第50話 さぁ。物語を進めましょう。


 エリカさんとテオさんとの対峙から数日が経過しました。


 それからと言うものどこにいてもエリカさんやテオさんからの視線を感じます。

 どれだけお暇なのですかと言いたくなる衝動を抑えつつも我がご主人様を見るのですが、正直今の彼女にはそんなことを気にしている余裕はない様子です。


 数日前、エリカさんとテオさんの圧力に押され、結局ハルカさんとの会合を取り付けることになってしまったあの日から、何をしていても上の空なエルフリーデがいました。



 エリカさんに誘導されてしまったが故に、安易に了解してしまったこともこの表情の理由の一つなのでしょうがきっともう一つ、こんな状態になってしまっているのには理由があるはずです。



「……」


 無言のまま、目の前に準備した紅茶をじっと眺めながら物思いに耽っています。


 中庭にほど近い、学生であれば誰でも利用することのできる食堂のテラス。

 少し肌寒くなり始めた風に金砂の髪が揺らされている様子はやはり絵になるなと素直に思えてしまうのは、どうやら私だけではないようです。

普段はすぐにエルフリーデの周囲に集まってくる学友たちも、彼女の物憂げな表情と容姿を目にした途端、足取りが重くなっているようです。


 まぁこんな時に声をかけてくる事が出来る人たちなんて、学園の中では限られていますものね。



「えっと……」



 そんな数少ない人物であっても、どう声をかけるべきか分からなくなってしまうでしょう。長年エルフリーデと接している彼女も、発した言葉が辿々しくなっています。


 しかしその心配そうな声は間違いなくエルフリーデの耳には届いた様子。


「あ、ハルカさん……」


 笑顔を作ろうとしていますが、難しいのか引きつった表情を見せながら会釈するエルフリーデに違和感を覚えながらも、彼女の正面の椅子に腰掛けるハルカさんは数瞬の内に笑顔を作っていました。

 そこからは先ほどまでの辿々しさはどこにもなく、いつもの頼り甲斐のあるハルカさんになっています。

 さすがは物語の主人公……いえ、そんな言葉で片付けて良いものではありません。これは最早彼女の生生の性格が故でしょう。


 彼女のそう言うところは非常に好ましいところです。



 腰掛けた椅子に身体を預けながら、ジッとエルフリーデの表情を見つめるハルカさんは一言こう呟きます。


「そんなお顔、珍しいですわね。何かあったのですか?」

「えっと、そう言うわけではないのですが……」


 その問いかけに素直に答える事ができないまま、少し俯きがちになってしまうエルフリーデを尻目に温和そうな笑顔を浮かべるハルカさん。


「私のことですか?」


 この問いかけこそ、今のエルフリーデに答えることので出来ない一番のものではないでしょうか。


 理由は私が語るにはあまりにも無粋でしょう。その感情は誰かが教えて良いものではなく、本人が気付かなくては意味がないと思えるからです。

 ハルカさんに対するものも、そしてレオノーラ様に対するものも、そのうち自然と気づいてくれるものだろう。


ですがそんな私の考えを崩しにかかってきているもののせいでそれも変わり始めているというのが正直なところ。


言わずもがな、それはエリカさんとテオさんの存在。彼女たちが横槍を入れてこなければもう少し精神衛生的に良い状態でこの状況を見つめる事が出来たでしょう。


「……」


 今は言葉に詰まるエルフリーデを見るだけで複雑な気持ちになってしまいますよ。

 しかし今ここで私が何かを伝えようものなら更に話をおかしくしてしまうという事も理解できてしまう。


 何とも歯痒いではありませんか……やりきれないではありませんか。


きっと私も、きっとエルフリーデと同じような、困惑に染まった表情を浮かべているに違いありません。


 こんな時に一体どうしたら良いのか、正直わかりませんよ。


 しかしどうしたって出来た人はいるのでしょう。

 ウダツの上がらない私たちを目の前にしても尚、ハルカさんは笑顔を崩す事はなく、ニコリとした表情を浮かべています。


 その笑顔も私たちに焦りを与えるには十分すぎるものでした。そしてその優しさを向けられる度に更に罪悪感に苛まれてしまう。


 もうどうすれば良いのか分からないまま、私が茫然と虚空に目をやっていると、ハルカさんは少し冷たく呟きます。



「もう少し……」

「……え?」

「もう少し、取り繕う努力をした方が良いかもしれませんね。それでは誰にでもつけ込まれてしまいますよ」


 確かにその通りです。あぁ、その通りとしか言いようがありませんよ。


 この言葉はきっと返事をしたエルフリーデに向けられたものではなく、きっと私に対しても送られたものだと、そう思えてしまいます。


 本当に耳が痛いとはこの事です。


 ですがそう言われたからには何もしないままでいるというのは、どうにも負けた気になってしまうというのは私の悪い癖かもしれません。


 こうなれば、私が動くしかありません。


 考えが頭を過った瞬間、何もせず、ずっと寝そべっていたままでいた私は身体を起こして、二人の腰掛けていたテーブルから離れていきます。


 何故行動に出てしまったのか、ただ居た堪れなくなっただけなのではないか。疑問が湧き上がりそうなものではありますが、そうしなければいけないのだと、ただ私の直感がそう囁いていたのです。


 背後から我がご主人様の少し寂しそうな声が漏れ聞こえてきましたが、ここは心を鬼にして振り返りません。

 きっと、そうしないと切り出せない話が二人にはあるはずなのです。



 ですが念には念をと言いますからね。私は踵を返してテーブルの方に戻ります。

 先ほど残念そうな声を出していたエルフリーデは何かを期待したのか、「おいで」とこちらに声をかけてくるのですが、用件があるのはハルカさんなのです。


 私は彼女の膝元に近づき、じっと彼女を見つめます。そうすれば自然にハルカさんと視線は合うものです。


 少し話は変わってしまいますが、感情を伝える術は何も言葉だけはない。分かりきったことではありますが、どうにも言葉ばかりに固執してしまうのが人の悪いところではないかと思います。


 だからこそ、言葉を発する事が出来ないこそのやり方もあるはず。


 そんな期待が宿ったのか、ハルカさんは小さく「そうだね」と呟きゆっくりと私の頭を撫でてくれます。


 これなら、もう大丈夫でしょう。再び私は二人のテーブルから離れていきます。


 やはりエルフリーデの残念そうな声は未だに耳に残っていますが、それをかき消すようにハルカさんが声を上げます。


「では参りましょうか」


 突然といえば突然の言葉に、素っ頓狂な返事をする我がご主人様に少し呆れてしまいそうになりますが、今日はもう何も反応しないと決めたのです。


 もうここからは彼女のやるべきこと。そしてそれを我がご主人様はそれを正面から受け止めなければいけないのですから。


 そしてハルカさんは深い深呼吸のあと、言葉にします。

 これまで、これまで決して開けようとしていなかった扉を開けるための言葉を。


「もちろん、二人きりになれる場所です」


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