大切な人の記憶だけなくなった

椎名由騎

楽しかった日々の終わり

 今日は女性が楽しみしていた彼氏とのデートの日。身支度を済ませて玄関から出かけた。彼氏との待ち合わせ時間にはまだ余裕があり、今から行けば間に合うことは女性にはわかっていた。


「じゃあ行ってきます」


 玄関先へ一言言うと、奥から母親の「いってらっしゃい」と言う言葉を聞いてから玄関のドアを閉めた。駆け足で少し急ぎながら約束した場所へと向かう。慣れた道を通りながら女性は浮かれた気持ちで向かっていると、前の信号機は青へと変わる。女性は横断歩道がタイミングよく変わったのを見て少しゆっくりと横断歩道の上を歩いていると、バイクのエンジン音が聞こえて横を振り返ると同時に激しい衝突に女性は認識するまで意識を失った。


 そこから女性は真っ暗な空間に浮いていた。ただボーっと無重力空間にいるような感じで浮いてさまよっていた。その空間にはいくつもの写真も浮いており、女性はどの写真を見る。写真は男性と女性が仲睦ましく笑っている写真が並んでいたが、その男性の部分だけが段々と消えて行く。心の中では駄目と思ってもどうして駄目なのか分からなかった。

















 そして女性はしばらくして見慣れない白い天井とベッドに横たわって点滴をしていた。口元には呼吸器がつけあられ、動こうとすると体全身に激痛が走る。痛みに悶えると、誰か男性が駆け寄ってきた。


真結まゆ!」

「?」


 そこには涙ぐむ男性の姿がそこにあった。信号無視のバイクにはねられ、頭を強く打ったこと、そしてそれから一か月も意識が戻らなかったことを男性から伝えられる。女性が何も発せずにいると、看護師を呼びにいくと言った男性に擦れた声で言う。


「……れ?」

「ん?なんだ?」


 はっきりと聞こえなかったのか、男性が少し呼吸器を外すと、女性の声ははっきりと聞こえた。


「あなた、だれ?」


 そういった女性の言葉に泣いて喜んでいた男性の表情が曇る。女性は不思議そうに見つめていると、男性は大声で言った。


「俺だよ!大山祐おおやまひろ!」

「おおやま……ひろ?」


 女性にはわからなかった。そして頭が混乱し頭痛がしてくると女性は顔をしかめた。男性はハッとしたように看護師を呼びに出ていく。その姿をボーっと見つめながらだんだんとまた瞼を閉じた。


































 この日女性は大事な人の記憶を失った。

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大切な人の記憶だけなくなった 椎名由騎 @shiinayosiki

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