第44話 断罪イベント、アフターというやつですね。


 喫茶室の騒動から数日が経過しました。

 私はと言えば相も変わらず、エルフリーデたちが授業を受けている間は学園の中庭でぼんやりとしながら寝転がっているばかり。


 端から見れば退屈に感じるかもしれませんが考えてもみてください。

 元々20年以上も別の人生を生きていた私が、犬の身体になってしまってもう何年も経ってしまっているわけです。


 正直精神的には完全に冗談抜きで初老と言っても差し支えないものになってきています。


 身体はまだまだ元気なんですけどねぇ……どうにも気持ちがどんどんゆったりになっていくのです。


しかし今日も肌に感じる日差しは朗らか。私は一匹で校舎の中庭で惰眠を貪っているのである。


そんな風にぼんやりとしていると頭に過るのは、私という異物が学園に難なく受け入れられているという違和感。

入学式の際にレオノーラ様にも気にする事はないと言われていましたが、やはりご都合主義を感じずにはいられない。


しかし次の瞬間には、「まぁ、いいか」だなんて思い浮かべて考えるのをやめて再び目を閉じてうつらうつらと船を漕ぎます。


おっと、微睡んでいる間に、授業が終わったのでしょうか。気付けばエルフリーデが私の頭を撫でていた。


これはこれで至福の時間とでもいうのでしょう。このくすぐったい撫で方に身体をよじらせていると不意に彼女の手が止まります。


 ……また厄介事でしょうか。そう思いつつ視線を上方に向けると、そこには考えもしなかった人物が立っていたのです。


「今日も良い天気だね。調子はどうだい、エルフリーデ」


 今まで中庭には姿を見せなかったウェルナー様が何故かここにあらわれたのです。


 もはや厄介ごとが起こるような気がして仕方がないですよ。



 しかしエルフリーデを訪ねてこられたウェルナー様を無碍に出来ません。

 ゆったり身体を起こしてベンチの方まで歩いて行って、ちょうどその脇に身体を横たえます。



 私の動きにニコリと笑みを浮かべて、それに倣うようにベンチに腰掛けるウェルナー様。

 先日から思っていましたが、やはり私とは一定の距離を取っていらっしゃいます。相変わらず私の事は苦手なのでしょう。そこのギャップも良いなぁと思っていると、彼がエルフリーデに問いかけます。


「どうだい? あれから変化はあったかな?」

「はい、クラスの方たちも少しずつお話をしてくれるようになりました……本当にご迷惑をおかけして」

「いやいや、君が礼を言う必要はないさ」


 エルフリーデの言葉通り、この数日で状況は一変したと言っても過言ではありませんでした。

これまでエルフリーデを敬遠していた周囲の人たちが目に見えて変わり始めたのです。


「正直違和感しかないですが……」


 問題なく会話をする事が出来るようになったのは良い事ではあるのですが、中には明らかにエルフリーデにすり寄ってきている人たちもいるのです。この変わりようには彼女も困惑せざるをえませんでした。


 エルフリーデの返答にそれを感じ取ったのか、そうだねと一言呟いた後、ウェルナー様はこう続けました。


「そもそもこの学園の状況、おかしいとは思わないかい?」

「それは……」


 彼の言葉は何を指し示しているのでしょうか。思わず彼の方に改めて視線を向けると、その表情はどこか意地悪く、エルフリーデを試しているようなものでした。


 ウェルナー様の問いかけに少し考え込み、絞り出すように言葉を返します。


「私には……窮屈さは感じます」



 この言葉にはこれまで彼女が感じてきた思いの全てが込められていたのでしょう。

 それを示すように、エルフリーデの瞳はしっかりとウェルナー様を捉えていたのですが、どこか遠くの方をみているようにも感じられます。


「おそらく私も、レオノーラや君に出会わなければ、その窮屈さを感じる事はなかっただろうね」


 ウェルナー様もそれを感じてってくださったのでしょう。先ほどまでの苦笑は口元にはなく、真剣なものになっていました。


 すごく真面目な話になってきましたね。逃げ出したい……もう少しゆるふわなお話をしてほしいものなのですが。


「エルフリーデ……私はね、今こそこの国の転換期だと考えているんだ」

「転換期ですか?」

「あぁ……しかしまだまだ乗り越えるべき課題は山積しているがね」

 ウェルナー様は深くため息をつくと、ベンチから立ち上がりエルフリーデの真横の方に歩いて行った。


 陽の光りを受けて互いに見つめ合っているのも絵になる光景ではありますが、お互いに全く色っぽい感情を持ち合わせていない事を知っているだけに私は何も感じません。

 しかし校舎や渡り廊下の方からはヒソヒソと二人の様子を噂している声が聞こえてきます。

 ウェルナー様にもそれが分かっていたのか周囲に聞かせるように大声で、再び話し始めました。


「しかし、あまりにおかしいとは思わないかい? 王族というだけで、貴族というだけで偉いと勘違いしている者たちがいる! ただ単に生まれの違いのはずなのだがね」


 その言葉の意味がよく理解できずにぼんやりとした表情を浮かべるエルフリーデ。


「でも、それだけで裕福さは違います」

「確かにその通りだね。しかし下手な貴族よりも、大商家の家に産まれた者の方が豊かな生活をしていることもあるのではないか?」

「それは確かに……」


 この会話は明らかに最初から破綻してしまっています。

 それを分かっていながらウェルナー様はこの会話を振ってきたのでしょうか……いや、違う。


彼はエルフリーデにそれを言わせたかったのです。


 あえて彼女にそれを言わせる事で、


「君の言った通り、それも一つであることに違いはない」


 他にも要因はあるのだと印象付けようとしていたのです。



 そしてあえてこの後に続く言葉をさらに印象の強いものにしようとしていました。


「真の平等など存在はしない。どれだけ言い繕っても、様々な面で差は生じるものだ」



 さすがにこの言葉には私も、そしてエルフリーデも反応する事はできませんでした。

 彼の言葉からは『それあえて受け入れなければならないどうしようもない事』なのだという意思は伝わってきます。


 それはエルフリーデだけではなく、遠くから彼の大きな声に耳をそば立たせていた学友たちも同じようです。彼ら彼女らはすっかり潜め声が聞こえなくなり、こちらの話に集中しているようでした。

 そこでウェルナー様は続けて「……だがね」と、一呼吸あけて話始めます。


「与えられた権利には、義務というものが生じて然るべきはだろう? 先日まで彼らはこう思っていたはずだ。『自分たちは貴族だから優遇されるべきだ』とね。益々もって、この国の理念と食い違っているとは思わないか。あくまでこの国は、この学園は実力が合って認められるべきなのだ。だから私はあの時滑稽だと切り捨てたのさ」


 一気に言葉を吐き出し肩で息をするウェルナー様の勢いに押されたからか、それともそれがその言葉を耳にしていた全員には痛いものだったからか、それにすぐに言葉を返す人はいません。

 ここでようやく彼が今日、エルフリーデを訪ねてきた理由が理解できました。


 そう、そもそもこの話ならば大半の貴族が集まっている筈の喫茶室でもできた話のはずのなのです。

 それをあえて誰もが聞くことのできるこの中庭という場所で、あえて聞かせるようにする事で再度貴族たちに釘を刺すとともに、それ以外の人たちにも自分の考えをしっかりと伝えたかったのでしょう。


 少し不器用なやり方ではありますが……うん。嫌いなやり方ではありません。

 あえて小細工を使わないというのは私は好きですよ。


 ですがウェルナー様の言葉というものは、過激な部分もあったのでしょう。言葉を正面で受けていたエルフリーデは言葉に詰まります。


「私には……なんとも言えないです。それに私もなんにも出来ませんし」


 少なからずエルフリーデも思っていたのでしょう。


 自分は家名を傘にきているだけの、なんの実力もない人間なのだと。


「君は自然体のままでいいのさ。そんな君だからこそ、レオノーラは……」


 慰めの言葉を口にしようとしたのか、途中まで言いかけてやめてしまうウェルナー様。どこか焦った様子で口元を押さえながら、再び深くため息をついています。


 うん、よく思いとどまりましたよ。

 それを言ってしまうと、このお話が終わってしまいますからね。


 不意に彼と視線が交錯し、どちらからともなく頷き合った事は内緒にしておきましょう。


「え?」


 しかしエルフリーデはやはり意味を分かっていない様子。まぁ安定のエルフリーデです。


それにホッと胸を撫で下ろしながら、「この言葉をどう受け取るかは君に任せるよ」と言いつつ、ウェルナー様はエルフリーデの元から少し離れ渡り廊下の方に歩いていきます。

 周囲に目をやると、もうすぐ次の講義が始まるのでしょう。学友たちの姿もまばらになっています。


 これは少し急いで教室に戻らないといけません。エルフリーデもそう考えたのか、私に「また後でね」と一言告げて一路教室に向かおうとするのですが、再びウェルナー様がこちらに振り返りこう一言。


「じゃぁまた後で会おう。私の可愛らしいライバルさん」


 ニコリと笑みを浮かべ、去っていくウェルナー様。

 そんな彼を茫然と見送るエルフリーデは足を止めたまま、動かなくなってしまいました。


「……」


 難しい話に続いて意味深なことまで言われてしまったのです。

 彼女の頭の中はパンク寸前かもしれません。



「ねぇ、どう思う?」


 そう私に問いかけるエルフリーデに私はあえて何も返す事はなく、木陰に移動して身体を横たえます。

 頭上からは彼女の困惑した声が響いていますが、私に気持ちも理解してもらいたいところですよ。


 エルフリーデ、分かってます? 今の貴女の状況。


刹那、鳴り響くのは次の授業の開始を告げる音。


 焦った彼女の声が頭上から遠ざかっていき、再び私の耳には穏やかな風が木々を揺らす音に満ちていきました。


 あぁ、これもこれで至福の時間かもしれない。




 まだまだ波乱の予感を感じつつ、私は今日も自分の定位置で惰眠を貪ります。


 うん、これぞ『全て世はこともなし』といったところでしょう。


『彼女を悪役令嬢にしないための10の方法 その6

                     攻略対象のライバルになりましょう』

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