第17話 訪問

 今回で先輩の家にくるのは二度目になるが、いざ家の前に立つと不思議と緊張してしまってインターホンを押すことが出来ない。


「はやく押せよ。知らない仲でもあるまいし」


「わ、わかってるよ」


 チャイムを鳴らす。しかし、忙しいのかすぐには誰も出てこない。ふと、視線を上げると破れたカーテンの隙間から先輩が覗いているように見えた。


「誰もいないのか」


「いや、たぶんいると思うんだけど」


 もう一度インターホンに指を掛けたとき、スピーカーから女性の声が聞こえた。


「はい、どちらさまでしょうか」


「あ、突然すみません。一成高校の黄竹と申しますが、真咲さんがご病気だと伺ったものでお見舞いにと」


「あらそうなの。ちょっと待ってて」


 スピーカーが切れると、玄関から先輩の母親が出てきた。


「どうも、はじめまして」


「こんにちわ、真咲さんの友達の高崎です」


「はじめまして。さ、どうぞ上がって」


 リビングに通されると、お茶を用意してくれた。


「それで、真咲さんが病気で休んでると聞いたんですけど」


「ええまぁ、そうなんだけど。別に風邪を引いたとかではないんだけどね」


「てことは、他にどこか悪いとか」


「うーん、何て言ったらいいか。とりあえず真咲も友達に会ったら元気になると思うから、会ってやってくれないかしら」


「ええ勿論」


 母親の後ろ続いて階段を上っていく。部屋の前まで来ると母親がノックをして声をかけた。


「真咲、友達が来てるわよ」


 しかし、中から返事はない。ただ、布の擦れるような音だとか、そういった人気わ感じることはでき、中に先輩が居るのは明白であった。


 今度は少し拳に力を入れてノックをして、言葉の端々を少々尖らせながらもう一度先輩の名前を呼ぶ。


「真咲! 聞いてるんでしょ」


 すると、中でたしかに人が動く音が聞こえ、扉が何か重いものが寄りかかったように軋んだ。


「今は誰とも会いたくない!」


「何言ってるの! 折角来てくれたんだから顔くらい出しなさい」


「あの、あんまり体調が良くなさそうならまた出直してきますから」


「でも」


 その申し訳なさそうな表情を向けられると、何も悪いことをしていないのに謎の罪悪感が襲ってきて、ますます居心地が悪くなる。


「っし、こう言うことは任せてください」


 それまで後ろで見てただけだったのに、僕を押し退けて高崎が前に立った。


「そう? ならお願いしようかしら」


 どうやら先輩の母親もこの数日なかなかに苦労していたらしく、高崎の提案を渡りに船といった様子で快諾した。


 それから二人と一人と、扉を挟んだ奇妙なやり取りが始まった。


「どうした、風邪でもないのに引きこもっちゃって」


「別に」


「別にってことはないだろ。折角友人が遠路はるばる遊びに来たってのに顔もみせないなんて随分な対応じゃないか」


「いや、それは、悪いと思ってるけど」


「けど?」


「けど、それとこれとは別! 今は誰とも会いたくないの! それに遠路てほど遠くないくせに」


 声のトーンや軽口からしてどうも体調が悪いようには思えない。となると、反抗期でも到来したか、学生特有の何かを発祥したか。


「どうであれ、連絡したんだから返信の一つくらい寄越したっていいだろ。それとも連絡出来ない理由でもあるのか?」


 そう聞くと、先輩はすぐには返事をしなかった。高崎も先輩を気づかってか返事の催促はせず、じっと扉に聞き耳を立てている。


「......壊れたのよ」


 扉越しにギリギリ聞こえるような、か細い声でそう答えた。


「壊れた? スマホがか」


「私、何もしてないのに、ちょっと触っただけなのに、それなのに壊れて」


 先輩の声が震える。先程とは明らかに様子がかわり、力なくうなだれる先輩の姿が目に浮かぶようだ。そんな雰囲気を察知したらしく、高崎も声のトーンを下げてやり取りを続けた。


「なにもしてないのにスマホが壊れるなんてよくあることだろ。そんなに気にするなよ」


「そういうんじゃないの。動かなくなったとか、電源がつかなくなったとかそれだったら私だってこんな」


 そこまで言って先輩は言葉を止めてしまった。高崎のそばによって扉に耳を付けると、先輩のかすかな息づかいが聞き取れる。それは浅く、速く、不安と緊張が伝わって来る。


「先輩、別に僕たち先輩を責めたりしてるわけじゃないんです。だから、落ち着いて、ゆっくり話しましょう」


「そうそう。それに、こいつなんか真咲がいつ来てもいいように、毎日部室に通ってたんだから」


「ちょ、別にそれは今関係ないだろ」


 すると、抑えたような笑い声と共に扉がカタカタと音を立てた。


「先輩?」


「ううん。ありがとう、なんだかちょっと元気が出てきたかも」


「そりゃよかった。なら」


「でも、やっぱり私学校には行けない」


「どうしてですか。無理矢理学校に来いなんて言いませんけど、でも、病気じゃないならせめて理由を教えてくださいよ」


「そうだぜ。知らない仲でもないのに、こいつが信用出来ないってんなら席を外させるけど」


「そんなこと言わないで! 二人とも大事な友達なんだから」


 先輩は声を荒らげ感情を露にした。予期せぬ展開に、それまでヘラヘラとした表情だった高崎は目を丸くして、それから、ばつの悪そうな顔でこちらを見た。


「わ、悪かったよ。ちょっと調子に乗りすぎだったな」


「あ、いや、ごめん。そんなつもりじゃ」


 気まづい雰囲気が作り出す、水を吸ったような静寂がしばらくの間続いた。今日はこれ以上なに発展しなさそうなので、それとなくお開きの方向に話を進めることにしよう。


「先輩、わけは話さなくてもいいです。ですから、少しだけでいいんで顔を見せてくれませんか? 先輩の無事な姿を見たら今日は安心して帰れますから」


 これで先輩が拒否するようなら、今日は素直に帰る他ないだろう。


「わかった。でも、ちょっと待って」


 意外なほどあっさりと承諾してくれると、中から何やら引き出しを開けるような音が聞こえてくる。そして、鍵の開く音がした。


「いいよ、入ってきて」


 ドアノブに手を掛け中に入ろうとする。前にも入ったことがあるはずなのに、今日はなんだか異様にノブが重い気がする。


 扉を開けると、電気も点けずにテーブルを挟んだ反対側に先輩は立っていた。カーテンの隙間から漏れる光がうっすらと辺りを照らす。髪は乱雑に暴れ、いつものような明るい姿はそこにはなかった。


「先輩......」


「来ないで」


 その声に反射的に踏み出した足を留める。


「ごめん、でも、絶対にこのテーブルより先に来ないって約束して。じゃないと、部屋には入れられない」


「わかりました」


 僕と高崎は中に入ると、扉を閉めて壁に沿うように立った。


「随分暗いな」


「あんまり、見られたくないから。お風呂にも入ってないし」


「それで、何があったんですか」


「それをね今から見せるよ」


 そう言うと、テーブルの上に置いてある貯金箱を、まるで卵でも掴むように優しく手に取ると、手のひらに乗せて胸の高さまで持ち上げた。その際、貯金箱がカラカラと音を立て、中に硬貨が入っているのが分かった。


 先輩がそれを片方の手で握ると、最初からそうだったかのように、中身と共に握り潰された金属の塊が出来上がった。


「私、こんなんなっちゃった」


 先輩が力ない笑顔を見せた。僕も高崎も言葉が出てこなかった。

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