あの日の窓辺 2
この写真館では様々な写真を撮っている。王道な人生のビックイベントから、小さな日常の一コマのための出張まで行っている。出張と言っても、近くの病院やら自宅やらと、あまり規模の大きい物ではないのがほとんどだ。
また、衣装も選んでもらうことができる。種類こそ多くないが、その分着物や袴は実際にその時代に使われていたかなりいい品だ。
因みに、着付けなどは自分にはとてもできる代物ではない。だから、近くにある老舗の呉服屋のそういうことの得意な友人に手伝ってもらっている。勿論給料は払っているが。
個人的にはその着物の撮影の時が一番楽しい。着物は柄物が多いので、少し角度を変えるだけで色々な表情を醸し出すことができるし、何より上品で美しい。
マエコは祖母譲りで上品なものが大好きなのだ。特に銀座などの着物専門店などに行くのが大好きで、買うことはできなくとも観るだけで満たされるのが女性というものなのだ。だから世の女性はショッピングをやめられない。
ただ、料金が少し増すせいで普段はあまり利用してもらえていないのが現状。最近は少し料金を見つめ直したほうがいいかと考え始めている。
問題は、いくつかあるプランのうち、余裕のない人向けのプランで破格にしている分、こう言うところで資金回収しているので、あまり安くできない。だから少し破格プランの値上げをしたりするしか…………。悩ましい。
「あのう…………電話の調子が宜しくないようなのですが………」
「あ!申し訳ございません。問題ないので続けてください」
今は接客中だと言う事を思い出し、いかんいかん切り替えねばと思い頭を振る。
だがどうやら今回も着物たちの出番はないようだ。残念な事に。箪笥の中から聴こえる着物の嘆きの幻聴に心痛めつつ、話を進める。
「はい。………それでその、友人から聞いたのですが………。『私の思い出を写してくださいませんか?』」
「…………………なるほど承知いたしました」
どうやら今回は着物だけでなく、カメラも出番は無いらしい。今度はカメラ達のため息が…………ごめんよ。まあとにかくそれなら、色々突き詰めなくてはならない。
「ご利用ありがとうございます。"たまゆら"では19時の開店となりますが宜しいですか?」
「"たまゆら"?」
電話の向こうから女性の怪訝そうな声が聞こえてくる。そんな話は聞いていないとばかりに。どうやら耳にしたのは大まかな噂だけで、細かいことは聞いてきていないらしい。
「はい。うちの裏号です。お客様の思い出の現存はそちらで扱わせていただいております」
「そちらでないと、出来ないということですか」
女性が不安そうに訊き返す。
「そういう事になりますね。今ならこの話は無かったことにすることもできますが、如何いたしましょう」
「いえそんな………!やっとここまで来たんです、今更諦めるわけにはいきません。えっとそれで、次の週末にお願いしたいのですが」
慌てて頭を振っているのが電話越しでも感じ取れた。それほどまでに必死なのだろう。これで断る意志がないという確認は済ませた。
カレンダーを見て見ると、ちょうどその日は予約も講義も何もない日だった。これならいける。
「分かりました。その日にお待ちしています。それではお客様、持参して頂く物が御座いますのでメモの準備をお願いできますか?」
「はい……………………………………………お願いします」
紙が捲れる音とペンのキュッキュッという音が微かに聴こえる。
暫くして持ち物の説明が終わった
「それでは詳しい事は後日ご来店頂いた際に細かく説明させていただきますね。………はい。では。お待ちしております」
電話を切るチン……という音が店内に静寂という名の薄い幕を下ろす。
「………裏のお客さん?」
カウンターに戻り木製の古いロッキングチェアに腰かけると同時に、レオが尋ねてきた。それなりに会話の内容が気になったといったところだろう。
外ではこの時期には珍しい天気雨が透明なヴェールでこの店を守るように降っていた。
「うん」
手漉きガラスを伝う雨粒達の、陽炎のような影を浴びつつ椅子に腰掛けゆらりゆらりと揺られる彼女は、はなかなかどうして寂しそうな顔をしている。
さっきの『思い出』とは、写真を通して被写体の過去を目の当たりにする物で、カウンセラーのように相手の心理状態に引きずり込まれることが多い。だからとても疲れを伴う物でもある。そして同時に幾つか、これができる者の間で代々破られる事なく守られている、ある掟がある。が、これについてははまた後で。
「世界は歪だね、レオ」
虚ろな目で椅子に揺られつつ空な天井を眺めて溢れた一言は、この店を一層静かにさせた。
(………マエコはまた余計なこと考えてるな)
元来マエコは、良くも悪くも感情移入しやすい、素直で染まりやすい性格をしている。映画で役者が涙すれば同じかそれ以上に号泣し、笑えば釣られて笑うような子だ。
そんな彼女に、はっきり言ってこの裏家業の仕事はあまりにも不向きで、同業の者にも何度も止められた。それくらい精神にくる仕事だ。なのに周りの者がどんなに止めても、決して裏家業を継ぐと言って聞かなかった。仕舞いには、周りが妥協して丸く収まったわけだが。どんなに理由を尋ねても、誤魔化してばかりで彼女が答えてくれることはなかった。
さっきから壁に掛かった家族写真をぼんやりと見つめるマエコの頬に、ガラス越しに滴る雨滴の影が映り、まるで泣いているようにも見えて居た堪れなくなったのか、何か話題を探るように無い口を開き、声を絞り出す。
「なあ、なんでお前は家業を継いだんだよ」
レオは前々から定期的に訊いているものの、一度も心からの言葉を受け取れていないその質問をなんとなく彼女にぶつけてみた。
『あんな事』があったんだ。普通は家業を継ごうなんて気は起きるはずが無い。なのに彼女は家業を継いだ。それも自ら。これを不自然だ、理由があるに違いないと感じるのは当然の事だと思う。
例えその理由が、答えてもらえないような事だとしても。
だがそう訊いても、やっぱり彼女は真面目に返事をしなかった。
「レオの老後の面倒を見ないとだからね〜」
そんな訳のわからない空返事を返したきり立って隣のフロアへ去ってしまった。
降っていた雨はいつの間にか止み、元の晴天に戻っていた。遠い所で、薄ら虹がその美しいリボンで、大きな空を括っているのが見えた。
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