第10話 「ワタシは別に達観している訳ではないですよ。ただ臆病なだけですよ」

 そんな大それたものではない、とP子さんは思う。基本は単純だ。明日死ぬとしたら今日何をしたいか。ただその明日が延々引き延ばされているだけなのだ。

 何でそう自分の根っこで思うようになったかは知らない。だが、今日「したくない」ことを「明日のために」することを延々していたら、決して好きなことなど永遠にできないことをP子さんは気付いている。

 それは積極的に「好き!」と言えるものでなくともいい。

 今日はかったるいから眠い、でも今日はお金が要るからバイトに出よう。それは自分で選んだことだから「したい」ことなのだ。例え頭の上っ面で「こんなこと嫌だ」とか思っていても、本当にしたくないことだったら、身体が拒否するだろうとP子さんは思っていた。

 実際そうだった。その臨界点だけは知っている。知っているし、二度と知りたくないものでもある。


「TEAR」


 何、と電話の向こう側の友人は反応する。


「ワタシは別に達観している訳ではないですよ。ただ臆病なだけですよ」


 そう? と半信半疑の声が返ってくる。


「それより『LUCKYSTAR』ですけど、いいバンドですよ。アナタ達には合いそうですね」

『へえ』

「で、そこのベースのが」

『え? 何って言った?』

「あ、すいませんね。そこのベースのあだ名なんですがね、ワタシの知り合い」

『何かどんでもねえ名じゃないの?』

「いや本名は静香しずかとかそういう名なんですがね、名字が海野うみのっていうんですよ」

『それで海のもくず、かよ』


 下手な冗談、とTEARは笑う。P子さんは茶をすする。


「ベースやってるんですがね、なかなか面白い音してますよ。あとステージで暴れる様とか」

『暴れるの』

「だから本名よりも本人はあだ名の方が気にいってるようですよ、咲久子さくこちゃん」


 なるほど、とやはりやや本名が気にくわないTEARはつぶやく。


「次のライヴはまだ向こうだってことだし…… 向こうもアナタに一度会えたらいいな、とか言ってましたがね」

『あれ、知ってるの?』

「アナタ結構有名らしいですよ。ベーシストだけでなく」

『……へえ…… じゃああたしも一度会ってみたいな。あ、でも酒はパス』

「……それは残念」

『今結構金欠だからさ、もう少しチープな感覚で』


 そういえば、こいつはこのライヴにはちゃんとチケットの金出したんだっけ、とP子さんは思い出す。


「じゃ今度酒持ってアナタの部屋行きましょうか? もくずは結構ウチと近いから」

『あ、それありがたい。じゃ時間決めて。夜なら空いてるから』

「はいはい」


 それじゃ、とP子さんは電話を切った。残った茶を飲み干す。この日バイトは休みだった。冬には野球はない。さて何かすることはあったっけ。ぼんやりと記憶をさかのぼってみる。


 ……あった。


 P子さんはギターのケースをごそごそと探る。あった。HISAKAにもらったテープを取り出す。ラベルには真っ赤な文字で二つの単語が書かれていた。

 「RED」と「MODERN」である。



「『あか』と『現代的げんだいてき』」


 仮タイトルをどれだけ外国語でつけようと、絶対に日本語に直訳してしまって呼び名にしてしまうのがMAVOであった。


「いいけど…… どういう意味があるの?」

「ん? 言葉の通り」


 まあそれはそうだけど、とMAVOは首を傾げる。


「ま、でも、どっちかというと、警戒警報、とかそういう感じにしたかったんだけど」

「RED ALERTですか」


 マリコさんが口をはさむ。


「仮想敵国は何処ですか?」

「さあ何処でしょう」

「そしたらせいぜい匍匐前進して行くんですね。まだ早いんじゃないですか?」

「どっかというと、定番ナンバーにしたいのよね」

「定番」


 MAVOが繰り返す。


「どれだけ大きな会場で出来るようになっても、絶対この時のこういう場面で使いましょ、というナンバー」

「なるほど」

「……」

「そんな顔しないで」


 HISAKAはやや上目つかいに悲しそうな顔をしたMAVOの頭を撫でる。


「あたしはいーけど…… HISAKA大丈夫?」

「え?」

「HISAKA最近ちゃんと寝てる?」

「寝てるわよ。あんたよく知ってるじゃないの」

「そういう意味じゃなくて」


 眠っているのか、と聞きたかったのだ。だがどうやら答える気はないらしい。マリコさんにしても同じ質問はしたかったらしい。


「睡眠は大事ですよ」

「判ってるわよ」


 またしてもここでその会話に関しては打ち切ろう、とするHISAKAの姿勢が見えた。マリコさんとMAVOは珍しく顔を見合わせてため息をついた。


 冬は嫌いだ、とHISAKAは思う。

 MAVOが春が嫌いなのと似ている。一番悪いニュースをもたらした季節。ついてない時期。その時の記憶が、大気の温度や風のにおいや肌に当たる感触とともに勝手によみがえる。

 外へ出なければいいか、というとそういうものでもない。そうしたらそうしたで、朝、起きたときに窓に付く水滴だの、窓から見える景色の色だの、そんなささいなことがちょっとしたはずみでスイッチをいれるのだ。

 それは仕方がない、と思う。起こってしまったことが自分をまだ支配していることも知ってる。だがだからと言って動かない訳にはいかないのだ。

 そういう時にはとりあえずがんがんにピアノを叩く。MAVOもマリコさんも心配するが、実はHISAKAの中では昔の「弾く」のとはニュアンスが違うのである。MAVOは昔のHISAKAの弾き方なぞ知らないし、マリコさんにはその二つの聞き比べはできない。

 弾いているのではないのだ。むしろぶちこわしているに近い。

 音は合っている。だが昔習った、「こうしたらいい」とアドバイスされたようには決して弾いていない。とにかく覚えている指づかいを、ただその時の、苛々とも恐怖とも焦りとも悲しみともつかない混沌にまかせて動かしているだけなのだ。そうすると、それまで絶対にできなかった弾き方になる。

 その時、何となく気付いたものがあったのだ。


 壊してみるのも面白いな。


「ねえ、あたしだって自分は可愛いのよ」

「そんなこと知ってますよ」


 マリコさんは即答する。


「あなたはずっとそうでしょうに」


 HISAKAは苦笑する。

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