第5話 悪夢のラスタチ
マスクの下のテラは呼吸を止めて、エクスレッドの真っ赤な手袋の、掌に貼りついた丸いラベルの飾り文字を凝視した。
ファンシーな丸文字で、こう書かれていた。
〝大王さまのまんぞくプリン〟
観客にもスタッフブースにも、客席に背を向けたレッドの掌は見えない。
他の出演者からも、まっすぐショーグンに向けたその掌までは見えてはいまい。
それはプリンの蓋のラベルだった。なにかの偶然で貼りついたわけではない。砂川が、わざわざ意図的に、手袋の掌に自分で貼りつけたに違いなかった。それまでずっと拳を握って掌を隠していたのはこのためだった。そして満を持して、「なにもかもお見通しだァ」と言わんばかりの
〝必殺技〟
動かぬ証拠をテラに突きつけたのだった。
「負けるものかっ! 僕たちの力を合わせるんだ」
何も知らないブルー、イエロー、グリーン、そしてピンクは、レッドに駆け寄ってエクスブレードに手を添える。
《ギュルギュルギュルルルル!》
「フルパワー充填!」
レッドが飛び上がり、硬直したままのショーグンにまっすぐ向かってゆく。
トップステージに着地すると、レッドはショーグンに顔をぐいと寄せた。マスクの下から砂川の声が、テラにしか聞こえない囁き声で、
「あんたのごみ箱にあったぜ」
テラ楽屋の化粧台の下にある、テラ専用のごみ箱を、砂川はこっそり漁ったのだ。
砂川の声がテラの耳に届く。
「とどめ、刺してやるよ」
冷たく硬いマスクから、瘴気のようにもれだした殺気にテラはむせそうになる。
《ガキーン!》
レッドのブレードの一撃!
「ぐああああ!」
レッドは立て続けにショーグンを斬りつける。
《グサああッ》
ゴゴゴゴゴ・・・・
ショーグンが斬り裂かれるSEに紛れて、メインステージの巨大な奈落扉が開きはじめる。奈落への「おっこち」アクションは近い。
《ズバアアアッ》
《ざくううううッ》
三回目のレッドのなで斬り。
段取りを忘れかけたテラが、あやういところで持っていたブレードから手を放した。
奈落に敷かれたマットに着地したブレードを、水戸がすかさず回収して、舞監の名越に合図を送るのが見える。
落下アクション=〈おっこち〉スタンバイOKのサインだ。
続くレッドの一撃で、クロガネショーグンは最期の時を迎える・・・、
はずだった。
しかし、砂川は怒りのあまり、段取りを忘れているようだ。
「とーどめだあああッ」
そんなセリフが再生されたにも関わらず、エクスレッドの中身の砂川は、クロガネショーグンの中身、テラへの攻撃をやめようとしなかった。
ブースのスタッフたちは騒然としていた。
「とーどめだあああ」
ミツノリさんがダメ押しで同じセリフを再生した。
イノさんもバッシングのように照明を明滅させる。目まぐるしく昼と夜が反転していく中で、四人のヒーローとツブテたちは延々と続く高所の闘いを、ただ呆然と見あげているしかないのだった。
我を忘れた砂川の、踏み込んだ右足が宙をけった。体躯がガクンと傾く。
コスチューム中の狭いテラの視界を、赤い身体がもがきながら下方へよぎっていった。
落下の音は、テラの耳には聞こえなかった。
レッドが奈落へ消え失せたあと、銀色の枯れ葉のようなものが一枚、ひらひらと舞い落ちていった。
それがエクスレッドが手のひらに貼りつけていたプリンの蓋だとわかる者はいない。
客席が水を打ったように静まりかえった。
なぜなら、最後のバトルの後、ステージの頂点に、たった一人立ち尽くしているのが、悪の首領、クロガネショーグンなのだから。
テラは思わず眼下を覗き込んだ。
奈落に敷かれたマットの上には、落下したレッドがねじくれた身体を横たえたまま、微動だにしない。
奈落をよけたメインステージとダウンステージには、リーダーを失ってなすすべもなく立ち尽くす四人のヒーローたちの姿が見えた。
テラが顔をあげる。
ステージの向こうに広がる客席は、タンカーが座礁した海のように黒く沈んでいた。
さながらちびっ子たちは、石油まみれの海からつぶつぶと顔を出した悲しいアザラシだ。
テラは呆然としたまま、視線を遠方に移した。
客席を挟んだスタッフブースには、各フロアの中心に陣取ったイノさんとミツノリさんが、祈るようなまなざしを向けているのが、はっきりと見て取れた。
ショーグンはゆらりと前かがみになると、ゆっくり、ゆっくーり、しずしず、膝をついてゆく
まるで、からだの動きが効かないおじいちゃんのような動きで、回廊状のトップステージの細長い床に仰向けになってゆくクロガネショーグン。
その間、会場は、水をうったように静まり返っている。
スーツの中で「やられたあ」とつぶやいてはいたが、当然のことながら、テラのつぶやきは、誰にも届いていない。
遊び終わったマリオネットがケースに納めたかのように、「縮こまりぎみ気をつけ」の姿勢で細い回廊に横たわったクロガネショーグン。
低い位置の客席からはその姿さえ見えなくなっている。
果てしない静寂・・・、のち。
「逆転勝利だぜぇ!」
しびれを切らせたミツノリさんが、エクスレッドのセリフを再生させた。
姿の見えないエクスレッドの声だけがむなしく上空に響いたと思うと、続いてエクスブルーの、
「やったな!」
エクスピンクの、
「やったわね!」
の声が再生されてゆく。
四人のヒーローたちは、とりあえず中空を見上げながら、姿はなく声だけになってしまったレッドと会話するほかはなかった。
これではまるで、死んでしまったレッドと、遺された四人のヒーローたちが心の中で会話しているように見えてしまう。
BGMも闘いが終わったことを意味する安らかなものに替わっていた。
それはいつものショーなら和やかなムードへの演出になるものだ。
だが、レッドが奈落に姿を消してしまった状態では、こみあげる悲しさを煽るには充分すぎるお膳立てだった。
客席では、すすり泣きが漏れはじめた。
レッド死んじゃったの?
目を赤くしながら見上げるちびっこに、答えようのないお母さんが無言でギュッと抱きしめる。
お父さん連中は、異様にメッセージ性の強いエンディングに、抗議とも戸惑いともつかない目をして、無力感を噛みしめるしかなかった。
だが、客席以上にいたたまれないのは、ステージ上だった。
誰でもいいから、いますぐ自分たちを殺してほしい。
残された四人のヒーローたちが心の底からそう願っているその時、
奈落の脇にしつらえた小さな出捌け口から、エクスレッドが飛び出した。
四人が心から安堵したのが、遠く離れたブースからでもありありと分かった。
すぐに段取り通りの芝居に戻るヒーローたち。
しかしそのレッドは、先んじてはけたツブテ役の一人が、急いで衣装チェンジをして飛び出した代役なのだった。
「今日も平和を取り戻したぞーっ!」
エクスレッドが宣言する音声に合わせて動いてみせるピンチヒッターレッド。
その動きにツブテ特有のコセコセしたアクションが混ざっていたことで、四人はこのレッドが代役であることに気づいた。
大団円のBGMがやけくそ気味にフルボリュームになってゆく。
拍手の渦に巻かれながら四人は、
砂川がすぐには動けない状態になっているらしいことを、察するのだった。
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