第16話 英雄

 その登場は突然であった。

 英雄であり、梔子の主である『絶花』の当主。

 絶花 サヤは朧と黒咲 ユウの戦いに割って入ったのだった。

『サヤ様の命であれば、この朧に異存はありません』

「先生がそう言うなら、俺も異存はない」

 英雄の登場に、かつての師弟は共に矛を収める。

「ありがとう二人共」

 朧と黒咲 ユウが戦闘を停止したのを確認すると、サヤもまた彼等の前に出現させた剣を消した。

「朧さん。あなたがここにいるのは、お爺様の命令ですか?」

『はい』

「……お爺様に報告しますか?」

『はい』

 『ですが』と朧はその機械の瞳を、黒咲 ユウに向けた。

『不覚にも脚部に損傷を受けましたので、その修理を行わなければなりません。鉄心様への報告はその後になってしまいます』

「朧さん……」

『なので一時間程であれば、今回の件が鉄心様のお耳に届きますまい』

「ありがとうございます」

『いえ、それでは私はこれにて失礼いたします』

 そう言うと、朧の姿はうっすらとぼやけていき、瞬きの内にその姿と気配を消した。

「ありがとう梔子ちゃん。私の願いを聞き届けてくれて」

「い、いえ!……黒咲の者として当然の事をしたまでです」

 突然名を呼ばれ、びくりとする梔子であったが、敬愛する主からの礼に頬を緩ませる。

「ありがとう。それでお願いついでなんだけど……」



「ユウ君と二人っきりにさせてもらえないかな?」



 先生との戦闘を無粋な乱入で中断させられた俺は、当初行く予定だった理事長室に案内された。

「まずは傷の手当をしないといけないね」

 部屋に入ると、何を思ったのか、絶花 サヤがこちらの傷口に触ろうとして来たので、俺は近付こうとしてきた英雄を視線で制した。

「……必要ない。それ以上近付くな」

 先程の戦闘で傷ついた手を制服のポケットに突っ込ませながらそう言うと、黒咲 サヤは首を横に振った。

「必要だよ。ユウ君だから大丈夫だと思うけど、首の傷だって決して浅い傷じゃないはずだよ」

「もう止血は出来ている」

 それを証明する為に、俺は首の傷を押さえていた方の手を離し、英雄に見せつけた。

「……ほんとだ。もうほとんど治ってる」

「分かったのなら、余計な事はせずに要件だけを済ませろ」

 片手もポケットに突っ込むと、俺はソファーに座らずに壁にもたれかかった。

「わざわざ俺を呼んだんだ。何かあるのだろう?」

「ああ、うん。それはそうなんだけど……」

 ちらりと、絶花 サヤは俺ではない方を見る。

「私の事はお構いなく」

 そこには銃を構えた梔子が立っていた。

 当然、その銃口は俺の頭に向いている。

 先程絶花 サヤの言葉に梔子は首を横に振った。

『黒咲 ユウは危険です。英雄であるサヤ様がこの男に遅れを取ること等万に一つもないと存じおりますが、護衛としてこの梔子を傍に置いて下さい』

 有無を言わせぬ迫力と、ここまで無理を聞いてもらったという負い目があったのだろう。絶花 サヤは梔子の同室を許した。

 だというのに、今は気まずそうに梔子を見ているのだから、始末が負えない。

 だからあんたはヘタレなのだ。

「あの、その、ユウ君?」

 梔子のいる手前、馬鹿正直に喋る訳には行かないのだろう。

 絶花 サヤはかなり言葉を選んでいるようであった。

 だが生憎今の俺はそれを待ってやれる程、お人好しでなければ暇でもない。

「昨日の『魔女信仰者』の襲撃事件の調査に進展はあったか?」

「え、いや、特に報告は聞いてない……かな?」

「そうか」

 1日が経っても新しく分かった事はない……か。

「黒咲 ユウ。何故今それをサヤ様にお聞きするのですか?」

 そんな事は自分に聞けばいいと、視線で訴えて来る梔子に俺は肩をすくめる。

「確かに本来ならそれで問題ないが、こいつら絶花の場合は別だ」

 なんせと、俺は絶花 サヤを睨みつける。

「隠し事が多いからな。敵にも

「!」

 絶花 サヤはびくりと身を竦ませると、俺の目から逃れるように視線を逸らした。

(変わらないな……やっぱり)

 その事に微かな失望を抱きながらも、俺は黒咲 サヤに背を向けた。

「ユウ君? 何処に行くのかな?」

「決まってるだろう? 帰るんだよ」

「え?」

 ……そこで驚かれる方が驚きだよ。

「要件はもう済んだからな。ここにはもう用はない」

「な……本気で言っているのですか!? 黒咲 ユウ?」

「当然だ。言っただろう? 俺はここにダンテ・アーリーとして来ている。間違っても黒咲 ユウとしてではない」

 だから帰るのだ。英雄と仲良くするつもりなど、毛頭ない。

「待ってください!」

 部屋を出ようとした俺を遮るように、梔子は立った。

「いくらなんでもあんまりではないですか?」

 事情を知らない梔子からすれば、絶花 サヤに対する俺の態度は酷いと感じたのだろう。

 こちらを非難する目を隠そうともせずに向けてくる。

「裏切り者であるあなたにサヤ様が冷たく当たるのなら分かりますが、何故裏切った貴方がかつての主であるサヤ様にそのような態度が取れるのですか?」

「……知らない方がいい」

 もし知ってしまえば、黒咲として絶花に仕える事など出来なくなる。

(ある意味で、今の梔子が一番幸福なのかもしれないな)

 ただ純粋に主の為に尽くし、生きる。それは従者としては紛れもない幸福だ。

「お前は今のままが一番いい」

 だからそれ以上踏み込んでくるな。

 来てしまえば、見てしまう事になる。

 途方もなく深く、醜く濁った人の闇を。

「勝手な事を言わないで下さい! 裏切り者であるあなたに、とやかく言われる筋合いは――」

「もうやめて梔子ちゃん!」

「サ、サヤ様?」

 普段は温厚な絶花 サヤの突然の大声に驚いたのか、梔子は開いていた口を閉じた。

「違う。違うの梔子ちゃん」

「違う? 何がですか?」



んだよ!」



「!?」

「え?」

 驚いたのは、俺だけではなかった。

 梔子もまたサヤの言葉に驚き、目を見開いている。

「何を考えている絶花 サヤ! 」

「本当の事でしょユウ君!」

 ヒステリックに叫ぶサヤは明らかに正気ではない。

 俺と話している内に押さえ込んでいた感情が流れ出したのか、



「だって裏切ったのはユウ君じゃなくて――」



「それ以上言うな!!」



 決定的な一言を言おうとした絶花 サヤを止める為に俺はかつての呼び方で彼女を呼んだ。

「あ……」

 それが功を成したのか、手遅れになる寸前で絶花 サヤは押し黙った。

「ユウ君。私――」

「黙れ」

 それ以上喋るな。

 絶花 サヤを英雄と信じている梔子の前で、あんた達『絶花』の本性を知られる訳にはいかないのだ。

「これで分かっただろう絶花 サヤ。俺とあんたはもう仲良くお話が出来る立場でも、状態でもない」

「ユウ君……でも私は――」

「サヤお嬢様、あんたは英雄だ」

 英雄でなければならないのだ。

 でないと、俺に殺されたあいつらが浮かばれない。

「そして今の俺は裏切り者で、魔女の宿敵兼弟子なんだ」

「それを忘れるな」と念を押すと、俺は今度こそ部屋から出るために、歩を進める。

「待ってユウ君!」

「!?」

 駆け寄ってきた絶花 サヤが後ろから肩に触れて来る。

 それは無意識だったのであろう。

 だがそれは――



『助けてユウ君』



 俺にとって思いだしたくない記憶を思い出すのには十分であった。



「俺に触るな!!」



 振りほどいた。

 無意識の内に、全力で。

「――ユ、ウ君」

「その呼び方もやめろ!」

 悲しそうな顔を浮かべる絶花 サヤに、俺は心の奥底からどす黒い感情が沸き上がって来るのをはっきりと認識した。

(こうなると分かっていたから、会いたくなかったのだ)

 何故それが分からない!? 分かってくれない!?

「俺がここにいるのはダンテ・アーリーとしてだ。かつてのお前の護衛じゃない」

 だからこそ、

「もし、黒咲 ユウがこの場にいるのなら、お前に言う事はただ一つだ」



「英雄であり続けろ」



「!」

「それだけが5年前のあんたの罪を償うただ一つの方法だ」

 


 それだけを言い残すと、俺は今度こそ部屋を出ていくのであった。



(どういう、ことですか?)

 感情的となった絶花 サヤと黒咲 ユウの顔が頭から離れない。

「サヤ様……」

「……ごめんね梔子ちゃん。少し一人にさせてもらってもいいかな?」

「はい」

 梔子は静かに頷いた。

 聞きたいことは山ほどあったが、頷くしかなかった。

「ぅ、あぁ……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいユウ君……」

 それほどまでに絶花 サヤが弱りきっていた。

(こんなサヤ様、見たことない……)

 そこには魔女を倒し、世界を救った英雄も、始業式で学生達に語りかけていた理事長としてよ姿はない。

 俯き、静かに嗚咽を漏らす幼い子供。

 不敬だとは分かっているが、梔子の目には今の絶花 サヤの姿がそうとしか見えなかった。

(一体、五年前に何があったというの?)

 謎は深まるばかりだ。

 答えは得られないままに、梔子もまた静かに理事長室を退室するのであった。




 ……結局あの後、授業に帰る気にもなれなかった俺は、ねぐらである山奥の元廃墟に帰った。

 そして何をする事もなく、自室のベッドの上でただぼんやりと天井を眺めていた。

 思い返すのは黒咲 サヤの顔だ。

 悲しそうで、こちらに縋るような顔。

 彼女が何を求めているのかを、俺は分かってしまった。

 だからこそ許せなかったのだ。

 それを許してしまえば、俺は――

「ダン? いるのでしょう?」

 普段はノックなどしないくせに、こういう時だけ気遣いを見せて来る。

「ああ」

「入っていいかしら?」

「駄目だ」

「よし。入るわね」

 だがまあ、強引なのはいつもと同じだが。

「俺は断ると言ったんだが?」

「ええ。だからこそ入ったのよ」

「どういう理屈だ」

 まるで意味が分からんぞ。

「あなた、本当に辛い時は一人になろうとするから」

「……」

 こいつは……

「お前のそういう所が、俺は嫌いだ」

「あらあらごめんなさいね」

 嫌いと言われているにも関わらずに、アトは意に介さず、ベッドの上に上がった。

「なら、嫌われついでにもう一つあなたが嫌がる事をしてしまうわ」

 そう言うと、アトは当たり前のようにベッドに上がると、俺の頭に膝枕をしてきた。

「……本当に嫌がる事をしてきたな」

「でしょう?」

 得意げに言いながら、俺の髪を梳いてくるアト。

 穏やかに微笑むその顔を下から見上げる。

「……なあ、アト」

 その顔があまりに、普段と何も変わらないからであろう。

 柄にもなく、俺の口は何も考えずに言葉を紡いでいた。

「今日、英雄に会って来た」

「ええ」

「久しぶりに話をして――」

「ええ」



「どうしようもなく、



「あらあら、それは大変ね」

 俺の心の最も醜い部分を晒されているというのに、アトの表情は何処までも穏やかで慈愛に満ち溢れている。

「あなたの過去を知っている私だから言うけど、よく我慢したわね。 絶花の子達を全員皆殺しにしても文句は言われないわよ?」

「今に始まった事じゃないから」

 自分の『殺意』を抑えるのには長けている。

 黒咲 ユウの時に学び、今も尚実践している事だ。

「そうだったわね……ずっと迷っているものねダン」

「ああ」

 英雄を殺すべきか、殺さないべきか、俺は5年前のあの日からずっと迷っている。

「我ながら決断力がないと呆れている……一体、何時まで悩んだら気が済むのやら」

「いいえ、

 自嘲気味に笑うために無理矢理動かした頬が、撫でられる。

「迷って何も行動しないのはいけない事だけど、迷う事は決して悪い事じゃない。むしろ誇っていいわ。あなたは2つの道両方の大切さが見えているという事だから」

 「だから大いに迷いなさいな」と、アトは微笑む。

「あなたが迷っている間ぐらいは、私の膝を貸してあげるから」

「……肉付きのない貧相な足だがな」

「くふふ。一部の業界では、垂涎物の希少種よ」

「それ、かなりマニアックな業界だろうが」

 いつも通りの軽口を口にすると、俺は瞼を閉じた。

「アト」

「なに?」

「……ありがとな」

 答えはまだ出ない。

 だがそう遠くない未来に、決断する事になるだろう。

 だから今は肉付きがなく、貧相な足を枕に微睡む事にする。

 認めたたくはないが、その枕が俺に何よりの安心感を与えてくれるのは、紛れもない事実なのだから――




「……それはそれとして、今ダンが着ているあなたの血の付いた制服、私の『ダンオカズコレクション』に加えたいのだけど、いいかしら?」

「全部台無しだよ馬鹿野郎」



 やはり魔女は何処まで言っても変態で魔女であった。


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