過去 死の源流
気がついた時には、誰もいなかった。だだっぴろい部屋に、自分だけがいた。いつもわらわらとまとわりついてくる、黒い変なもの以外は、自分しかいなかった。
まず、言葉を習った。襖の向こうから声がして、それに合わせて言葉の練習をした。あなたは姫なのだから、それに相応しい言葉遣いが必要だと。そう言われ続け、その通りにした。他に何もすることがなかったからだ。
たまに、どうしても襖の向こうにいる誰かに会いたくて、開けようとする事があった。だが、その時は襖に手をかけただけでとてつもない力に弾き返された。そうして、それは触れてはいけないものなのだと解った。
やがて、影達が自分と話したがっている事に気がついた。試しに呼んでみると、途端堰をを切ったように口々に好き勝手な事を喋り始めた。一度に複数を相手に話したことの無い自分には、それはとてもショックを受け、苦労する出来事だった。やがて、それにも慣れて、影達から色々な事を教わった。自分はこの陰の院の最奥に閉じ込められている死神なのだと、そして、死神は次代の死神が生まれるまでここを出られないと。それを知っても、越智姫はただその事実を受け入れた。何しろ、ここから出ることは叶わないというのは、それこそ物心ついた頃から解っていた事だ。親という概念は解らないし、他人というのも今一解っていなかったが、そのどちらにも、自分は絶対に会えないのだと言われた。
「のう、先代の死神はどうなったのかのう」
ある日、その事を影達に聞いてみた。影達は、その時、越智姫が始めて見る程動揺していたのを良く覚えている。
「先代の事は、お聞きにならないで頂きたいのです」
珍しく口をつぐむ影達に、越智姫は訝しんだ。大抵の事には答えてくれるのに、何故、先代の事は聞かないで欲しいなどと言うのか。
「一体なんだというのだ」
「先代様についてお話しするのは、全くあなたの為にならないことです」
影達が、隠し事をしようとした事に対して、越智姫は軽い苛立ちを覚える。
「それを決めるのは、この私だ。さあ、言うのだ」
「しかし……」
「ええい、くどい! さっさと喋らぬか」
「後悔しないと、言えますかい?」
脅しのような影の言い様に、越智姫は即答した。
「当然だ」
「そこまでおっしゃるなら……」
しょうがない、と言ったように渋っていた影が、意を決したように口を開いた。
「先代の死神様は、あなたの実の母君です」
「私の……母上?」
あまりに予想外の言葉に、越智姫は目を丸くしている。そして、やはり最後まで迷っている風にしていた影だったが、結局、より衝撃的な告白をした。
「先代の死神様は、越智姫様をお生みになることで、死神の役目を終えました」
「それは、どういう……事だ?」
言っている意味がわからないというように、不安そうに影をじっと見詰めた。
「死神様は、通常人間と同じように子を設ける事ができます。しかし、死神様はお一人でも、人間と交わる事無く子を設ける事が出来るのです。そしてそうした場合、生まれてくる子は間違いなく女子で、間違いなく次代の死神であるのです。」
「では、では母上は……」
困ったような、泣きそうな、半笑いのような表情を浮かべる。その唇はわなないていて、そこから発せられる声もまた、彼女の心を現すかのように震えている。
「母上は、ご自分の役目を終えるためだけに私を生んだと……そういう事なのか?」
「………………」
影達は痛ましそうな沈黙をもって答える。
「越智姫様。あなたさまもまた、もう充分な年を経ました。その方法を取れば今すぐにでも――」
「バカにするでない! 自分の業を、血を分けた子に押しつけるなど……バカにするでない!」
「越智姫様・……………」
「バカにするでない――うっううううっ――」
越智姫は、生まれて始めて泣いた。親など、最初からいなかったも同然だったにも関わらず、それでも、自分が生まれてきた理由がそのようなものだったと知って、越智姫は心臓がつぶれるかと思うほど痛かった。その痛みは涙としてとめどなく流れ続けた。そして。彼女は、それ以来、希望と言った言葉が自分と一番縁遠いものだと考えるようになった。
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