかし、「もう外には出たくない」というのが多くの引きこもりの本音なのだから彼らが社会に「復帰」などするはずがないし、そもそもの話、「働いてみようかな」などと殊勝な心構えを持つ引きこもりがいたとして、長きにわたり引きこもっており経歴が真っ白な彼らに「あてがう」ことができる仕事がないという現実もあった。まっとうに暮らしている健常者だって、AIに仕事を取られて職を得るのに苦労している時代なのだ。何もしていなかった者がいきなり「働きたい」としゃしゃり出てきたところで相手にされるはずもないというものだが、そんな当たり前のことがわかっていない引きこもりは本当に多いのだ。空気を読むこともできず真っ白の経歴を引っ提げて唐突に「働きたい」と言い出すところにも、引きこもりの社会性、常識の欠如というものが如実に表れているといえよう。


 かくして引きこもりを「社会復帰」させる方策が失敗すると、次に政府は、引きこもりが保護者を亡くして食い扶持を失っても生活することができるよう、引きこもりを抱える世帯に金銭援助をしようと試みた。だが、この試みは家庭内に引きこもりがいない世帯、特に子育て世代に対する受けがすこぶる悪かった上、引きこもりを抱える全世帯に金銭を交付していたらいくらあっても足りないという事情があっという間に露呈した。そんなことは試算段階でわかりそうなものだが、人材不足の国にあっては政治家の知的水準や職務遂行能力すら低下著しく、試算することなくとりあえずばら撒き始めてしまったのだから始末に負えない。

 なんせ引きこもらずまっとうに働く者が少ない国なだけあって日本の国庫は悲しいほどに貧乏であり、無い袖は振れない。それが現実である。そういうわけで、この方針はごく短期で撤回されることとなった。



 「問題を起こしても起こさなくても、引きこもりがただ引きこもりとして生きているだけで迷惑である」という平成の時代からの風潮ももちろん令和二十年も健在、いやそれどころか、事態は目に見えて悪化していた。引きこもりが一人父親に殺されようが、引きこもりが十人の幼稚園児をぶち殺して回ろうが、そんなことは日常茶飯事で、引きこもり関連の事件が一つ話題になったと思ったらひと月もしないうちにまた別の事件が話題となり、個々の事件については忘れ去られて行く、そんな世相になってしまっている。

 悲しいことだが、自分が引きこもりになるリスク、家族が引きこもりになるリスク、引きこもりに殺されるリスク、引きこもっていたら家族に殺されるリスク、引きこもっていた家族が人殺しになるリスクが、生活習慣病リスクと同等、いやそれ以上に大きなものとなり、誰もが殺伐としている。それが夢に満ちた改元後に国内を徐々に覆っていったムードである。

 

 誤解されがちな点だが「引きこもり=ぬくぬくと安全な場所に閉じこもって楽をしている」というものではなく、引きこもっている当人こそが誰よりも苦しい思いをしている――これは平成の時代によく聞かれた言説だが、今となっては引きこもり本人の苦しみを斟酌しんしゃくする余裕など疾うに失われている。




 多すぎる引きこもりのせいで経済は回らないし治安は悪化する。平成から令和初期には盛んだったインバウンド需要もすっかり落ち込んでいる。「いつどこで刃物を振り回した目がイッてしまっている輩に襲われるかわからないから日本に行くのはやめとこ」とまぁ、あからさまに避けられているのだ。



 いわば最後の頼みの綱であった観光収入すら望めなくなったこの国はもはや終わりかもしれない――

 


 そのような焦りがあってか、令和十年代半ばから案が持ち上がり始め、長きにわたる審議の末に施行されることとなったのがいわゆる「引きこもり特対法」であるが、これはシンプルにいうと、「引きこもり当事者をその三親等以内の親族が殺した場合、特例として殺人罪を始めとする通常の刑罰を適用しない」というものである。「始末に困る引きこもりをその家族が殺す」という事案が毎日のように発生し、おおいに情状が酌量されて実刑判決とならないことが常態化している昨今だが、こういった事案を合法化するお墨付きとなるのがこの法律であるといえよう。

 「引きこもり特対法」の特色はもう一つある。それは、殺人を実行した者には報奨金が支払われるということである。本来税金で養うしかなかったはずの引きこもりを「殺してくれた」ことに関し、本来であれば――つまり、引きこもりが引きこもりとして天寿を全うしたとすれば――掛かったはずのコストの一部を還元しようというものであり、引きこもりに対し家庭内で始末を着けることを推進するという狙いもそこにはある。なんせ貧乏な国のすることであるから、報奨金はもらえても精々百万円がいいところであり、たとえ相手が「生きているだけで迷惑」な引きこもりであったとしても、仮にも人を一人殺す対価として割に合う金額とは到底いえないように思われるかもしれないが、国が貧乏なら国民も漏れなく貧乏な現状にあっては、充分なインセンティブとして機能する金額設定なのであった。


 

 国際人権NGOや、世界各国――特に、死刑を非人道的なものとして全面的に撤廃している上、日本古来の鯨食文化にすら眉をひそめてなんだかんだ口を出してくる「良識的」な欧州諸国――から大バッシングを受けながらも「引きこもり特対法」は令和二十年四月一日付で施行された。

 

 このことにより、日本はますます海外から「野蛮な国」というイメージを強く抱かれることとなるのだが、正直なところ日本には、国際的な評価など気に留めている余裕はもはやなかった。何もしなければジリ貧なのだし、とにかく引きこもりが家族に殺されることによって減り、治安の悪化が下げ止まって人心が安定すれば、あるいはこの国も持ち直すかもしれない――そのような、儚い望みを、政府上層部はまだ捨てきれていなかった。それが叶わぬ夢であることを、誰もが自覚しながら。

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