性癖に○○しないと出られない部屋

ねずみ

ひどくない?

「…くん、……くん、助手くん」

親しんだ声を拾い上げ、ゆっくりと意識が浮上する。

ここ数日の睡眠不足もあって適度に温まったベッドは離れがたく、声に背中を向けるように枕に顔をうずめた。さらりとしたシーツの感触が心地好い。

こまったなあ、とちっとも困ってなさそうな声がのんびりと聞こえ、少しかさついた温かいものが私の頬を包んで――

「――は!?」

「あ、起きたね。おはよう」

腹筋に渾身の力を込めて跳ね起きる。スーツに赤の蝶ネクタイいつもの格好でベッドの端に腰かけていた上司せんせい がへにゃっと笑った。

ベッドも壁も床も真っ白、ついでに着ていたはずの私の服も真っ白なバスローブに変わっている。

「おはようじゃないですよどこですかここは!」

「どこだろうねえ」

「あとなんで先生だけいつもとおんなじなんですか!」

なんで私ばっかり!私だって先生の真っ白ローブ姿レアスチルみたかった!

「金庫に服と荷物が入ってたよ。君のも」

パスコードは89137564、僕の荷物は中身も無事だったよ。君も確認しておくといい。

いつもの調子を崩さない先生に肩の力が抜けた。言われた通りに番号を打ち込んで荷物を確保する。先生のいる部屋で着替えるのは抵抗があったので、コートだけ羽織ることにした。

「落ち着いたかい?」

「それなりには」

「それじゃあ本題だ」

先生がちょっと真面目な顔をした。深く刻まれた笑いじわのせいでいまいちシリアスになりきれてないんだけど、そこは空気を読んで背筋を伸ばす。

「ここが"どこ"かはわからないけれど、"何"かは既にわかっている」

そういって、先生が静かに部屋の一角を指さした。


『性癖に共感しないと出られない部屋』


「はあ!?!?」

「調査結果には当たらずとも遠からずといったところかな?」

「ハズレよりのハズレじゃないですかね!?」

「いいじゃないか、どんぴしゃりでも困るんだから」

「そうですけども!」

私たちは『セッセセしないと出られない部屋』を調査している最中だった。

喧嘩中の恋人だったり互いに苦手意識を持つ上司と部下だったり、浅くはないが深くもない関係の2人組が誘拐され、閉じ込められた部屋の条件を満たすと解放される。実際に性行為が行われたかは重要ではないらしく、"それっぽい雰囲気"になれば開錠されるとの噂だが、……まあ、どちらであっても下衆な目は向けられるものだし、生活圏内にそんなものがあっては落ち着かないのもわかる。調査の過程で先生とセッセセをする事態になる不安がなかったといえば嘘になる。なるけど……こっちのほうがひどくない?


「それじゃあ僕の推しの話を聞いてくれる?」

「推し。」

いつでものんびりした笑顔の、去勢されたパンダみたいなこの人から推しなんて単語を聞こうとは。

「君のを僕が受けてもいいんだけど、思春期の男の子にそんなことさせるのも悪いしねえ」

「その言い方止めてくれません!?」いろんな意味で人聞きが悪い。

まあまあ、とわかっているんだかいないんだか、やんわり流した先生がスマホを取り出した。ぱちぱち操作してカラフルなWEBサイトを映す。

「ここ電波あるんですか?」

「ないよ。これはスクショ。たまに画像が差し変わるから毎回保存してるの」

ガチ勢じゃん。

はい、と手渡された画面には黒目がちの男の子が人懐っこそうな笑顔で映っていた。ふわふわした色素の薄い髪が仔犬みたいだ。

「先生、ショタコンだったんですか…」

「その子、助手くんの2倍くらい生きてるからね」

「さんじゅう!?この顔で!?」

「もっと上。お酒も飲めるし髭も生えるよ。ほら」

私の手からスマホを抜き取って、ひょいひょい画面を動かしてまた戻す。やわらかそうな口髭を生やし、燕尾服を着た写真だ。似合っていないわけではないのだが、フォーマルな服装が逆にあどけなさを強調する結果になっている。

「それでも子供みたいに見えますね」

「そうだねえ。衣装の肩幅がワンサイズ大きいから」

先生はお稚児さんタイプが好みなのだろうか。今のところ全く共感できる気がしない。私のタイプは包容力のある年上だ。

「でもねえ、この子ほんとは童顔じゃないんだよ。ほらこれ5年前の宣伝写真」

そんな昔の写真がすぐさま出てくる先生がこわい。スマホの機種変したの先月ですよね。

見せられた画面はシンプルな構成のページで、その中央で少し神経質そうな青年が挑むように映っていた。真面目そうな雰囲気はそのままだが、なんというか。

「昔の写真の《こっちのほう》が大人っぽいですね……」

「この頃はねえ、まだキャラ設定が決まってなかったから」

「キャラ設定て」マンガの登場人物じゃないんだから。

「設定だよ」

先生の目がきらっと光った。事件解決の手がかりをつかんだときの顔だ。こんなところで見たくはなかった。

「この子のファンはね、僕くらいの年齢の女のひとが多いんだ。子育てがひと段落して自由な時間とお金ができて、でも新しい趣味を究める体力も情熱もないなあって人。自分に投資するより大好きな誰かに投資するのが幸せって人たちだ」

もちろん全員がそうだなんて言わないけどね、と先生は肩をすくめながら、

「ファンクラブの公式オフ会にまで顔を出すのはそういう人たちが多かった。男性のファンは珍しいらしくてね、色んな人が話しかけてくれたよ」

「はあ」

そんなところからも人脈を広げる先生の手腕に感心すべきなのか、アウェイだとわかりきった場所に突撃する先生の本気度に戦くべきなのか。

「事務所の指示なのかな、彼自身が見つけたのかな。あるとき彼は気づいたんだ、自分を応援してくれる人たちの多くは『がんばっている素直な息子』を見たがっていることにね。」

「それからは速かった。ホームページのレイアウトも会報の文体もがらりと変えて、世間擦れしていない少年が作っているような世界観になった。素直でまじめで優秀で、小さな不調を我慢して無理を重ねてしまいそうな危なっかしい少年だ。」

「狙いは当たったよ。メディアへの露出は変わらないのにファンの数は爆発的に増えた。彼が作った少年像は、庇護欲を持て余している人間が愛情を向ける先としてぴったりだった。」

「彼がすごいのはそこからだ。本業での露出はもちろん、雑誌のインタビューやラジオ番組のゲストでも徹底して設定を崩さなかった。おおよそ全ての媒体、彼の直接の友人が発信した情報からでさえ、設定と矛盾する可能性を見せないようにした。彼の持っているだろう様々な面のごく一面を取り出して、それが人格の全てだと信じられるようにだ。」

「そこには強い自律と奉仕があると僕は思う。彼は夢を見せている自負を持って、愛される子供であり続けている。その人物像が本来の彼とどんなにかけ離れていたとしても、引き受けた愛情を決して裏切らない完璧な幻想を見せる覚悟だ。人々は彼に劇薬みたいな愛を注ぎ、そして彼が愛されたぶんだけ、きっと誰かが救われている」

先生の目の光が和らいだ。この先を言うべきか迷ったのだろう。優しい人だ。

「『いつまでも無垢なままでいてほしい』なんて愛情は、生身の人間に向けるものではないからね。君だって知っているだろう?」

「ええ、まあ」

嫌というほど知っている。先生が連れ出してくれなかったら今ごろどうなっていたか。赤の他人の人生を変える覚悟をあたり前にしてしまえる人。

「だから僕は彼を尊敬している」

無機質な音でブザーが鳴った。

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性癖に○○しないと出られない部屋 ねずみ @petegene

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