あの日の窓辺 3


「こんばんは…………」


カランコロンという音と共に1人の女性が入館した。


「いらっしゃいませ。お名前をどうぞ」


 まだ若い………大学生ぐらいだろうか……女性が店の奥から顔を出す。広さは大体30畳程であろうその店は、最近の若い子が見たら喜びそうな大正モダンの雰囲気で統一されていた。日の沈んだ後の暗い時間帯というのも相俟って、落ち着きのある空気がより一層際立っていた。


 ほとんど電球で室内が明るく照らされている中、室内にいくつか飾られたランプには実際に蝋燭が入っているらしく、ゆらゆらと陽炎のように店内に小さな灯りを灯していた。まるで今の私のようだと思いつつ、少し重い足取りでカウンターへ向かう。


 初めはかなり緊張していて、何度も何度も店の前を行き来したせいで、入るのにも時間が掛かった。だがいざ入店して見ると、その懐かしさを感じさせる雰囲気ともう足を踏み入れたという投げやりな感情のおかげで、笑うくらいの余裕は取り戻せたらしい。おかげでカウンターの前に着く頃には、軽く微笑むこともできるようになっていた。


「それではお名前をどうぞ」


「写真旅行を予約していた冲内 静女です」


そう名乗ると彼女は名簿を確認し、本人と確認するとふわりと笑って、


「『おきうち しずえ』様ですね。お待ちしておりました。準備して来ますので、そちらに掛けてお待ち下さい」


 と口早に、だが聞き取りやすい声で告げると、また店の奥に引っ込んでしまった。


 とりあえず店内で邪魔にならずに座っていられる場所は何処だろうと周りを見渡し、直ぐ近くにどうぞお座りくださいと言う立札と共に見た目よりかは幾分かふかふかした長椅子があるのが目に入る。


 一先ずその椅子に腰掛け、もう一度ゆっくりと店内を見回す。まず目に入ったのは、入り口の窓にはめ込まれている丸い、小さいが見事なステンドグラス。次にそのステンドグラスの前に置いてある、大理石のテーブルと少し古びた蓄音器。部屋の角には、三角コーナーの様に棚が斜めになっている腰掛けていると、すぐ隣にあった手漉きガラスに目がいく。覗いて見ると、様々な光がぼうっと反射していた。


 (ここ数ヶ月で随分と老け込んだなぁ………)


 ガラスに映った自分の顔をそう思いつつぼんやりとしていると、


「秋の日はつるべ落としって本当だよね。この前まであんなに明るかったのに」


 どこからともなく青年の声が聞こえて来た。店員だろうかと思い周りを見渡すが誰もいない。奥で彼女が何やら作業をしているらしい音が微かに聞こえるだけだ。不思議に思い首を傾げていると、


「お姉さんどこ見てるの?こっちだよこっち。目の前にある古いカメラ」


 また声がしたので反射的に顔を上げると、そこには古い江戸時代だったかあたりのカメラが静かに佇んでいた。吸い寄せられるように近づいて見ると、それなりに使い古されているのであろうにもかかわらず、ちゃんと手入れをされているのか綺麗なボディをしているのが見て取れた。なかなかこの空間とマッチしている。いい持ち主に当たったのだろう。


「……喋るカメラということは、モノノケの類なのかしら?」


「ざんね〜ん」


「じゃあ付喪神様なのかしら?」


「それも違うなぁー」


 カメラが喋ることには何故か驚かなかった。やっぱりまだ心に余裕が無いのか、はたまた肝が座っているのか、もしくは年の功というやつだろうか。


 そんなことを思いながらこの子は一体なんなのかしらと考えあぐねた。だが暫くして考えても答えは出ないと判断した私は、彼女の準備が終わるまで、とりあえず今は彼を話し相手に時間を潰そうと決めた。


 青年の声をしたカメラは、何故かとても嬉しそうな声をしていた。店員さん以外とはあまり喋らないのだろうか。にしてはまるで子犬のような人懐っこさがある。不思議なカメラだ。

モノノケでもない。付喪神でもない。じゃあ


「あなたは一体なんなのでしょうね」


「僕はただのダゲレオタイプのカメラ。それだけさ」


 何故だかわからないが、私にはこの時このカメラが胸を張っているように感じた。何だかおかしくなって、思わずクスリと笑うと


「お、いい笑顔。いい笑顔はどんな加工よりも写真を生えさせるからね。どう?少しは解れた?」


 どうやら緊張をほぐそうとしてくれたらしいことに気がつき、心が暖かくなった。心なしか顔の筋肉も軽くなる。


「ええ、おかげさまで。どうもありがとう、優しいカメラさん」


「どういたしまして。あと、僕の名前カメラさんじゃなくて『レオ』って言うんだ。宜しく」


「ええ、宜しくね。レオくん」


 そんな他愛もない話をしていると、奥の方から彼女のパタパタパタと走る足音が聞こえてきた。カメラの後ろにあるカーテンがシャーっと音を響かして開かれるとそこには、小さなソファーと反射板の役割をする傘のようなものがセットされていた。そのすぐ横に控えめだが美しい笑みを浮かべた彼女がお静かに佇んでいる。


 優雅に辞儀を一つすると、その笑顔のままリンと鳴る鈴のように涼やかな声でゆっくりとこう言った。


「大変お待たせしました沖内様。準備ができましたので、今ご案内致しますね」

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