11 問答無用 一




 近付いている。感じている。

 微かだが――確かに。


 進めば進むほどに、空気を通してこの身体に、心に伝わってくる。


 あの人の気配だ。


 それは息遣いや足音といったものに近く、同時に、周囲の様子や態度などから察することの出来る、これから起こる何かを予感するものでもある。


 視覚や聴覚といった肉体的、物理的な感覚で掴めるものではない。霊感とでも呼べばいいか。そうした第六感めいた感覚によって捉えることのできるものだ。


 風が肌を撫でるように、魂がそれを感じている。熱のようなものでもある。うまく説明できない。やはりたとえるなら〝気配〟という言葉が妥当だろう。


 その気配は人によって、というか〝刀〟によって違いがあり、それは感覚的に分かる微妙な差であるものの、慣れ親しんでよく知っているあの人の気配を間違うはずがない。


 いるのだ。この先に、あの人が。



「ちょっ、飛ばし過ぎよユキちゃん! 目についちゃうわ!」



 夜代やしろ結起ゆきはそこでふと我に返った。


 夢中といってもいいほど他のことが目に入らず気に留まらず、ただ一刻も早く、一瞬でも早く辿り着くことだけを想って走り続けていた。我に返って見れば確かに周りの人々の視線を感じる。


 帯刀している〝機関〟の人間はそれだけで一般人を威圧してしまうため、機関内では作戦行動中だけでなく、通常の巡回中であってもなるべく人目につかないようにすることが義務付けられている。

 警官であればそこにいるだけである程度の犯罪抑止が見込めるが、異象いしょう対策特務機関の管轄はそういう類の事件ではない。むしろ彼らの存在が引き金になる恐れもあるのだ。


 だが、それがどうした。そもそもいま急がずにいつ急げというのか。


 市内の学校から機関本部に通報があった。鬼の出現。これは一般の……というのは少しはばかられるが、いわばテロ等といった重大事件に相当する事案だ。バイオテロといってもいい。放っておけば被害は拡大する一方だ。


 そのため、本部から同市内にて別任務を遂行中だった結起たちにも連絡が入った。事件の発生場所が場所だけに、場合によっては連絡がこちらに回らない可能性もあって、仮にこちらを優先してくれたのだとしてもその後に別の部隊へ情報が漏れていないとも限らない。


 そうでなくても、この市内に潜伏している〝敵〟も感づいているだろう。そう思うと余計に気が急いて仕方ない。


 近付くにつれ強くなる。よりにもよって大規模に展開しているらしい。


 現場となった学校が見えてきた。丁字路の先、道の交わる地点。

 少しだけ騒がしい。どうやら校舎から体育館の方へ避難誘導が行われているようだ。通報から十数分くらいか。素早い対応だ。避難自体は粗方終わっていて、今は教師が校舎に残っている生徒がいないかと声を張り上げている。


 車の通っていない車道に飛び出す。

 アスファルトを蹴って踏み出す一歩でいつもの倍以上の距離を駆ける。身体が羽のように軽い。

 百済くだらとリカルドとはだいぶ距離が開いてしまった。構わない。振り返らない。人目につくのがどうした。なら目にも止まらぬほど速く、疾く、黒い風になれ。


 己の未熟さを知った。無力を嘆いた。絶望に、後悔に沈んだ。あの日から、あの人を失ってから、自分はどれだけ変われただろう。私は少しでも成長できただろうか。


 今の私はあの人のお役に立てるだろうか。

 それを証明するために。


 校門を抜けた瞬間だった。何か、糸のようなものが切れる感触があった。見えないゴールテープ、あるいは封鎖線でも突破してしまったかのような。


 トップスピードから一転、足を止めた。


 あの人の気配を探ろうと神経を研ぎ澄ませていたから気付くことが出来たのか、あるいは足止めのための単なるブラフか。

 いずれにしろ、この簡易的な〝結界〟を張った者にこちらの存在、少なくとも誰かが学校敷地内に侵入したことは気付かれただろう。だが問題ない。これを張ったのはあの人に違いない。さっきから感じていた気配の正体だ。学校全体かその周辺一帯に張り巡らせ、索敵を行っていたのだろう。


 しかし、なんのために?

 そんな疑問が踏み出すことを躊躇わせたが、それも一瞬。


 なんにせよ、この先にあの人がいる。


 会って直接問い質せばいい。


 ――会いたい。


 どこにいるのか、この結界の基点は不明だ。まるで靄でもかかっているかのように肝心の気配を掴めなくなった。鬼が出ているのならその強烈な悪意を感じられるはずだが、それも薄い。でも近付けば自ずと分かるだろう。当てはないが、とにかく進め。


 深く呼吸をして、再び走りだそうとした。



「――結刀けっとう



 ほとんど反射的に飛び退いた。直前まで結起の立っていた場所に薄く細い、しかしまぎれもない亀裂が走っていた。


「貴様は……、」


 そこに立っていた男は結起と同じく、機関の黒い制服をまとっている。刀を鞘に収めると、彼の腕から刀身全体を覆っていた青い光が掻き消えた。



戒無かいなかなえ……!」



 結起はとっさに自分の刀に手をかけた。


 今のは警告だ。地面に刻まれた一線。ここから先に入るな、あるいはここから先は通さないという警告。この男が本気なら、今頃自分の首はそこらを転がっていただろう。そういう点において、彼は一切の容赦を知らない。


 顔を合わせるのはこれで二度目か。この男が自分たちの元を去ってから。一度目はこちらから。そして今度は、自ら姿を現した。となればこれはもう間違いない。


 男の真意は読めない。問い質したい気持ちもある。しかし男が口を開かないことはもう知っている。


 なんにせよ一つ確かなことは。


 この先に、あの人がいる。


「邪魔をするなら、斬ってでも進む」


「…………」


 男は答えない。しかしその手は刀の柄に添えられている。特に気負った風でも、臨戦態勢に入って身構えているわけでもない。見たところ表情も醸し出す空気も平静そのものだ。


 行動が全てを物語っている。


 ――通さない、と。


 通さない、通すつもりはないが、自分からは動かない。


 舐められている。いつでもかかってこいと、そういうことか。それとも戦う気などないとでも言いたいのか。


 なるほどそれなら問答無用だ。

 この男は一つの到達点。この男を越えられたその時、私は私の力を証明できる。



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