魔法少女、たち

あしなが豆ふぐ

第1話

スローモーションの世界。目の前にはまっすぐこちらに突っ込んでくる暴走自動車。回避は不可能。

…今思えば、私はあの時、既に死んでいたのかもしれない。

死んでいた方が良かったのだろう。きっと。


第1話 魔法少女という、奇跡


7月2日、午前8時。照りつける陽射しは熱く眩しく、今が夏であることを全力で主張している。少女、橘(たちばな)ゆいは、今日も暑いなぁなどと考えながら、中学校への通学路をてくてくと歩いている。その後ろ姿に小走りで近づく人影。

「ゆい、おっはよー!」

「おはよう、浩美ちゃん」

ゆいに追い付き、声をかけたのは彼女の友人、和田浩美(わだひろみ)だった。

「浩美ちゃんは昨日のあれ見た?」

「んにゃ、その時ちょうどお風呂入ってたから。ゆいは見たの?」

「見た見た!すごかったよー!」

「あれ」とは、昨夜関東地方で観測された発光現象のことだ。突然、天から真昼の太陽のような強い光を放つ何かが舞い降り、すぐに飛び去っていった。だがそれは何故か人の目にしか映っておらず、各種カメラや人工衛星などのあらゆる観測機器は「そんなものはなかった」と記録している。

「あたしも見たかったなー。ニュースもネットもその話題で持ちきりじゃん。おいてけぼりくらった感じよ」

「天使、って呼ばれてるんだって!ロマンチックだよねぇ~」

「ゆい、本当そういうの好きだね」

「うん!また見たいなぁ…」

「おいおい!」

思い出しながらうっとりとしているゆいの肩を、浩美は慌てて掴んで止めた。

「赤信号!浸るのはいいけど気を付けなよ?」

「あ、ごめん…ありがと」

恥ずかしさに赤面し、信号が変わるのを待つ。

「それとも何かい?テストがそんなに嫌かい?事故って休みたがるくらいに」

「そんなんじゃないよ!もー」

今日は期末テストの日。彼女たちにとっては天使と同じくらい重要な話だ。そしてそれ以上に重要な夏休みは、もう目前に控えていた。


テストの手応えは、まずまずだった。昨夜、例の天使騒ぎがあった以降勉強に身が入らず、というか勉強そっちのけでテンションに任せてネットの情報を漁っていたので若干の不安はあったが、それでもまぁ、なんとかなった。と、思う。

(お腹すいたなー…)

テスト期間なので学校は午前で終わり、今はちょうどお昼時だ。浩美と別れた後の下校の途、ゆいは空腹感に耐えつつ、赤信号に従って横断歩道の前でその歩みを止めた。

「それでねそれでね、そんときさっちゃんがねー」

「はいはい」

左には親子連れ。うさぎのぬいぐるみを抱えた、幼稚園児くらいの女の子がはしゃいで話しているのを、母親が軽く聞き流している。かわいいなぁ、と思いながら聞いていると、信号が変わった。ゆいと親子連れは、揃って足を踏み出す。

右側から、ふわりと風が吹いた。なんとなくそちらに目を向ける。

車が走ってきた。赤信号なのに止まる様子がない…どころか、逆に加速している。

(え…)

一瞬思考が止まる。体感時間が遅くなり、全てがスローモーションになる。否応なしに理解する。この速度、この距離、どの方向にどう動いたって、もう避けられない。自分も、並んで歩く親子も。

(逃げる?無理?轢かれる?誰が?私が?この人たちも?あんな小さい子まで?死ぬの?こんな所で?)

瞬間的にいくつもの疑問符が頭の中を駆け巡る。

そして…車はピタリと急停止した。

(…?)

言葉が出なかった。それは、文字通りの意味ででも。止まっているのだ。車も、その運転席で必死な顔をしている老人も、自分も、風も、雲も、全てのものが。

<危ないところだったね>

不意に声が聞こえた。いつの間にか、自分と車の間に奇妙なものが浮かんでいる。大きさはバレーボールくらいで、真っ白で無機質な…造形としては、雪ウサギに近い、奇妙な物体。

(何?これ…)

<これ呼ばわりは酷いなぁ>

ゆいの心の声に反応した。声として出さなくても解るらしい。

<あ、それともこの現象を指して言ってるのかな?まあいいか。本題に入ろう>

その白いのはくるりと背(?)を向け、車の方を向く。

<今、僕が時間を止めているわけなんだけど、このままだと君は、この車に轢かれて死ぬか…そうでなくても重傷は免れないね>

この停止現象は、やはりこいつの仕業らしい。しかし今、それは重要ではない。重要なのはここからだ。

<でも、僕を手伝ってくれるのなら、助けてあげられる。正確には、助かるための力を与えられる。さて、どうする?>

どうするもこうするも、この状況では是非もない。だがその前に、ひとつ確認しておきたかった。

(手伝いって…何するの?)

こんな現象を起こせる奴の手伝いだ、何をさせられるか解ったものではない。内容によってはここで轢かれていた方がましだったと思えるくらい辛いことになるかもしれない。それが心配だった。

<ん?ああ、ただの人探しだよ。難しい事じゃないし、危険でもない。誰にでも出来ることだ>

本当だろうか。疑わしくはあるが…かかっているのは、自分の命だけではない。このままでは隣にいる小さな命が、その小ささゆえにあっけなく砕けてしまう。そんなのは、嫌だ。

それにゆいの心には、不安と同じか、いやそれ以上に大きな…この不思議な現象に対するわくわくが芽生えていた。

(…わかった、やるよ)

そう答えると、その白いのは何か輝くものをゆいの方へと飛ばした。その輝きは、大きさこそだいぶ小さいものの、あの夜見た天使と同じに見えた。光はゆいの体にするりと入り、吸収されていった。

<あとは、解るね。そろそろ動くよ>


ほとんど同時に、二つの衝撃音が轟いた。

「え!事故!?」

たまたま近くを通っていた女性がそれに驚き振り返ると…少し奇妙な光景が広がっていた。

横断歩道で我が子を庇い蹲る母。

その近く、路上に尻餅をついている老人。

そして、中央から真っ二つになり、左右のガードレールに突き刺さった車。

「ちょっ…ちょっと、大丈夫!?」

その光景に驚きつつも、おばさんは路上の三人の無事を確かめる。

「は…はい、私たちは…。なぎさ、どっか痛いところない?」

母親らしき女性に、なぎさ、と呼ばれた女の子は、泣き声一つ上げずに呆然と、車が突っ込んで来た方を見つめていた。そこには何もない、誰もいない。今は、もう。

「まほうつかい…?」


「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」

息を切らしながら、ゆいはバス停のベンチに腰掛ける。

「今のって、それにこの速さ…」

<両方、君の力だよ>

白いのが再び現れた。さっきの光景が脳裏に蘇る。


時が動き出した瞬間、ゆいはその力で強く念じた。車が中央から真っ二つになるイメージを。そして実際にそれは起こった。車はひとりでに割れていき、分かたれた車体はドライバーの老人を投げ出しながら、ゆいと母娘を避けるように左右へと逸れていく。危ない!と思うと同時に、ゆいの体は自分でも信じられないスピードとパワーを発揮し、老人をキャッチし道路へと下ろした。

そして…自分の力にパニクって、車がガードレールにぶつかるよりも早く、その場から走り去った。驚異的な走力で。

「私、体育は下から数えた方が断然早いんだけど…」

<それも僕が与えた力の一つさ>

「力…私に、与えられた…」

<詳しい話をしたいんだけど、ここで大丈夫なのかな?僕は構わないんだけど>

「え?」

ふと視線を感じて周囲を見回すと、通りすがりの男子がこちらに向けていた顔を逸らした。一瞬見てたその表情は、なんというか、「うわぁ…」って感じだった。

「…ねえ、もしかして、あなたの姿って…」

<君以外には見えないよ>

「声は?」

<同じく>

何もない空中と会話し、与えられた力がどうのとぶつぶつ呟く年頃の子。今の男子の目にはそう映っていたはずだ。

<君たちの言葉だと、中二病…っていうんだっけ?>

(…あああああ!違うの!確かに私いま中二だけど中二じゃないの!)

恥ずかしさに顔を赤く染める。本日二度目である。

<もうちょっと落ち着いてからにする?>

「…そうしてください。えっと…」

<ああ、名前だね。僕はマソミン。よろしくね、橘ゆい>

「マソミン…」

微妙にかわいくない名前だな、と思った。


帰宅して空腹感を思い出したゆいは、簡単な昼食を済ませて自室に戻り、ようやく一息つくことができた。

<さて、順を追って話そうか>

「…うん」

色々と聞きたいことはあったが、その気持ちをぐっと押さえてまずは聞くに徹することにした。

<事の始まりは昨夜、僕がこの星に落ちてきたところからだ>

「昨夜落ちてきたってことは…もしかしてマソミンがあの天使?」

聞くに徹すると心掛けた矢先に質問を飛ばしてしまった。

<天使?そう呼ばれてるのか。そんな大したものじゃないんだけどね。それでその時、恥ずかしい話なんだけど種子を4つほど落としてしまったんだ。あ、種子っていうのはさっき君にあげたやつみたいなの事ね>

「4つの種子…」

<薄々勘づいてるかな?4つの種子は、付近の最も適合する生物…この星ではゆいくらいの年頃の女の子みたいだね。それに吸収されてしまった。他の4人もそろそろ異変に気づいてるんじゃないかな>

「その子達を探すのが、マソミンの…使命?」

<今は君の使命でもあるね。手伝ってほしいのはまさにそれだよ>

「でも、どうやって探すの?」

<そこでさっきの種子さ。あの種子は君に3つの力を与えた。視認できる範囲の物体を切断する能力、人間のレベルを凌駕する身体能力、そして散らばった種子の探知能力。種子を探したいとイメージしてごらん>

「…あ!」

ぼんやりと、遠くに四つの気配が感じられた。

<精度は距離に反比例するから、近づくともっとはっきりわかるよ>

「そっか…それだけ?」

<それだけ、とは?>

「空を飛んだり、光線出したりできないの?」

<できないよ。さっき言った通り君の力は視認切断、身体強化、種子探知の三つだ>

「…かわいくない」

率直な感想が口からこぼれた。他二つはともかく、切断って。

「でもまぁ、それでも魔法には違いないよね」

<魔法?この星の言葉で言えば超能力っていうのが適切なんじゃ>

「魔法なの!マソミンわかってない!超能力少女より魔法少女の方がかわいいでしょ!」

女の子の多くは一度は魔法少女に憧れる。ゆいはその思いが人一倍強かった。(かわいくないけど)不思議な力を授かったからには、せめて自分の中だけでも魔法少女を名乗りたい。

私は魔法少女ゆい。

心の中で、言葉にする。テンション上がってきた。

<…まあ、どう呼ぼうとゆいの勝手だから別にいいけど>

「ステッキとかないの?」

<ないよ。足悪くないでしょ。むしろ誰よりも良いでしょ>

「そうじゃなくて!じゃあ変身アイテムは?」

<ないよ。そもそも変身なんて必要ないし>

「悪いやつと戦う使命は?」

<ないよ。さっき言った通り種子を持った子を探してもらえばそれでいい>

「ああもうやっぱりわかってなーい!」

こうして、物語は始まる。

魔法少女ゆいが誕生し、そして全てが終わるまでの物語が。


つづく

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