二巡目、調子に乗った王仙


 あの王子の魂が輪廻の波に乗った。

 待ち遠しかったような、あっという間だったような。王子は姫と良好な関係を築くも、生まれてきた子どもたちに問題があった。

 三人の子どもは聖仙リシの馬を盗んだことで恨みを買い、国は潰えた。仙人に逆らうものではない。


 王子の魂は、ある王族に生まれ変わった。それが約束された運命である。

 そして我は王子の師匠になった。また、高名な仙人のふりをして。


「ふむふむ、王子は覚えが早くてよろしい」

「そうか? まあ、俺は将来この国の王になる男だからな」


 王子は前世よりも雄々しく、より我好みの性格になっていた。その魂の高潔さは変わらず。

 立派な王にしてやろう。


「師よ。俺は仙人になることはできんのか?」


 ある時、王子は聞いた。

 王族が仙人になることはない。それこそ、この世に定められた律法神の不文律。定めたのは我だが。


「王は王として、僧は僧としてあると決まっております。極めた僧のみが仙人となれます」

「そうか……しかし、うーむ」


 王子は納得いかぬ様子で首を捻っていた。


 やがて、王子はラージャとなる。

 肩書が変わって面倒である。我の意識体マノ・ヴィヤーナにおいて奴を今生の名前で呼ぶことにする。

 しっかりやれ、ヴィシュヴァよ。


 ヴィシュヴァはある聖仙と偶然的な出会いをしてしまう。

 聖仙の誓いをヴィシュヴァは破り、大軍を率いて住処を襲うがあっさりと追い返される。

 逃げ帰ったヴィシュヴァは我に縋りついた。


「師よ! 王の力とは何と脆いものだ。何と弱く、儚いものだ!」

「ヴィシュヴァよ。嘆くでない。聖仙、それもあやつは梵仙ブラフマルシ。存在の階層からして違うのだ」


 我の言葉を受けても、ヴィシュヴァは頭を抱えたままだった。我は失望し、その場を去った。


 次の日、ヴィシュヴァは失踪していた。


 ヴィシュヴァが生きていたことは知っていたが、我は奴に興味を失っていた。王になるべく先導してやったというのに、奴は愚かにも聖仙に挑みおった。

 我は再び、退屈な日々を過ごした。


 しかし、考えることはヴィシュヴァのことばかりだ。ヴィシュヴァは元々高潔で、今生では勇猛さも身につけていた。

 あれこそ王の中の王、戦士の中の戦士。だというのに、愚かな決断に走った。


 我が千年ほどまどろんでいると、不思議な気配を感じた。

 我を引っ張る者がいる。正しくは、我の化身を呼び寄せようとするものがいる。

 我は興味が出て、化身を現界させた。それは、ヴィシュヴァの師であった仙人。


「師よ」


 目の前には、やつれたが懐かしい顔があった。


「ヴィシュヴァよ……よくもわしの前に顔を出せたものだ」

「師が俺に失望してしまったことはわかっている。だが、俺はやり遂げたのだ」


 裸だったヴィシュヴァは髪を結うと、黄衣を纏った。

 その体から迸るのは、仙人の気。我の予想を超えたことが奴に起こっていた。


「まさか、仙人になったというのか?」

「その通りだ。千年の修行を超え、俺は王でありながら仙人となった」


 神すら恐れる仙人の力。ヴィシュヴァは見事に身につけていた。

 我は驚愕と、退屈を晴らしてくれるヴィシュヴァの帰還に胸を躍らせる。


「ふむ、見事」

「師よ。あなたの正体が、俺にもほんの僅かに気取れるようになった。莫大なアートマンを持つ神か……はたまた」


 ヴィシュヴァは指の隙間から、師匠の中にある宇宙を見抜いていた。

 驚くべき、それと同時に喜ばしい成長である。


「素晴らしい。それでこそ、我の認めた人間。王の中の王……いや、王を超えし者よ。貴殿はこれより、王仙ラージャルシだ」

王仙ラージャルシ……」


 歓喜からか、ヴィシュヴァは震えていた。

 ここに王を超え、階級の垣根を破った者が誕生した。唯一無二、それも我の認めた男である。


「ヴィシュヴァよ、励むが良い」







 我がヴィシュヴァを天界に招待してから、様々なことがあった。

 奴は千年、万年と過ごし、努めた。奴の努力は次々に実り、形となった。

 神々の王との相撲に奴は打ち勝ち、時には天女と恋愛をし、双子の神にはよくからかわれていた。

 風神とは腕押しを、道徳神とは議論をしていた。

 奴の成長を我は微笑ましく見守っていた。


 しかし、奴にはどうしても成りたいものがあったらしい。

 梵仙ブラフマルシだ。かの聖仙と同一の存在に成りたかったのだ。

 そして、奴は成れなかった。


 奴は聖仙に挑んだ。

 百八の武器を用意して、そのすべてを投擲して聖仙にぶつけた。

 奴と聖仙の戦いは凄まじく、大陸は分断された。各地にはヴィシュヴァの放った武器が残され、伝説の武器として扱われるようになった。


 奴は敗れた。

 無様に負け、涙を流し、自らが梵仙に及ばないこと、至らないことを悟った。


「ヴィシュヴァ……いや、お前には失望した。これより天界に足を踏み入れることを禁じる。そして呪いをかける」


 奴はもう返事をする気力もないのか、黙ってうなずいた。


「汝の名声は消滅した……お前の魂は輪廻の荒波を彷徨うことになる。万年の時が経ち、かの聖仙くらいしかお前を知るものはいない。名声の消滅、その反証が得られなければお前は永遠に彷徨い続ける」


 かの聖仙を尋ねれば奴の名が失われていないことを証明できる。

 だが、奴はできないだろう。自分が敗れた相手に助けを請う、かつての王としての誇りがそれを妨げる。







 ある男が、巨大な亀の前で泣きながら頭を下げている。

 亀は男を穏やかに見つめ、優しい顔つきをしている。


 我はこの男を知っている。我はこの亀を知っている。

 男の名はヴィシュヴァ。かつての王、かつての王仙。

 亀の名はアクーパーラ。かつての聖仙、原初の亀。


 ヴィシュヴァを負かした聖仙は、我の下に来るとあろうことに奴を助けたいなどとぬかした。

 愚かなり。我は怒り、原初の亀として生まれ変わるのならそれもよかろうと言った。

 つまり、過去に飛び、寿命が長いだけの亀になることで再びこの現代ときまで生きろと言ったのだ。

 聖仙の立場を捨て、梵仙の功徳を無為にする。

 聖仙はあっさりとその道を選んだ。


 そうして、ヴィシュヴァはこの亀にたどり着いた。

 物知りの仙人を訪ね、フクロウを訪ね、ツルを訪ねた。

 毎回、奴はこう言う。


『あなたは私を、知っていますか?』


 すると毎回、こう言われる。


『いいえ、知りません。私より――が長生きです』


 そうして、より長寿の物知りの生物を勧められるのだ。

 奴は無限にも思えるたらい回しを繰り返し、この亀にたどり着いた。


「あなたは私を、知っていますか?」

「ええ、知っています。知っていますとも。ヴィシュヴァよ。かつての王、天界にたどり着いた王仙。あなたの名声は、このアクーパーラが知っています」


 何度も、奴らはこのやり取りを繰り返す。

 いい加減、見飽きた光景だ。我は地面から奴らに話しかけた。


「もうよい、わかった。ヴィシュヴァよ。お前のその胆力は認めよう。天界に戻ることを許そう。王仙としての力も再び与えよう」


 我がこう言うと、ヴィシュヴァは少し考えてから首を横に振った。


「いいえ、私はこのアクーパーラとひっそりと生きていきます」


 奴は我の下に帰ってはこなかった。


 そうして、奴はまもなく死に、亀も後を追うようにして死んだ。

 最期は幸せそうだった。

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