1-5
帰りはドレッドの案内で、日が沈む前に涅槃場を出ることができた。当然彼は嫌がったが、キティの交渉に感銘を受けて。最後には渋々ながら協力してくれた。
「案内はここまで。俺は、またしばらく涅槃場に潜る。手下を皆殺しにされたからな。とてもじゃないが、恐くて外は歩けねえ」
「一人まだ生きている」
「逃げたやつは手下に数えない」
「確かに、そうだね」ジャックは頷く。「さようならドレッド」
去り際、ドレッドは親指を下に向けるハンドジェスチャーをした。たしか、くたばれとか、そんな意味だったな、とジャックは思い出す。自分はどうあがいても、死ねない。それを考えると滑稽で笑ってしまった。
「何か面白かったか?」キティはジャックの顔を見て、不思議そうにした。
「いや、何でもない。そんなことより」ジャックは自分の服を見て言う。「また、服をだめにしてしまった。いつもこうだ。すぐに穴が開いてしまう」
「よくもまあ、白々しい。最後の方はわざと自分を切らせてたろ。洋服もただじゃないんだぜ」
「服も再生できたら良かったんだけどね」
「もう、いっそ裸で仕事しろよ。それで経費が浮くだろ」
「ああ、なるほど」ジャックは目を丸くした。「名案だ。天才だな、キティ。これからは君のアイデアを採用しよう」
「馬鹿、納得するな」
夕陽が沈む。お腹が空いた。
「今日は、外食の気分だな」ジャックは空を見ながら言う。
「収穫はなし。でも、腹は減る」キティは微笑む。「腹の虫ぐらいは、幸せにしてやらないとな」
「でも、着替えてからだな。それと、躰の弾丸も、取り出しておきたい。このまま放っておくと、さすがに気分が悪い」
ジャックは躰に力を入れる。すると、肉を抉っていた弾丸が、何かの力に押し出されて、潰れた状態で外側に落ちた。その次の瞬間には、撃たれた跡も一つ残らず綺麗になる。あとは、血の汚れを落として、服を着替えれば完璧だろう。
「いつも思うけど、どういう仕組みなんだ?」キティはきいた。
「僕にもさっぱりわからない」ジャックは答える。
「自分の躰なのに?」
「さあ?」ジャックは首を傾げた。
「いつか、金がなくて食い詰めたらさ。あんたを科学者に売り飛ばすのもありだな」
「勘弁してくれ」ジャックは笑った。
自宅を目指して歩く、途中で、ハオレンの邸宅に寄った。飯の前に、嫌な事は終わらせておこうという考えだった。今日の成果、それについて報告しなければいけない。
ハオレンの邸宅は、自分たちのアパートがある通りの真ん中にある。二人は、立派な鉄柵の門に辿りつく。キティが、門に取り付けられた機械に触れる。チャイムが鳴った。しばらく待つと、屋敷の方から、和服の女が出てきた。女は門の内側から鍵をあけ、自分たちに対して、「ついてこい」とジェスチャーをした。二人は彼女の後に続いて、砂利の敷かれた小径を進む。ゆるやかにカーブをえがく、道の左右には池が二つあり。片方には、金魚が。もう片方には大きな鯉が泳いでいた。
「今日は魚料理が良いな」ジャックが言う。
「帰りに一匹貰っていく?」キティは笑いながら言った。
事務所は日本家屋を手直ししたもので、元の建物はジパングが、まだ日本という国だったころの物だった。瓦屋根に、木の柱。そして、紙で作られた仕切り。どれも、ジャックは北介伊道に来るまでは見たことがなかった。
女が縁側に上がり、紙の壁を動かす。
「靴を脱いで、お上がり下さい」
二人はそれぞれ、ブーツを脱いで中に入る。背の高いジャックは腰を曲げて、入り口を潜る。女はそれを見て、家の奥へと歩き始めた。
畳と呼ばれる、藁を編んで作られた板が床に敷き詰められている。ジャックは裸足だったので、その感触が少し面白く感じられた。これの上で横になって昼寝をしたら、気持ちが良いだろうなと考える。こんなにたくさんあるなら、一枚ぐらい持って帰っても構わないだろう。楽しみが増えたジャックは自然と笑顔になった。
いくつかの仕切りを開けて、屋敷の奥の方へ辿りつく。
「ハオレン様、ケイティ様と、そのお付きの方をお通ししてもよろしいですか?」
女が先ほどより高い音程で言うと、中から返事が返ってきた。女は、仕切りの前で膝をつき、音を立てずにそれを開くと、立ち去った。
キティが中に入る。ジャックも後ろから続いた。部屋の中には背の低い長机が置かれており、その傍には座布団が敷かれていた。長机の向こうの座布団には、アジア系の老人が和風の着物をきて座っていた。
「よお、ハオ爺。戻ったぜ」キティが言う。
「ご苦労だった、ケイティ。それに、ジャック。貴様がついてくるとは、珍しいな」老人が二人を見て言う。低く、しっかりとした声だった。「まあ、座りなさい」
二人は座布団に座った。ケイティは正座、ジャックもそれにならう。
「ダグラスはどうだったかね」ハオレンが言う。
「やつは、金をもっていなかった」キティが早速本題に入る。
「つまり、回収はできなかったと」
「ああ。無いものは持ってくることができねえよ」
「そうか」そうとだけ言って、ハオレンは溜息をついた。
「ただ、奴が買ったものだけは手に入れた。薬の儲けをすべてつぎ込んだものらしい」
ジャックが小さなケースを長机の上に置く。ハオレンはケースをじっと見ていた。老人は興味を持ったらしい。あまりじらしても、嫌みを言われるので、留め金を外してハオレンに見えるようにケースを回した。
「これは……」
「液時計だけど、僕には価値がわからない。ただ、ハオレン。あなたなら何か分かるかもしれないと思って持ってきたんだ」
ハオレンは液時計を手に取る。それからしばらく、彼が時計を回したり顔に近づけたりするのをジャックとキティは見ていた。
「なるほど」
「それに価値はあるか? ハオ爺」キティがきいた。
「時計自体に価値はない」
ハオレンの返事をきいて、キティは見てわかるほど機嫌が悪くなった。
「ああ、くそっ。本当に無駄な労働だった」
それを聞いたハオレンが微笑んだ。
「まあ、待ちなさい。人の話は最後まで聞くものだ。時計自体に価値は無いと言ったがね。すべてが無価値とは言っていない」
「どういうことだよ?」
「中身だ」
「はあ?」
「銀色の液体で満たされているだろう。これには、価値がある」
「ただの水銀じゃないのか?」
今までの会話を聞いてジャックは、記憶の端に何か引っかかりのようなものを感じていた。初めにあの時計を見たときもそうだったが、今はもっと強烈な予感がある。
「ジャック。貴様の方がこういったものには縁があると、そう思うのだが。どうだろう?」ハオレンがジャックの目をみて言う。
銀色の液体と、ハオレンの言葉につつかれて。古い記憶が頭の中からにじみ出てきた。
「薬だな?」
そう言ったジャックの顔は、初めは無表情だったが。ゆっくりと口の端が吊り上がっていく。キティにはそれが、喜んでいるのか怒っているのか分からない、初めて見る彼の表情だと感じられた。
「そうだ、これは不死の薬だ」ハオレンが言った。
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