2-3
中華食堂「
本当に人さらいなどいるのだろうか、と考えてしまいそうなほどの平和。
「大狐堂の店主を信じるなら、まずはここらいでの聞き込みから始めようか」ジャックは言う。
「失踪の線をあたるか、それとも、薬を直接探すのか。どっちにしてもやることは同じか」キティが言う。「まあ、固まって動いてもしかたねえや。二手に別れようぜ」
「終わったらどこで待ち合わせる?」ジャックがきいた。
「あー、テレビ塔じゃ遠いし。ソコロフの店はどうだ? あそこなら長いこと居座っても怒られないし」
「わかった、日が傾くころには向かうよ」
「あんたも、これを持ってくれたら楽なんだけどな」キティは自分の腕時計を指差した。
「前にも言ったけど、躰に余計なものをつけるのは嫌だな」ジャックは顔をしかめる。
「まったく……、あたしは『ローズ』から当たってみるから。そっちはそっちで何か見つけろよな」
「じゃあ、また後で」
軽く手をあげて、ジャックはキティと別れた。
ジャックは裏通りへと向かうことにした。キャバレー『ローズ』があるメインの通りを左に曲がり、大きいレンガ造りの建物の裏手に回り込む。薄野で何かが起こるとすれば、こういった場所だろうかという期待が、ジャックにはあった。実際、ここは表通りとは別の世界だ。一ブロックも離れていないこの場所。同じ空を共有しているはずではあるが、空気が淀んでいる。泥で汚れた雪の上には、生ごみの小さな山ができていた。おそらく、近くの店が廃棄を面倒くさがってしたことだろう。
あたりを見回すと、それらの戦利品を漁る、浮浪者が何人か見つかった。ジャックが観察を続けていると、そのうちの一人と目があう。彼は、子供だった。
「今、忙しいかな」ジャックは近くに寄って、声をかけた。「よかったら、話を聞かせてもらいたいんだけど」
声をかけられた少年は一瞬身を固くしたが、すぐに返事をした。
「話だけ、ですか?」
「うん、話だけ。大丈夫かい?」
ジャックはそう言って、しゃがみ、目線の高さを彼に合わせた。そのときに気がついたことだが、彼の顔には殴られたような痣があった。
「買ってはくれないのですね」少年が言った。
「買う? 何を?」ジャックは尋ねる。
「一日に一回は、売って……、買ってもらわないと。パパに怒られるんです」
「ああ、なるほど」ジャックは首を横に振った。「一回いくらで売っている? 僕がほしいのは情報だけど、同じだけの額を出すよ」
「ありがとうございます」
ジャックは少年の言った額を、硬貨で払った。それは安い食堂で、一食、やっと食べられるぐらいのささやかな金額だった。
「薄野で何人も人が消えているのは知っているかな?」
「はい。僕の周りでも小さい子がたくさん消えてますから」少年は下唇を噛んだ。
「その件で、調査をしているんだけど。例えば、どこで誰が消えた、なんてのはわかるかい?」
「僕たちの家で、夜は居たはずの子が。朝になると消えるんです」
「家?」
「この奥に空き地があって、そこでみんな生活しています」
「いつからそれが起こり始めたか、覚えてる?」
「秋の終わりごろだったと思います。そのあたりにエミリ、僕の妹が消えて。それから間を開けて、何人も」
「その子も消える前は、家に居たのかな」
「はい」少年は頷く。
「そうか」ジャックは立ち上がり、言葉を続けた。「君の、家に案内してもらうことはできるかな? 消えた子供たちを追うなら、そこから始めるのが良さそうだ」
「その、すいません。あなたを連れていくとパパは怒ると思うので……」
「ええと、パパって本当の?」
「いいえ。みんなのパパです」
それを聞いてジャックは溜息をついた。「パパ」というのは話を聞く限り、浮浪児の稼ぎを集める元締めのような人物らしかった。
「家の前まで案内してくれるだけで良い。君が連れてきたとは、わからないようにするから」
ジャックは紙幣を取り出し、少年に渡そうとする。さっき渡した額の数倍だった。
「こんなに? 良いんですか?」
「君に案内してもらえないと困るんだ。今のところ手掛かりなしだからね」
「お兄さんは、あの子たちを探してくれているんですよね?」
「現状はそうだね。ただ、それ自体が目的ではない」
少年はジャックの手を、紙幣を受け取らずに押し戻した。
「お金は要りません。さっきの分も返します」少年は下を向いて、黙ってしまう。
「交渉は決裂ってことかな」
「違います」少年はジャックの目を見て言う。「あの子たちが見つかったら僕に教えてほしいんです。そうしてくれるなら、お金はいりません」
「わかった、約束だ」ジャックは頷いた。「約束をするからには名乗っておこう。僕はジャック、君は?」
「ソーヤです」
彼が歩きだしたのでその後についていく。裏通りの中ほどで、建物の隙間に入り。それからも何度か曲がった。道の途中で数人、ソーヤと同じようなボロを纏った子供とすれ違う。大人は一人も見なかった。
「大人を見かけないね」
「大人はこの辺りだとパパ以外にはいません」
「どうして?」
「パパが追い出すからです。自分以外に大人がいると、稼ぎが減るから、だと思います」
「なるほどね」
ジャックが黙るとソーヤは無言で案内を続けた。しばらく彼についていったところで、広い道にでた。薄野と大通りのあいだぐらいの場所だ。さっきまでいた裏通りからは少し遠い。
「ここに家が?」
「はい、あそこです」
彼が指差した方を見ると、そこにはテントの群れがあった。百メートル四方程度の空き地に、カラフルなテントが大小さまざまに集まっている。どれも雪を被っていた。住民たちはどうしているのだろうか、ジャックは不思議に思った。
「パパはいつもどの辺りにいる?」
「あの大きいタープのところです」
ジャックがそちらに近づこうとしたとき、目的の方向から怒鳴り声が聞こえた。
「クソったれの牧師が! カマくせぇつらで俺に命令しやがって。なにが、子供たちの幸せを願うなら、だ。ぶっ殺してやる!」
「ミスター、私はそんなつもりでは──」
どちらも大人の男の声だった。
「何事だ?」ジャックはソーヤに尋ねる。
「きっと、近くの協会の牧師さまです。このままじゃ殺されてしまいます!」
「その人は君に親切にしてくれた?」
「はい、とても」ソーヤは縋るような目でジャックを見ていた。
「わかった。見てくるから君はここで待っているんだ」
ジャックは走って、怒鳴り声の方に向かう。テントとテントの隙間の少し開けた場所で、男が二人争っていた。しかし、争いは一方的なもので、体格のいい浮浪者の男が、もう一人の細身な男を馬乗りになって殴りつけている。周りでは小さな子供たちが不安そうに、それを見ていた。
「おい」ジャックが声をかける。
体格のいい男が殴る手を止めて、こちらを見た。
「誰だお前。あー、客か? 見てわかるだろうが、今は取り込み中だ。そこで待ってな」
「君が『パパ』か?」ジャックは尋ねる。
「そうだが? やっぱりあんた、客みたいだな。我慢できねえってことなら、その辺のガキと楽しんでいてくれ」男は品の無い笑みを浮かべた。
こちらが『パパ』ならやはり、殴られている方が牧師だろう。
「すまないが、客じゃない」
「じゃあ、なんだ?」
「情報が欲しくてここに来たんだけど。まあ、ひとまず、それは置いておいて。その男を離してあげてくれないかな。ほら、可哀そうだ」ジャックは牧師を指差す。
「助けてくれ!」牧師がこちらに向かって叫んだ。
「うるせえ」大柄な男に彼は殴られた。
「あんまりやると死ぬんじゃないか?」ジャックが言う。
「そうさ、殺すつもりでやってるからな」男が笑いながら、ジャケットから折り畳み式のナイフを取り出して、パチンと刃を展開した。牧師は悲鳴を上げた。
「仕方ないな」ジャックは男に向かって歩き始める。
「おい、あんた。それ以上近づくなよ」
ナイフがこちらを向いたが、ジャックはそのまま近づいた。
「聞こえてんのか? クソっ」
男が牧師を諦めて、こちらに切りかかってきた。
ジャックは、避けずに、そのまま切られる。
コートの腹の辺りが横に裂けた。
男が一度後退する。
「次は掠るだけじゃ済まさねえ。警告は最後だぜ」
「警告? 今のが?」
男がもう一度向かってきた。
ナイフが真っ直ぐ、腹に突き立てられた。
刃が、腹直筋を抜けて、深く刺さる。
血が流れて雪を染めた。
それを見た牧師がまた悲鳴を上げる。
「俺は言ったんだぜ。近づくなってよ」男が笑い声をあげたが、それはすぐに止んだ。
ジャックが男の両腕を掴む。ナイフは刺さったままだった。
虚を突かれた男は目を丸くした。
「今のも警告か?」
腕を掴んだまま、男を持ち上げる。
腕の先を持たれているために、男の体重が全て肘関節にかかる。
「えっ? 痛い痛い痛い! 折れる!」絶叫。
さらに角度をつけて、持ち上げる。
男の足が地を離れた。
「何が望みなんだ! やめてくれ!」さらに絶叫。
「情報がほしい。質問してもいいかな?」
「なんだって教えてやる! だから放してくれ」
「駄目だ。質問に答えるまでは離さない」ジャックは続ける。「この辺りで、子供の失踪が続いている。それに関して、君が知っていることを全て教えてほしい」
「こんなんじゃ、話せない!」
「君の都合は聞いてない。自分の子供たちが消えたんだ。何も知らない、なんてことはないだろう」
「売ったんだ!」男が叫んだ。
ジャックは男を離した。男は地面に尻をつき、すぐに後ろに下がろうとしたが、足が雪を掻いただけだった。
「売った、というのは?」ジャックが刺さったナイフを抜きながら言う。
「ガキどもを売ってくれって奴が来て、そいつに金をもらって売ったんだよ!」
「誰に?」
「知らねえ」
「もう一回だな」ジャックは男に向かって手を伸ばす。
「違う! 本当に知らない! ずっと顔を隠してたんだ、あいつは名前も言わなかった!」
「あいつ?」
「俺のとこにきて、金と引き換えに子供を連れていく奴だ」
「子供はどこへ?」
「それも、知らねえよ。目的を聞かないのが条件だった」
「何も知らないっていうんだな? じゃあ、やっぱりもう一回だ」
「やめてくれよ! あっ、たしかあいつ、自分のこと『教団』だか何だかの人間だって」
「教団? 他には?」
「もう何も知らねえって!」
気がつくと、牧師の近くにはソーヤがいた。
「ソーヤ。全部聞いてたのか?」ジャックは話しかける。
彼は頷いた。
「どうしてほしい?」
「そいつを……、殺してください」
消え入りそうな声だった。俯いていて、表情は見えなかったが彼は泣いていたかもしれない。
「僕は構わないが、君は良いのか?」
ジャックが問いかけると、ソーヤは再び頷いた。
「ソーヤ! お前、恩を何だと──」
『パパ』が何か言いかけたが、その口をジャックが掴み、塞いだ。
「良いんです。本当の親じゃありませんから」
ソーヤの言葉を聞くと、ジャックは空いている方の手で『パパ』の頭を掴み。
首を捥ぎ取った。
血が噴水のように噴き出す。
ソーヤの方に目を戻すと。牧師が彼の目を手で覆っているのが見えた。
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