白銀ノ剣士
東雲一
一 「あの日を想う」
私は、すっかり細くなった右手でお茶を持ち、すすった。庭の竹林から散り行く落ち葉を見ながら、あの日のことを思い出す。世の中は栄枯盛衰というが、こんな老いた私にも、輝かしい日々を送っていた時があった。
「じっちゃん、そんなところで何してるの?ぼうっとして楽しい?」
竹林に囲まれた庭で遊ぶ、孫のヤツギが話しかけてきた。
「少し、思い出していたんだ。昔のことを」
鹿威しの音が、ことんと響き渡り、清らかな余韻を残す。
「ふーん。あまり昔のじっちゃんのこと、知らないけど。めちゃくちゃ、強かったって父親から聞いたよ。でも、あまり、昔のことを詮索するなとも言われた」
「確かに、昔はまわりに誇れる位の実力はあったかもしれない。しかし、昔は昔。今は今。時が経てば、景色も変わるし、人も変わる。昔の話をしたところで、今ある現実が変わる訳でもあるまい。だから、強いて昔の話をしたくないんだよ」
「俺は知りたいな。もっとじっちゃんの昔のこと。昔は、勇者とかいう剣士がいたんだよな」
勇者。最上位の剣士に与えられた称号だ。
私も、勇者と呼ばれ、称賛された時があった。今となっては、勇者といっても、たいがいの者は何のことか分からぬのだろう。剣士は、数十年前に、廃れてしまったのだから。
「カグネが、そんなことを言っていたのか。剣士のことを知っても何の得にもならないぞ。忘れた方がいい」
ヤツギには、冷たいことを言うが、私は、話すことに乗り気ではなかった。つらいのだ。昔の話をすると、胸が引き締められるように苦しくなるのだ。
「話してくれてもいいだろ。だって、勇者って響きかっこいいじゃん。そんな勇者のこと知りたいんだよ」
かっこいいか......。そんなことを言われたのは、何年ぶりだろうか。
私は、ヤツギの言葉で、かつての自分を思い出していた。顔にできた幾数ものしわをなぞった。こんな老いた私には、二度とかけてもらえぬ言葉だと思っていた。
ヤツギの目は、好奇心で満ちていた。この目の輝きを失わせる訳にはいかない。私は、ヤツギの期待に答える義務感のようなものを感じ、自分の過去をありのままに語ることにした。
「そうだな。あれは、今から50年ほど前のことだったか。まだ、剣士と呼ばれたものが、いた時代のことだ」
※※※
かつて世界の形を大きく揺るがす、変化があった。残念なことに、それは、私たちにとってよい変化ではなかった。
魔物と呼ばれる化け物たちが、村に現れては村の人々を襲い始めたのだ。化け物たちの餌は、私たち人間だった。
人間以外の生き物は食べない。生きていくために、私たちを食することは理解できる行動ではあるが、だからといって大人しく食われてやるわけにもいかぬ。私たちは、すぐさま、魔物たちに対抗すべく剣術の優れたものたちが集まり立ち上がった。
不自然だったのは、魔物という化け物たちが、以前から存在していた訳ではなく、突如、出現し人を襲い始めた点だ。まるで、私たちを襲うことを目的に意図的に、魔物という生物兵器を何ものかが生み出したかのようだった。
私たちは、魔物の裏側に、それを従えるものたちがいると考え、調査を進めた。
調査が進むにつれ、魔物の裏側には自らを魔族と名乗る人々の存在が明らかになった。魔族は、人間の姿形は、似ているとはいえ、硬質な体を持ち、頭に角のようなものを生やしている。
魔族は、理由は今も定かではないが、人間に強い恨みと憎しみの感情を抱いていた。私たちもまた、人間に牙を向く魔族に対し、負の感情が生まれた。お互いがお互いを憎み合い、次第に、憎しみは大きくなっていった。
憎しみのどん底にあった世の中だ。誰もお互いに分かり合おうとはしなかった。
私もそうだ。
いつしか、私は無感情に魔族を殺傷するようになっていた。最初は、容姿が似ている魔族に、同情していたが、魔族に襲われた者たちの姿を見るうちに、私の心の中で、どす黒い何かが咲き乱れていた。
剣士だった私は、魔族を斬って、斬って、斬った。
一体、何のために斬っているのだろう。時々、自分の剣を振る理由を考えた。
私には、守るべき何かがない。きっと、私自身のために戦っているのだろう。他の誰かのためではない。自分自身のエゴのために。
魔族を倒し、多くの実績を積んだ私は、剣士最高の称号である勇者に、任命された。周りは、天下無双の剣士として畏敬の念を抱くようになっていった。
この時、私は、自分がやって来たことは間違いではなかったと思ってしまったのだ。
「勇者さま!」
「どうか憎き魔族たちを倒してください!」
戦場に出る時、村の人々たちが、そんな声を聞いて、私は内心ほくそ笑んでいた。
皆が私の存在を認めてくれている。
私の存在を求めている。
間違ってなどいない。
私は己の歩むべき道を考えず、ただ周りの称賛に身を委ね、自分の中に咲き乱れる、どす黒い感情に気づくことができなかった。
ある日、魔族から、有力な情報を得た。魔族たちを統べる魔王の存在だ。遥か向こう。いくつかの渓谷と山岳の先に、城があり、魔王がいる。
その頃だった。私の妻となる女性に出会ったのは。
彼女は、一人の魔族に襲われていた。私は、腰につけた剣を抜き、瞬時に魔族を斬った。地面に倒れ込む、魔族を見て、彼女はしゃがみこんで言った。
「どうか、次、生まれる場所が戦乱のない平和な世界でありますように」
彼女は、自分を襲った魔族に憎しみの気持ちを、抱くのではなく、魔族の幸せを願ったのだ。魔族に対して、憎しみの気持ちしか抱けなくなってしまっていた私にとって、かなり衝撃的なものだったのは言うまでもない。
なんて、彼女は美しいのだ。透き通るような心の持ち主だ。
もし、皆が彼女のように慈悲の心を持っていたなら、世の中はもっと平和で居心地のいい世界になっていたに違いない。
彼女は、立ちあがり私に「ありがとうございます」と言って、お辞儀をして立ち去る。
「待ってください」
私は、思わず彼女を引き留めていた。
「なんでしょう」
「私には、守るものがない。どうか、私にあなたを守らせてはくれないだろうか」
な、何を言っているんだ、私は!?
不意に出た言葉に、自分でも理解できず当惑した。今まで感じたことのない、温かい気持ちになっていた。
「ふふっ。面白い人ね。初対面の人に向かっていきなり、そんなこと言う人初めて」
彼女は、微笑みを浮かべると、近づいて、私の目を見て言った。
「あなたの目、きれいね。でもね、多くの悲しみを見てきたのね。悲しみに満ちた目をしているわ」
彼女の言うことは、正しいのだろう。私は、自分でも気づかぬうちに、悲しみの渦の中にいた。いつの間にか、渦の中にいることに慣れてしまい、苦しんでいるのに、苦しんでいないと思うようにしていた。
「私では、駄目ですか」
私が、真剣な眼差しで彼女に言うと、少し間を開けた後、彼女は笑い出した。
「ふふっ。やっぱりあなたは面白い人ね」
彼女は、懐から、ハンカチを取り出すと、私の顔についた血を拭ってくれた。
「女性に告白するなら、身だしなみは、しっかりしてくださいね。顔に血をつけながら、告白なんて、あまりにデリカシーがないわ」
「すみません。あなたを不快な気持ちにさせてしまった」
「別にいいのよ。本当は気にしてないの」
そして、彼女は顔を真っ赤にさせて微笑んで言った。
「私のこと守ってね、剣士さん」
私は、片膝を地面につけると、彼女の手を取った。
「はい。この命をかけても、あなたをお守りします」
桜の花びらが舞い散る夜、何もなかった私にも守るべきものができた。生きているという実感を持てるようになった。
当初の私は、自分の力を過信し、彼女を守ることができると思っていた。
後程、彼女は、シズネといって、村の商売人の娘だと知った。商売人の娘ということもあり、切り盛りするのがうまく、家のなかでは、彼女の指示のもと、家事を手伝った。家庭との両立は大変なものがあったが、一人だった時には、味わえなかった幸せを噛み締めていた。
少しして、ありがたいことに、彼女との間で、子を授かった。息子のカグネだ。
「お前の名前はカグネだ!」
私は、嬉しくてカグネを両手で持ち上げると、カグネは泣き出した。
「もう、カグネを泣かせさないでくださいよ」
シズネは、私からカグネを取り上げ、抱きかかえると、カグネはとたんに笑い出した。
やっぱり、シズネは、すごい。私には、できないことを簡単にやってのけてしまう。
魔族の力が増すにつれて、単独で、魔族の調査に出かけるようになり、家族で一緒に過ごす時間が次第に少なくなっていった。その頃から、奇妙な噂が広まった。
魔族が、妖精と契約を結び、見たこともない術を使用したというものだ。魔族たちは、その術を魔法と呼んでいた。魔族の中でも、ごく少数のものしか魔法を使用できないとのことだったが、想像を絶する被害を被ったそうだ。
私は、政府からことの真相を確かめるべく調査に行ってほしいと連絡があり、被害の出た地域に向かうことになった。
「あなた、気を付けてね」
「大丈夫さ。いつだって、無事に帰ってきたじゃないか」
「そうね。信じてるわ。早く、戻ってきてね」
シズネは、手を振って私を見送ってくれた。一人でいる時は、後ろには誰もいなかった。でも、今は妻子がいる。私に、この家に帰る理由ができた。
すぐに、調査を終わらせて家に帰ろう。私以外の勇者も複数、派遣されているとのことだ。私が出る幕すらないかもしれない。
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