11 百鬼夜行 三




 まるでフィクションの世界だ。


 単純に蹴り飛ばされたと表現するには抵抗のある一撃が見舞われた。


 彼が――穏原おだわらくんが、飛んできた刀をはじき返した直後だった。前触れなく姿を現した青年が彼にものすごい速度で接近し、青い光を帯びた脚を振るった。

 それだけだった。たったそれだけ、とはいえ先ほども同じように吹っ飛ばされたわけだが、今度はその比でないほどの威力があったようだ。

 目の前で彼は蹴り飛ばされ、恐らく校舎に激突したのだろう、高所から生ものでも叩き落としたかのような嫌な音が鈍く響いた。


 手にした懐中電灯で後方の暗闇を照らすのが躊躇われる。どうなったのだろう。吹っ飛ばされた彼の動く気配が感じられない。振り返って確認したい気持ちもあったが、今そうするのは――すぐ近くに立っている青年に背を向けるのはあまり得策ではない気もした。


「クソが……。やっぱり油断ならねえな……」


 固唾をのみながらも目を逸らさずにいたのに、青年が落ちていた刀を拾った瞬間、闇に紛れるようにその姿が再び見えなくなった。いなくなった? なんて希望的観測はすぐに打ち消される羽目になる。唐突に手首に痛みが走った。蹴られたのだ。懐中電灯が闇の中に飛んで行って何もないところを照らし出す。


 光を奪われたせいか、途端に自分の周囲の闇が深まったような気がした。


 空は暗雲がたちこめ、校舎に囲まれた中庭は暗闇に沈んでいる。少し目が慣れたとはいえ、やっぱり電灯がないと心許ないし、あってもなくても姿を捉えられない敵がいるせいで不安は膨れ上がるばかりだ。


 敵――そうだ、敵だ。敵なんだろう。彼に危害を加えているのだから、たぶん私にとっても、敵。少なくとも味方でないことだけは確実だ。


 一瞬だけ垣間見えたが、恐らくこの人物は私に事情聴取をした三人組の一人、眼鏡の青年だろう。


 黒髪の女の子ばかりが問い詰めてきていて、オカマの人は時折そのフォローをしたりこちらを気遣ってくれたりしていたが、あの眼鏡は最初こそこちらを睨んでいたものの、あとは興味ないとばかりに振る舞っていて態度が悪かったのを覚えている。そのため本人の声も聴いていないから、すぐにはあの時の眼鏡だと気付けなかった。


 時折黒髪の女の子に咎められ、名前も呼ばれていた気がするが……あの時はぼんやりしていたのでよく思い出せない。まあなんでもいい、眼鏡で。


 しかし――


 ……そうなると、この男と一緒にいた他二人もまた敵になるのだろうか。

 というか、姿が見えないだけであの二人もどこかにいる? そうなると簡単には逃げられないだろうし、そもそもなんとなく逃がしてくれないと思うし、自分が逃げれば間違いなく彼は殺される。

 かといってここに残ってもやれることはないだろう。まあ相手はこちらが何も出来ないと思って確実に油断しているだろうから、その隙を突くことは出来る。突いてどうするのだという話だが。相手は刀を持っているが、こちらは素手だ。


「どうしよう……」


「暢気な女だ」


 どうしようかと悩んでいたから思わず声に出してしまっただけのただの独り言だったのだが、それに応える声があった。とても不本意な相槌だった。誰のせいで悩んでると思ってるのだろう。


 そんな不満を訴えようかという思いが浮かんだのも一瞬だった。目の前に刀の切っ先が向けられたのが分かった。なにかこう、風を切る音が鼻先をよぎったのだ。


「名前に覚えがあったから調べてみたが、お前、一年前の例の事件にも関わってるな」


「…………」


 どうやら動くな的なあれらしいので、黙って大人しくしていよう。


「今まで生死すら不明だったあの人が今日になって突然姿を現した。何か考えがあって隠れていたのなら、いくら鬼が現れたからといって自ら表に出てくるわけがない。……まあ、あの人のことだから単純に見過ごせなかったのかもしれないが――それにしても、だ。あの人の潜伏場所に鬼が発現したことはまだ偶然として考えられる。だが、一年前の被害者の一人であるお前を、あの人が助けに現れたというのはどうだ。これは偶然か?」


 問いかけているというよりは自問しているかのようだった。興奮した口調で早口に頭の中の考えをまとめるためにまくしたてている。


 まるで予想していたよりも大きな獲物を釣り上げたかのような。


「それにあいつだ、穏原景史けいし。あいつも被害者の一人だ。そしてあの人の〝協力者〟でもあった。だから俺たちはこの学校に目を付けていた。そして今日、この学校で事件が起こった。お前を狙った鬼が現れた。……お前はなんだ? 何者だ? お前にいったい何がある。お前が狙われたのは、本当に偶然か?」


 そんなことを訊かれても、



「――さあ?」



 ……そう応える以外にどうしろというのだろう。


 だって、知る訳がないのだし。



「お前……ッ」



 ――たまに、こういうことがある。


 訊かれたから答えたのに、なぜか相手の不興を買ってしまうことが。

 そうなると大抵の場合、相手は怒る。キレる。とにかく不愉快な気分になる。


 今もそうだ。


 殺気というよりは怒気。感情に任せて刀を振り上げる気配。


 ……あれ? 隙を突くとかなんとか以前に、殺されそう? また? これで今日何度目? それとも、もう日付変わった?


 見えないせいで恐れよりも呆れの方が先行したのか。正常な感覚が麻痺してしまっただけか、あるいは慣れきってしまったのか。


 そもそも何も感じていないのか。


 なんでもよかった。振り下ろされたはずの刀は直前でその軌道を止めたからだ。


 その声によって。



「――。彼女に手を出すな」



 闇の中からだった。

 ピタリと、姿の見えない敵が動きを止めた。そんな気配が伝わった。青年は今、どこを見ているのだろう。声の主の姿をその目に捉えているのか。



「……何か、思い当たったのなら尚更だ。君は少し感情的になりやすいが、頭は切れる。そして、その推測を現実にしないだけの理性はあるだろう?」



「……何なんだ、あんたは」


 誰何したというよりはやはり、それも独り言のようだった。舌打ちする。



「……クソが」



 膨れ上がっていた怒気が急速にしぼんでいくような感覚があった。そのまま目の前から青年の気配も消え失せてしまった。


 何が何やらといった感じだが、どうやら敵は、あの青年は去っていったらしい。エリアス。それがあの青年の名前か。確かオカマの人は『百済くだらクン』と呼んでいた気がするのだが、日本人じゃなかったのか。なんでもいいか。

 とにかく分かるのは、突然の声が青年の名を告げると、それだけで青年は害意を喪失したというか、悪さを見咎められた子供のように早々とこの場を去ったという事実だけだ。


 そして、またも私は〝彼〟に助けられた、ということ。

 声の主の姿を探して、私は振り返った。



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