2話「似ている人」






   2話「似ている人」






 「ギリギリだった………」




 新幹線の指定座席に座った風香は、大きく息を吐いた。

 平日の昼過ぎとあって、新幹線も空いていたのでついつい独り言がもれてしまう。小振りのボストンバックを上の棚に置き、風香はショルダーバックを持って、窓の外を見た。すると、ちょうど発車時間になったようで新幹線がゆっくりと動き出した。

 

 予約した新幹線に乗るのがギリギリになってしまったのは、仕事が終わらなかったからではなかった。

 一人旅行だというのに、いつも以上にメイクをして、肩にかかるぐらいの髪もワンカールに巻いてきた。そして、春日和の天気だったため花柄のワンピースを準備して久しぶりにおしゃれをしてしまったのだ。そんな事をしているうちに、気づくと家を出る予定時間ギリギリになってしまったのだ。


 新幹線はトンネルに入ったのか、大きな音が響き渡る。真っ暗な窓には鏡のように自分の姿が映る。



 「………まるで、デートに行くみたいじゃない」



 着飾った自分の姿を見て、風香はそう思ってしまった。

 初めて彼と旅行をした思い出の場所だからと言って、その場所に柊がいるわけでもないのに………。


 そんなバカな事をしてしまった自分から目を背けるように、風香は目を閉じた。

 








 徹夜明けだった事もあり、風香はそのまま眠ってしまっていた。起きたときには、終点の駅に着くところだった。

 風香は恐る恐る握りしめていたスマホの画面を見るが、そこには何の通知も来ていなかった。


 昨日の夜から何も食べていなかった風香は、電車に乗り換え、コンビニで買ったおにぎりを噛りながら、ローカル線の電車に揺られてホテルへと向かった。その電車でもウトウトしてしまい、目を覚ましたのは目の前の窓からは夕焼けに染まった海が見えた頃だった。



 「綺麗………」



 柊とのデートの時も、この夕暮れを手を繋いで砂浜を歩きながら見たなと思い出した。海風が冷たくて体を震わせてしまうとそれに気づいた柊がジャケットを貸してくれたのだ。そこからは彼の香りがして、抱きしめられているような感覚になり、ドキドキと胸が高鳴ってしまっのを今でもしっかりと記憶に残っている。



 「寒い………」



 長袖のワンピースを着た体を自分の腕で抱きしめる。やはり夕方になるとまだまだ寒いのが4月だ。風香はバックからニットのカーディガンを取り出して羽織った。





 ホテルに到着する頃にはすっかり日が落ちていた。

 部屋に着くと大きなベットと月の光りで水辺が白く光る海が出迎えてくれた。風香は、部屋の電気をつけるのが勿体なくなり、荷物を置いてから窓辺のソファに置いて、海を眺めた。


 キラキラと光る白い輝きを見て、風香は左手の薬指にあるダイヤモンドのようだなと思い、光に重ねるように左手を伸ばした。

 月の光を浴びて、神秘的に輝くダイヤモンドは何故か悲しげに見えてしまう。



 「………柊は、もう私の事好きじゃなくなった?もし、それでもいいから………生きていてほしいよ」



 その言葉は震えたものになった。

 生きていて欲しいし、また笑っていて欲しい。それが叶うのならば、自分の傍に居なくてもいい。だから、柊が生きている事を願う。


 だが、本心では違う。

 もちろん生きていて欲しい。

 けれど、自分の事を好きでいて欲しいし、また抱きしめてキスをして、「風香」と優しく名前を呼んで欲しい。

 それが風香の1番の願いだった。


 これだけではなく、掲げていた腕も震え始める。全身が泣いたことにより震えているのだ。風香は、いつもと同じようにまた泣いてしまう。こんなところに来て気分転換など出来るはずもない。わかっていたはずなのに、来てしまったのは、過去の彼の影にさえすがりたかったからかもしれない。

 風香はその後もしばらくの間泣き続けた。


 






 ようやく落ち着いてきた頃、少し空腹を感じたので、風香は最上階にたるバーに行く事にした。

 部屋で化粧を直したけれど、目の赤みはすぐに治らなかった。けれど、旅先では知り合いに会うこともないからいいか……と、気にしないでエレベーターの最上階のボタンを押した。


 平日の深夜で、しかも旅行で訪れる客が大半のホテルのため、そこまで客の数も多くなかった。

 風香は、海の見える窓際の背の高い椅子に座った。強めのカクテルをおまかせ頼み、それとプラスして簡単なフードを注文した後、風香は何も考えずに呆然と海の光を眺めていた。

ここでは何も考えないようにと部屋にスマホも婚約指輪も置いてきた。この2つは手放さずに持っている事が多かったので、少し落ち着かない気持ちにもなったけれど、今日はそれでいいのだと言い聞かせた。



 「お待たせ致しました。」



 黒い髪をきっちりと整えたバーテンダーが風香の元にやってきた。



 「こちらは、青い珊瑚礁というカクテルです。お客様は海がお好きなようでしたので、緑色の珊瑚をイメージしたカクテルをご用意しました」



 そう言って、風香の目の前に置かれたのは、鮮やかなな緑色の中にチェリーが入っている可愛らしいカクテルだった。

 それを見て、思わず風香も感激の声をもらした。


 「綺麗ですね………」

 「ありがとうございます。こちらはペパーミントとジンの爽やかさが特徴ですがやや甘口のカクテルです。アルコール度は高めになっております」

 「ありがとうございます」



 バーテンダーはにこやかに微笑むとその場から去っていく。グラスを持ち上げて、その色味の美しさを十分に目で楽しんだ後、風香は一口そのカクテルを飲み込んだ。すると、夏のように爽やかな飲み口と、後からくる濃厚な甘さ、そしてお酒の強さを感じる。

 普段ならば強めのお酒は飲まない。けれど、少し酔っていた方が夢を見ずにぐっすりと眠れるだろうと思ったのだ。


 ゆったりとした夜の時間をカクテルと海岸の景色という贅沢な雰囲気を楽しみながら過ごす。青の珊瑚礁というカクテルを気に入った風香は、それから同じものを2つほど頼んでしまい、完全に酔っぱらってしまった。


 「さすがに飲み過ぎたかな………」と心の中で呟き、残っていたカクテルを飲み干す。顔だけではなく、全身が熱くなり、ふわふわした感覚に襲われる。けれど、気持ちが悪いわけではなく、とても心地のよい気持ちだった。


 店員を呼び、チェックをお願いしようとした時だった。

 カウンターに座っていた男性が先にテーブルチェックを済ませている所だった。その後にお願いしよう、と思い視線を外そうとした。けれど、風香はその男性に釘付けになった。

 後ろ姿、そして横顔、スーツ姿に雰囲気、その全てが風香の探している愛しい人と似ていたのだ。



 「え………柊……」



 風香が立ち上がろうとすると、「お待たせしました」と、別のスタッフがチェックをしに風香の元へとやって来た。風香は財布からお札を何枚か出し、「これでお願いします。お釣りはチップで大丈夫です」と素早く支払いをすませて、バーから出ていこうとする男性を足早く追いかけた。


 人違いかもしれない。

 けど、あの横顔を見間違えるわけはないのだ。何度も見て、大好きだった彼なのだから。


 酔いすぎた足元はフラフラしてしまい、走れないのが辛い。けれど、ヒールの靴で男の後ろ姿を追いかけた。


 男性はエレベーターが来るのを待っているようだった。



 「柊っ!!」

 「…………ぇ………」



 彼の名前を呼ぶと、その男性はこちらに視線を向けた。

 少し驚いた表情の男性の顔は、探していた柊そのものだった。

 風香は彼の顔を見た瞬間、涙が込み上げてきて、思わず泣いてしまいそうになった。

 あぁ、やっと会えたのだ。聞きたいことは沢山ある。けれど、今は彼を抱きしめて、生きていた事を確かめ実感したかった。


 彼に向けて手を伸ばそうとした時だった。



 「初めまして、ですよね?そんなに誰かと似てますか?」



 柊のそのものの声で言われた言葉は、風香にとって残酷なものだった。



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