第8日 改まって女の怖さ



私は女という生物がよくわからない。



例えば犬のオスメスや、魚のオスメスなど、せいぜい見た目がちがうくらいで行動のルーチンなどはそこまで変わらないあの生物学に乗っ取れば、女という生物は人間という生物の中に存在する雌雄の差であるのだが、私はほんとうに女という生物がなんであるのかがわからない。


そもそも、他人という存在が私はよくわかっていない。

うわべで私のことを好いているような考えを展開しているようではらのなかで嫌っているなど、人間として生きる上でもはや捨て置けない技術であって、他人を欺いていることこそ人間の証明であり他人への理解を難解にしている一種の理由でもあると思う。


そんな難解でしかない人間という生物のメスが、どうあがいても私にはわからない。


そもそも私は女という生物ではないので、わからなくて当然であるともとれるが、女心という言葉がある以上、定義か何かがあってもいいと思う。

だが、そんなものはない。

人それぞれであって傾向の一つもない。

ただ、

【これはあるある】

と納得できる大まかな分類があるだけである。


女という生物は、

くっちゃべるのが大好きにみえる。

クソどうでもいいことを1時間も話すだけのお茶会だの、息子の授業参観なのに息子ガン無視でとなりのママ友と喋る害悪なクソババアだの、見ていて虫唾が走る。目の前に急に現れ口元にガムテープを貼り付けたい衝動に駆られる。

そのくせ他人との異常な関わりを避けたがる。


どこまでも自分勝手だ、まるでガキの心を忘れていない。

50のおばさんがなにが女子会だ、最後に女子って呼ばれたの四十年前だろうが。


ただ、こんな事を言っていては結局、

我々男性という存在が弾圧される未来しかない。


女性が活躍する社会がどうとか言っているが、あくまで女性と男性という性の違いなのであるから我々の立場は一本の直線上にある必要がある。

女性専用車両を作るなら男性しか乗れない部分を作るとか、そういう問題ではなくて、初っ端から女性専用などというくくりを取っ払うべきだ。さすがにトイレやら更衣室やらは道徳として分けておくべきだが、電車で性犯罪が起こるような日本がおかしいのだ。

逆セクハラという言葉がそもそも気に入らない。

逆ってなんだ、

男が女されてもセクハラだ、犯罪だ。

「そういうの好きでしょ」

ではない、好きかどうか以前に犯罪だ。

クソ。






普通に生きているだけでこんな事を考えさせられるなど、女という生物は恐ろしい。













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る