巫女のももちゃん、お祓いに行く
星のえる
月がきれいな夜だから
第1話
遠くの山に日が落ちる。いつの間にか空は一面ほの暗く、かすかに淡いオレンジをじわりと飲み込んでその緞帳を下ろそうとしている。薄い雲の陰に、時折白く輝く月が顔をのぞかせる。
小さな雑居ビルが並ぶその向こう側から車の行き交う音を聞きながら、少女は物憂げに川面に目を落とした。夕暮れから吹き始めた生暖かい風が、やや癖のある黒髪を少しだけ揺らす。俯くその頭上で、桜並木がさらさらと揺れる。まるで噂話に興じるあどけない女学生たちのような囁き。
少女は柵にそっと左手をおき、わずかに揺れる水面の白い影を見つめる。家路につこうと頭では考えるものの、足が重すぎる。
思わずため息をこぼして並木の枝越しの空を仰ぐ。その清浄な青白い光に慰められているような気がして、我が身の哀れを嘆く。
「 ねぇ、お月さま?私の運命の人を教えてぇ~…」
静かに、優美に光り輝くその姿に、これこそ慈愛の女神の化身なのだと静かに魅入って嘆息した。
「知りたいか。」
思わず落っことしかけた鞄を抱えて、不意の返答の主を探す。気が緩んで情けない一言をちょっと漏らしたけれど、少なくともそれが聞き取れる程度の距離には誰もいないことを確かめた上でのことだった。
声の聞こえた方向にいたのは、すらりと背の高い男だった。透き通るような白い肌に、胸の下あたりで長く艶やかな黒髪を無造作に一つに結び、色素の薄い瞳には月光が差して金色に輝いて見える。奇妙なことに時代劇でしか見たことのないようなその衣装は、金銀の刺繍がきらきらと光を返して細工の細かさを物語っている。しかし仰々しい出で立ちにも関わらずどこか納得してしまうのは、その男の顔があまりに整いすぎて、人の形をしている何かだと、本能的に感じさせるものだったからだろう。
そう、少女は数秒の沈黙のうちにそれを悟った。これは人ではない。
「えぇっとぉ…」
しかし、はたと気がつく。この、目の前の何かは自分に対して何と言ったか。その瞳から目を離せないまま、全身が緊張のあまり強張って動かず、思考がショートしかけていて、とにかく意味がわからない。少なくとも殺意は感じないが。
こういう時はどうすればいいのだろうか。張り詰めつつ、少女が頭を必死に捻って取り急ぎ出した答えは、ひとまず愛想よく笑っとこう、だった。
「こ…こんばんは?」
努めて口角を上げる。多少引き攣っているが致し方あるまい。
「元気そうだな、もも。」
「ひっ…ななな!?」
なぜ自分の名前を知っているのかと、背筋が凍る。しかし口が回らない。
「なぜと言われても。そりゃ知ってるものは知っているんだ、私は。」
伝わったらしい。
「…あなた誰」
落ち着こうと努力しているものの、茶色の瞳には強い緊張と恐怖の色が色濃く映る。男は、ももと呼ばれた少女の様子をさして心配する様もなく、平然と答えた。
「覚えていないか、まぁそれも仕方のないことだな。でもちゃんとわかったじゃないか、私が人でないことを。」
ももの瞳は再び動揺する。確かにこの男に人外のものを感じた。しかしながら、それを口に出していたのだろうか。
「そうだ、私は知っている。お前が4日前に、ふた月ほど付き合った男と別れて来たことも」
ももは明らかにぎょっとして前のめりになった。
「はぁっ!?」
光り輝く美貌が憐れみと嘲りの混じった微笑みで見下ろしてくる。
「その理由が男の二股だったことも」
「 なんっ…えぇぇぇ!?」
正しく事実であった。
「もう一つお前の知らないことも教えてやろう」
ももはごくりと唾を飲み込む。聞きたいのか聞きたくないのか、自身でもわからないほど混乱していた。しかし不思議と、その言葉を疑う気持ちは湧かない。
「実際には三股だったぞ。」
「はぁぁあ!?なんなのあいつまじふざけんなあぁぁぁ!!」
絶叫するうら若い乙女を見守る桜たちが、さらさらと笑った。
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