古きは響く、

水;雨

第1話 ウツホ山

 先が見通せない。

 どこまでもどこまでも木また木が続き、つづく。

 出口はどこだ?

 マヨイガにでも続いているのか。

 うろ覚えの在来種の山鳥が不気味な鳴き声を渡らせる。

 息継ぎする間も無く間断なく汗が垂れ落ち足をもたつかせ。

 もう歩いているのか歩かされているのかぼうっとし。

 何をしにここまできたんだっけ?

 意識はもうただ乗っかっているだけの置物。

 そこからなんとか込められていたものを力を振り絞って引きずり出す。

 死にたい!

 そうか、死ぬために山へ分け入ってきたのか。

 死ぬために生きようとする力で奥へと進んでいる。

 あべこべの力のベクトルのバランス。

 かろうじて持ち持っている。

 リラックス効果のある森のアロマはむしろ死の気分を高めている。

 いま。

 強烈に漂う。

 マイナスイオンさえも冷気を覚える始末。

 そういえば、自分の名前も忘れた。

 たぶん、男だったはずだ。

 会社員で、いっぱしの企業に勤めていて。

 倒れないために連想を途切れさてはいけない

 辛い。

 苦しい。

 疲れた。

 頑張っても頑張っても問題は山のように立ち塞がって当せんぼして。

 趣味もただ買うだけの散財で満足して癒しを得てそれにも膿んで爛れて腐り果てて。

 酒やタバコに逃げて風俗に行って快楽に浸って紛らわせて、立ち止まってかえり見ようともしないで。

 人からは言われなかったのだけれど先に自覚が巡りめぐって来て。

 死んだほうがいい。

 山だ。

 山が呼んでいる。

 古の日本に帰ってこい、と説き伏せられている。

 帰ろう。

 土に帰ろう。

 もう飲み食いする気力さえも失せたんだ。

 あとはただ、自然に任せればいい。

 眠るように。

 そのあとは任せて糞尿垂れ流しで。

 腐って臭って朽ちていく。

 九相図。

 原爆の絵。

 ゲルニカ。

 どれもがしっくりこない。

 実感が湧かないのは…死へと移行しようとしているなによりの証拠か。

 膝を折る。

 上半身がふらつき、そのまま倒れ込む。

 枯れ葉に深く埋もれる。

 ああ、やっとだ。

 帰れる。

 …

 き、まよいが、なきごえ、あせ、なにをしに、しにたい

 くるりくるりと言葉の羅列。

 …くるしいつらいつかれた、な、に?

 最後…のは…なん…だろう?

 目の端には残骸が横たわっているのがおぼろげながら認識できた。朱。

 動けない。

 横切るものがある気配。

 …キャンプ。

 こんなところでキャンプしている人でもいるのだろうか?

 かさりこそりここりくくり

 目が…霞む…

 …

 息が




 …う…た…

 う  た  い

 流れ

 ながれこんでくる

 にほんご?

 高みにあってあどけない、けれども今にも蠱惑、魅力、魅惑が溢れ出でるような

 ウツ…ホ?

 ききとれたのはそれぐらい。

 うすらとではあるが重みのある闇が厳然と降りてくる。

 ホシ…

 下半身に違和がある。

 弄られているような、慎重そうで、いたわりのあるも、探り探りの感覚。

 女の人を、想ってしまった。

 かつて愛していたあの人。

 幸薄い人生でした。

 ぶすりっ。

 痛い、のか?

 何かが腿の辺りを突き刺さってきた。

 !!!

 入り込んでくる。

 ずにゅるずにゅり

 どくんどくんどくんどくん

 鼓動なのか入る音かはるか果ての脈動か。

 恐怖はない。

 もはやどうでもいい。

 どうせこれは前兆の幻覚だ。

 身体中を疾りぬける。

 熱い。

 酔っぱらった気分だ。

 気持ちいい。

 高まり、どこまでもいけそう。

 全能感と、際限のない欲望。

 めぐりめくる、着いた先は。

 ムスンデホシイ

 ユルシテホシイ

 ノゾンデホシイ

 それはいったい誰の。

 逆巻き、巻き込まれ、沈みながら、自我はひとつのこたえを導いた。

 めくるめく光に包まれたとばかり思っていた。

 それはあってもいて、間違ってもいる。

 これは産道。

 通るはウツホの道。

 葉のすれるかすかなふる音。

 岩から染み出す樹液。

 乳と蜜で溢れるもっと下の、下の。

 根の国は何処か。

 たどり着けそうだった。

 巡り逢えそうだった。

 なのに。


 鍔鳴り、一円に鳴り渡る。

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