宿命

 それは予め解っていた事では無いか。越智姫は、頭の片隅で言い続けるうるさい自分にいい加減に吐き気を覚えるほどだった。

「う……ぐうぅぅ……」

 唇をきゅっと固く結んで、静かに座している。身動き一つせずに、目前の布団に視線を落としていた。そこには、輝きを失いすっかりくすんでしまった金髪の少年が、布団の中でしきりに動き回っている。苦痛のためだ。

「お……ち……ひめ……」

「フライン。私はここだ。ここにいるぞ。お主の傍にいる」

 時々、フラインは無意識に自分の名を呼んでいる。越智姫は、その度に律儀に答えてやり、同時にその手を握ってやる。もう、どれほどの時間そうしていたのだろう。あれからしばらくは、フラインが動ける時間は出来る限り楽しい思い出を作ろうとつくした。どこに行くにも、何をするにも今まで以上に近くで、二人一緒だった。

「あぐ……かはっ……はぁはぁ……」

 しかし、彼の病気はやはりその予定通り着々とフラインの体を蝕んでいった。今では、1日のウチ安定しているのは5分もなかった。

「越智姫様……」

「ん……。ああ、お前たちか」

 声をかけられて気がついたが、どうやら日が落ちているようだった。フラインは相変わらず苦悶の顔を浮かべて、額に汗している。越智姫は傍らに置いていた桶から手ぬぐいを取り出すと、丁寧にフラインの汗を拭ってやった。

「越智姫様、どうか、ご休憩をお取りください。このままであなたが……」


「私はフラインの傍を離れとうない。お前たちが心配をしてくれているのは解っている。だが、私にはフラインが全てがなのだ」

 真に心の底から繋がる事の出来た相手の傍を、越智姫は片時も離れる気はなかった。

 亡者達は、この二人に一体何をしてやれるのかと考えた。これでは、自分達よりもよほど死人に近い。越智姫の体力が限界を越えているのも解っている。彼女は、気力だけで動いているのだ。本来ならばいつ倒れてもおかしくないのに、そんな素振りは微塵も見せない。だが、フラインから少しでも離れる事があれば、越智姫はすぐに倒れてしまうだろう。何と言ういびつな形なのだ。亡者は、これが本当に現世の光景なのかと疑った。

「では、お夕食は必ずお取りください」

「ああ、そうだな。いつも通りフラインの分も頼む」

 フラインは自分で食べる事が出来る状態ではなかった。フラインの分のお粥を、越智姫が口移しで流し込んで食べさせているのだ。影達は、フラインの病気が伝染するものではないと知っていたために、それをあえて止める事はしない。

「おち……ひめ……」

「私はここにいるぞ、フライン。もうすぐ、夕食だからな……」

 影達は、そんな声を背に、二人分の夕食を用意していた。このままではジリ貧なのだが、だからと言って解決策があるわけでもない。越智姫自身、何度もフラインを自分の国へ帰るように説得した事もあった。やはり、愛する者が苦しみにまみれているのは耐えがたかったのだろう。だが、フラインはそれを頑として受けいれなかった。もし自分の意識がないウチに送り返すような事があれば、越智姫を絶対に許さないとまで言った。越智姫は、耐えるしかなかった。しかし、そうまでして自分といる事を選んでくれている事に、そこまで思われている事を、不謹慎にも幸せに思う。

「ぅん……あ、れ。おちひめ?」

「おはよう、フライン。と言ってももう夜だがな」

 久しぶりに目を覚ましたフラインに、越智姫は穏やかに笑いかける。

「そう……か。また……」

 悲しそうに呟いたフラインに、越智姫はできるだけ優しい声音で言った。

「気にする事はない、フライン。私達は恋人ではないか」

「うん……、ありがとう。ああ、そうだ、忘れていた」

「ん?」

「う……、たんす、の、3段目の、奥……に、ある、紙袋……を……」

「ああ、解った。すぐに出す」

 今日はまた、意識のある時間がもう終わろうとしている事を悟り、越智姫は素早くタンスに向かう。3段目を開けると、確かにそこに見覚えの無い紙袋があった。

「フライン、これだろう。ほら、これをどうするのだ」

 持ってきた紙袋をフラインにしっかりと握らせる。しかし、フラインは手を開こうとして、それをそのまま越智姫の方へ力無く押した。

「開けて、それを……君に……」

「わ、私に……? 私にくれるのか……?」

 驚いている越智姫に、ゆっくりと頷く。越智姫は、急いでその紙袋を開けると、中から出てきたのは一枚のカードだった。二つ折りになっていて、それを開いてみる。と、同時に音楽が鳴り始め、そこには―――。

 ヘタクソなひらがなで、"かわいいぼくのこいびとへ、いつも ありがとう"と書かれていた……。

「その曲……は、愛し……の我……が家って、曲……、ぴったり……思って……」

「あり……がとう、私こそ……フライン……!!」

 もう限界が近いだろうフラインも、また、必死に伝え様としていた。

「多分、これが……最後、だから……」

「え―――」

「いま……まで、本当に……あり……がと・……」

「フライン!! フライン!! しっかり、しっかりするのだ!」


 握りつぶしかねない程に、フラインの手を強く強く抱き込む。顔は涙でべたべたに濡れていた。

「嬉しかった……嬉しかった……」

 フラインの目尻から、つうと涙が流れる。その顔は、本当に楽しそうな、笑顔で。

「私だって嬉しかった! 楽しかった! まだ終わりにしたくない、フライン!」

「がああっ!? がふっ……うぐぁ……くああぁ……」

 越智姫の言葉に返ってきたのは、断末魔の咆哮。終焉は来た。そう、これで本当に最後になってしまったのだ。フラインはこの先、ずっと苦しみの中で目覚める事もなく、永遠に生き続けるのだろう。傍らに自分がいることすら、解らずに、孤独の闇を生きるのだろう。

「いやあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ!!?? わあああああああああ!!?? ああああああああああああーーーーーーーーーーっっっっ!!??」

 何も映らぬ瞳を見開き、喉が裂けるほど、力の限り、越智姫は雄叫びを上げた。およそ人間のものとは思えないその咆哮は、絶望の深さを如実に物語っている。

「越智姫様!!」

「ああああぁぁぁぁぁっっっっっ!!」

「くっ、失礼します!」

 影が越智姫の頭を取り込むように覆うと、途端瞳と口を閉じ、その場にくずおれた。雄叫びの残響がわずかにあったが、それもまたすぐに消えて、残るはフラインのうめきだけだった。

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