みじかいおはなし

中村ゆい

おまつりみたい

 薄暗い夕方と夜の狭間、電車は走る。

 私は今、その電車の中の、硬いような柔らかいような座席に、だらしなくもたれて座っていた。


「ほんまに疲れたっ」


 右隣に座っている真奈美まなみが、今日何回目かわからない「疲れた」を言う。


「真奈美は昨日までとなんにも変わってへんやん。疲れたんは私と隼太しゅんたやし」


 私が、そう言いながら真奈美の頭を軽くはたく。


「そうやで。俺とかなでは窮屈なスーツやからな。パーカーのお前とはちゃうねん」


 私の左側に立っている隼太も、真奈美の頭をパコンと叩く。


「痛いなあ。あたしやって、この時間まで残ってたことないもん。二人に時間合わせて予備校出てきたのにー」


 真奈美は不満そうな顔をしているときが、一番可愛い。

 大きな目がキュッと細められるあたりとか。というか、彼女はどんな表情も基本的に可愛い。高校でも、男子から人気があった。


「まあ、私も明日からはいつも通りの地味~な普段着やけどね」

「えー、もっとオシャレしたほうがいいよ」

「いいよ、似合わへんし」

「えー」


 真奈美が、やっぱり不満そうな顔で、不満そうな声をあげた。そんなことないよ奏はスタイルいいんだからって。可愛い真奈美にそう言ってもらえるだけで、嬉しくなる。


「二人ともいーねえ。俺、明日からもスーツだったり作業着だったり服装に自由がない」


 隼太が明るい声でぼやいた。なんだかんだ言って、スーツ嬉しいんだ、こいつ。

 同じことを思ったらしい真奈美と目が合い、揃って無視して会話を続けてやると、相手してよ、と寂しそうに言ってくるから、おかしくなって真奈美と笑った。


 私たちは、高一のときにクラスが同じで仲良くなった友だちだ。

 三年間、いつもこうやって電車の中で喋りながら、学校から帰った。

 今日、四月一日。私たちはもう高校生じゃないけれど、卒業してからも会おうよという話になり、お互いの都合が合う日には駅で待ち合わせて、今までのように三人で帰ることになった。

 真奈美は高校を卒業してから、浪人生だ。京都の予備校に通っている。

 隼太は今日から社会人だ。たまたま職場が、私の大学や真奈美の予備校の近く。

 私は今日から大学生だ。京都市郊外のキャンパスまで、家から一時間弱。

 今まで通り電車に乗って、喋って、笑ってる。

 でも、完璧に今まで通りじゃない。

 あんなに高校生のときにおしゃれに余念のなかった真奈美がノーメイクなことと、明るい茶髪が目印だった隼太の髪がまっ黒なことと、地味な服装が好きな私がフリルいっぱいの派手なブラウスを着ていること。

 お揃いの制服を着ることはもうない。

 三人の服装がばらばらなことが、私たちは同じじゃなくなったんだって、思いっきり主張している。




「私、真奈美に変な態度、取ってなかった?」


 真奈美が彼女の家の最寄り駅で降りて私と隼太の二人になった直後、私は隼太に尋ねた。


「別に普通やったで。どしたん?」


 さっきまで真奈美が座っていた場所に、隼太がすばやく座った。


「いや、なんかな……私は現役で大学合格したけど、真奈美は落ちたわけやし。変に気ぃ使うっていうか。真奈美な、あんなにショッピング好きやったのに、親に悪いから服も化粧品も買うのやめるって。お金使わんように、遊んだりせんとめっちゃ勉強するんやって」

「あー、あいつ、俺らの中で一番、賢いのにな」


 なんであかんかったんやろな、と隼太が、あくびまじりにつぶやく。

 真奈美は、明らかに私よりも頭が良かった。

 定期テストだって模試だって、いつも彼女のほうが上だった。ときには学年一位の点数を取ったりする人だった。だから、目指す場所も私や隼太とは違った。

 私はそこそこ名前の通った私立大学に推薦で合格。

 真奈美は第一志望の京大に落ちて、すべり止めで合格した大学では納得いかないと言って、浪人を決めた。

 まだ予備校の授業は本格的に始まっていないそうだけど、毎日、自習室に通っているらしい。


「まあでも、真奈美なら今年は受かるやろ」

「うん」


 隼太の喋り方は、明るいけど軽くなくて、安心できる響きがある。

 隼太がそう言うのなら、きっと真奈美は受かる。

 少しの心地よい沈黙の後、隼太がおもむろに口を開いた。


「そういえばさあ、俺、真奈美に告白されたやん?」

「……ああ」


 真奈美は卒業式の日に隼太に告白して、「考えさせて」という返事をもらっていたはずだ。


「どうすんの? 返事」

「さっき奏が来る前に駅で、ごめんなさいって言った」


 予想と反対の隼太の言葉に目を丸くする。


「え、なんで? 私のことは気にせんでええよ? そりゃあ二人が付き合うことになったらちょっと寂しいかもやけど、それよりも嬉しいほうが大きいし……」

「いや、そういうんじゃなくて」


 隼太が、うーんとうなりながらうつむく。

 なんか、意外だ。私は特に好きな人もいないし、恋愛にも興味がない。

 それが幸いして、三角関係になることもなく、心置きなく真奈美の恋を応援できた。

 隼太だって真奈美を嫌いなわけがないし、きっと二人は上手くいくと思ってたんだけど。


「多分な、真奈美は来年には京大生やろ」


 隼太が、うつむいていた顔を上げて、窓の外に目をやった。


「なんか、そういうこと想像したら、無理って思った」

「無理……なん?」

「んー。俺、すっげえアホやし、釣り合わへんやん? 同じ大学にもっと賢くて、難しい勉強の話とかも一緒にできるええヤツおるやろうに、俺のせいで真奈美の選択肢を狭めたくない」

「……」

「というのはちょっとかっこつけただけで。本音言えば、真奈美が大学で、その『もっとええヤツ』を見つけたときに、捨てられるんが怖い」


 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、隼太は囁く。

 その声の響きが虚しく私の耳に届いて、私は焦った。

 こんなに元気のない隼太の声は滅多に聞くことがない。


「……でも、でもな、真奈美はそんな簡単に隼太のこと捨てたりせえへんよ、きっと。だって、隼太は隼太やもん。うちらずっと一緒にいたんやもん、隼太のいい所は真奈美やって分かってるし、そんな賢いからとかいう理由で他の人に心変わりするわけ……」

「もういいよ、ありがとう奏。お前ほんまに俺らのこと好きやな。知ってたけど」


 隼太が苦笑して私の肩をぽん、と叩いた。

 つられて私の口も、まとまりのない言葉を紡ぐのをやめる。


「それでも、怖いもんは怖いねん。だから俺は逃げた。……まあ、ほんまに真奈美のこと好きやったら、そんなん考えんと即オッケーしてたと思うし、そこまで好きちゃうかったってことや」


 隼太が、からからと笑っている。私は何を言えばいいのかわからない。ただ、黙っている。多分、変な顔をしているんだと思う。

 隼太だって、本当に真奈美を好きだった、かもしれない。

 だって、好きになればなるほど、捨てられるのは怖くなると思う。

 電車は、ゴーっと静かでうるさい音とともに走る。

 かかとの高いヒールがつらくて、私はそっとヒールから足を抜いた。




 入学してから最初の数日間、新入生の両手はサークル勧誘のビラでいっぱいになる。

 野球、バドミントン、軽音、茶道、アカペラ、ボランティア。

 授業が終わって建物の外に出た途端に、大量の人に囲まれて大量の紙を渡されて、わけがわからない。

 めちゃくちゃに揉まれつつ、なんとか人の波から抜け出して、ほっと息をついた。


「すごいねえ、サークル」


 さっきまでの授業で隣に座っていて仲良くなった女の子が、苦笑いしながら私に話しかけてきた。


「うん、びっくりした。めっちゃ強引にビラ押し付けてくるし」

「あはは。ねえ、私、映画研究会に興味あるんだけど、一緒に一回行ってみない?」

「へえ、面白そう。行こう行こう」

「すみませーん、落語研究会でーす」


 また来た。愛想笑いを浮かべてビラを受け取る。

 なんだか、祭りみたいだ。こんなににぎやかで騒がしいことって、最近なかった。

 よく大人が言う、大学時代が楽しかったって、こういうときのお祭りみたいな空気が楽しかったのかもしれない。

 真奈美は今、このお祭りに参加するために勉強しているのだろうか。どう考えても、私より彼女のほうが、お祭りに参加するのにふさわしい賢さを持っているのに。

 隼太が思っているのは、こういうことだろうか。お祭りに参加できない自分と、いつかは参加できる真奈美は、立っている世界が違うって。

 今、真奈美は予備校で勉強していて、隼太は会社で仕事をしていて、私は大学でビラの束を両手に抱えている。 

 私だけ、ここにいる。横を見たって二人はいない。代わりに知らない人がいっぱいいて、新しい友だちが少しいて、これから少しがたくさんになるのだろう。

 真奈美とも隼太とも、だんだんと離れていくんだ。

 いきなり強い風が吹いて、私や周囲の人たちの手からビラが飛んでいった。

 何枚ものカラフルなビラが空を舞う。

 青空の下のその景色、それはとても綺麗で、だから。

 私、泣きそう。

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