モンストロマン

蛙(かわず)

銀の薬

 故郷から離れた、イングランドの戦場で。男は死にかけていた。胸を貫いた矢は、やじりのところで折れて抜けなくなっている。心臓が脈を打つたびに血が流れる。血が流れるたびに、さきほどまでの激痛が、躰の感覚と一緒に消えていく。これが死ぬということか、と男は感じた。

 男の周りは静かだった。彼が倒れてすぐに、戦場の音は遠くに移ってしまった。将を打ち取った仲間たちは、皆、砦を落としにかかっているのだ。こんな、つまらない場所で倒れた、つまらない戦士を気にかける者はだれも居ない。それは仕方のないことだ。派手に戦い、派手に死んだ者だけが戦士の館へ行くことができる。だからこそ、必死に戦う。

 満足に戦えなかった、自分。戦士の条件を満たせなかった、自分だけは、戦士の館に行けないかもしれない。誰もが目指す、神の館。そこで最後の戦いに備えて、殺し合いを永遠に続けることが、すべての戦士の目標だったはずであるのに。

 先祖から受け継がれた家宝の斧は、どこかに失われてしまった。戦士の誇りである斧を失った自分には戦乙女たちも手を差し伸べないだろう。そう考えて絶望した男の耳に、足音が聞こえた。足音はゆっくりとだが、こちらに近づいている。

 男は瞑っていた目を開く。そこには若い男がいた。彼は男を見つけると、話しかけてきた。

「やっと見つけた」若者は微笑みながら言った。「こんな戦場じゃあ、君を探すのは一苦労だったよ」

 誰だ、お前は、男はそう言うつもりで、口を開いたが、ひゅう、と息が漏れただけで言葉にならなかった。

 若者は、戦場には似つかわしくない格好をしていた。道化のように派手な、緑と赤の縞模様の服。そして、背中には大きな袋を背負っている。あまりの奇抜さに、男は面食らった。奴は本当に現実のものだろうか。死に際の幻想ではないのか。こんなのが、まさか神の遣い、というわけではないだろうが。

 若者は男のよこに屈み、語りかけ始めた。

「まず、初めに。君にとって、時間は貴重なものだ。今にも死にそうなのだから、当然といえば、当然だけどね。もし、君の残り僅かな時間を、永遠に近いところまで。引き延ばせるとすれば、どうする?」若者はそう言ってから、自分の持っていた袋に手を突っ込み、何かの液体で満たされた瓶を取り出した。そして、男の顔の上で瓶を振って見せる。瓶の中の液体は、銀貨のような色をして、どろどろと蠢いていた。

「これを飲めば君は不死になる。つまり、永遠に戦い続けることができるんだ。君たち、北方人ノルマンニはそれを求めているんだろう?」若者は楽しそうに言葉を続ける。

「君はこの薬を飲むかい? 無理やりに飲ませても良かったんだけどね、それだと目的を見失うことになってしまう。君の同意は、絶対に必要なんだ。言葉が出ないなら、頷くだけで良い。さあ、どうする?」

 男は頷いた。どうせ、いまついえてしまえば、戦士の館には行けない。そうであるなら、目の前の薬に賭けてみるのも良いだろう。どんな取引だとしても、戦いをやり直せるなら、戦士としては受ける他に選択肢がなかった。

「ありがとう、君なら飲んでくれると思ったんだ」若者は優しく微笑んだ。

 彼は瓶の栓を抜き、男の頭を支えながら薬を口に流し込む。

「さあ、飲んで」

 そして、男は、口に入った銀色の液体を、ゆっくりと呑み込んだ。

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