吼えろ!バーニング・エンジェルズ!!

上条 樹

第1話 はじまりの朝

 いつもと同じような朝、目が覚めると外はすっかり明るくなっている。


「うーん・・・・・・ 」ゆっくりとした動作で背伸びをしてみた。背中の辺りがとても気持ち良い。続けて大きな欠伸をしたあと、ベッドの横に置いた目覚まし時計を確認する。


「げっ、七時半!遅刻だ!」目覚まし時計をセットするのを忘れたのか、はたまた故障しているのか、いつもの時間に目覚ましのアラームが鳴らなかったようだ。


 私は一人暮らしの為、優しい声で起こしてくれる両親はいない。ましてや、モーニングコールをしてくれるような彼氏なんていやしない。


 慌ててベッドから飛び起きて着ていたパジャマを脱ぎ捨てた。ズボンに足を取られて転びかけるが何とか踏ん張る。もう少しでつんのめってタンスに頭をぶつけてしまうところであった。


 右足でズボンを蹴り上げた、そのズボンは椅子の上に綺麗に着地。毎朝やっている事なので手慣れたものだ。


 壁に掛けてある制服を飛びつくよう取り早着替えのように制服を羽織る。


 慌てている為か胸のチークの長さが中々整わない。スカートのファスナーが閉まりにくくなったような気がする。空気を大きく吸ってお腹を思いっきり凹ましてから勢いよく上にスライドさせた。(すこしダイエットしなきゃ・・・・・・)ため息をつく。


 さすがに寝起きのままの顔で登校する根性は無いので出来る限り早く顔を洗い、歯を磨いてから、急いでリップを唇に塗り家を飛び出す。

 多少の寝癖ねぐせはこの際、諦めることにする。


 私の家から駅までは徒歩五分圏内にあり、走ればまだ十分登校時間に間に合う電車に乗ることが可能だ。


 いつもはのんびり景色を楽しみながら歩く道を、今日は脱兎だっとの如く駆け抜けぬけた。

「あーん、朝ごはん抜きか~」そう考えた途端、お腹の音が悲鳴をあげた。昼までもちそうにはなかった。


 息を切らしながら、改札を駆け込みホームに並ぶ人混みの中に合流する。ひとまず電車はまだ来ていない様子であった。呼吸を整えるべく深呼吸をする。


 いつもは女性専用車両を利用するのだが、今日はとても専用車両の止まる場所まで移動する余裕はなかった。


 普段、朝の電車は五分刻みでこのホームにやって来るので時刻表を気にする必要は無い。しかし、今乗車しようとしている電車を逃すと一気に20分間隔に変更になってしまう。この電車を逃すと完全に遅刻してしまうのだ。


 なんとか、毎日乗車する電車より一本遅いが登校に間に合う時間の電車に乗車出来た。

 目覚まし時計の確認を忘れた私の自業自得なのだが・・・・・・。


 この時間は一本電車が違うだけで車内の込み具合が全然違う。いつもの車両であれば、ゆっくり席に腰掛けながら優雅な時間を過ごすことができるのに・・・・・・。つり革を持ち少し項垂れるような感じで体力の回復をはかる。


 いつも乗っている女性専用車両とは違い、普通車両の中は独特の加齢臭と思われる臭いも漂っている。男性サラリーマンのおじ様方、ご苦労様です。


(はぁ・・・・・・)ため息をつきながら電車に揺られる。走り疲れたので少し瞼を閉じて休息する。


『ジャカジャカビジャカジャカ』 


 耳元に小さいがジャカジャカと騒がしい耳障りな音が聞こえる。

 

 近くのサラリーマンのイヤホンから漏れる音楽だ。本人は心地良いのか知らないが、周りは堪ったものではではない。本人はそんなことを意にもしないように自分の世界に入り込んでいるようだ。


(どうして、同じ時間に集中するんだろう。皆、もう少し混雑する時間を避ければいいのに・・・・・・)しかし、よく考えてみると、自分もその一因であるので文句は言えた義理ではない。 


 車内を見渡すとマスクをつけて咳きを繰り返すおじさん、化粧をしているOLのお姉さん、パンを食べる専門学生風の男の子、この満員の電車の中でよく回りが気にならないものだと感心する。


(あぁ、それにしても・・・・・・ 私も、お腹がすいたなあ)こんなことであれば、買い置きしてあったスティック型のチョコレートでもくわえてくればよかった。そうすれば恋愛アニメの始まりみたいになったのかなとか考えて一人笑ってしまった。


「はぁ~ 」急に欠伸あくびが出て、ついでに涙も出た。周りの視線を誤魔化すようにうつむき気味に頭を傾けてから右目の下あたりを右手でこする。 


 視線を落とした少し先に小さな靴を履いた綺麗な足が見える。なにやらモゾモゾと微妙に動いているようだ。


 目を上げると、電車の扉の辺りに眼鏡をかけた気の弱そうな女子高生が立っていた。


(府立高校の制服かな。セーラ服は可愛いなぁ・・・・・・ )私の学校のブレザーは茶色を基調としたどこにでもあるような味気の無い制服だ。


 男子も同じ茶色のブレザーでズボンは黒色だ。いつも街にある不動産を連想させるのは私だけだろうか。


 私達が着用しているブレザーとは違い彼女の制服は白と紺を基調にした標準的なセーラ服だ。入学したての頃は、このブレザーも可愛く見えたが、慣れてくるとやはりマンネリ化して飽きてくる。


 やっぱりセーラ服のほうが可愛らしい。


 女子高生は、長い髪の毛をみつ網に束ねている。今時珍しい髪型だ。分類すれば絶滅種に振り分けられるだろう。そういえば、彼女が通う府立高校は校則が厳しい事で有名であった。


(あれっ?あの子・・・・・ )そのセーラー服の女の子がなんだか少し泣いているような感じがした。よく見ると、モジモジとよじる仕草も明らかに不自然であった。

(どうしたのかしら? )

視線を下にやる。彼女のお尻の辺りでモゾモゾと動く物体が見える。それは何者かの手であった。


 痴漢だ! 


 男の手が執拗に彼女の下半身を触っている。男は三十歳位。革ジャンを着ていて髪の毛をオールバックにしている。こういうことでしかその欲望を発散する事が出来ないのかと呆れる。もっとそのエネルギーを他に利用できないものだろうか。口元をニヤニヤさせてイヤラシイ!周りの人は気がついていないのか完全に放置された状態である。

 私の頭の中に怒りが湧き上がる。彼女の顔は更に赤く染まっていくが、近くの乗客は見て見ぬふりをしているようだ。


(誰も助けてあげないのかしら、あの子も悲鳴をあげて、やめて!とか叫べばいいのに・・・・・・!)女の子に対しても少しイライラした。


(やめさせなくちゃ・・・・・・!)変に正義感が沸いてくる。

 勇気を振り絞り彼女の移動していった。満員電車の中での移動は困難で、事情を知らない小太りのオバサンに睨みつけられた。


(えっ・・・・・・?)

 彼女の近くに辿り着いた。 

 その時、私は胸に何かが張り付くような違和感を覚える。


 目を落とすと誰かの手が私の胸に触れている。いや、触れているのではなく、これは・・・・・・、両手で鷲摑わしずかみみのような状態だ。


 ブラウスの上に覆いかぶさる手の主を探す。


 そこには、いかにも仕事が出来ない感じの頭が禿げた中年サラリーマン風の男の姿があった。


(ちょっと、なっ、なにを・・・・・・)声を上げやめさせようと試みるが、なぜか声が出ない。


(あれ、ど、どうして、声が・・・・・・出ない?)抗議をしないことに味をしめたのかハゲサラリーマンの行為はエスカレートしていく。


 男の片手が胸から下へ移動していく。まるでムカデが体を這うかように・・・・・!


「や、やめて・・・!」声を絞りだそうとするが出ない。(いやっ・・・・・! )執拗に男の手が触れる。先ほど女の子の事を心の中でイライラすると思ったのに自分も何故声がでないのか。


「いい加減に・・・・・!」やっとの思いで振り絞った声。持っている鞄で男の手を振り払おうとした時・・・・・・!


「うぎゃ!」唐突に聞こえた大きな悲鳴と同時に男の手が離れる。


「朝っぱらから、みっともない事はやめろ!」勇ましい声が聞こえた。


 二人の男が、同じように間接を極められて悶絶している。満員電車のはずが、その一部だけ空間ができていた。スーツ姿の姿勢の綺麗な男性が男達の動きを完全に封じ込めている。


 私の胸を触っていたハゲサラリーマンと、もう一人はセーラー服の女の子に痴漢していた男。


「なんだ!はっ、離せ! 離せよ!」痴漢男が暴れる。「君!止めたまえ!私はなにもしていない!痴漢など決してしていないぞ!手を離すんだ!誰か助けてくれ!」ハゲサラリーマンが惨めな悲鳴を上げた。


 痴漢男から開放された女子高生は、その場に尻餅をついて泣き崩れていた。

 周りの大人達は、やっと車内の異変に気づいたようだ。あちらこちらでヒソヒソ声が聞こえる。


 駅に電車が到着したようでドアが開く。


 二人の間接を極めたまま、スーツの男は電車を降りた。その後を私も追いかけた。


 しばらくすると数人の駅員が駆け寄ってきて、暴れる痴漢男とハゲサラリーマンを連れていった。二人は激しい抵抗を続けていた。


「助けていただいて、ありがとうございます」私は感謝の気持ちを込めて、精一杯のお辞儀をする。


「君は、自衛官の卵さんだね?気をつけなよ」スーツの男性はさわやかな笑顔を浮かべて私の頭に軽くチョップをした。


「えっ?」


「僕、狩屋かりや純一じゅんいちといいます。たしか、有紀ゆきの友達での大久保さんですよね?違ったかな・・・・・・」狩屋と名乗る男性は人差し指で頬をカリカリと掻いた。


「狩屋さん・・・・・・、あっ有紀の・・・・・・!」狩屋 有紀。私の数少ない友人である。


 何度か家には遊びに行ったが、男性の顔をマジマジ見るのも失礼かと思い、いつも適当に挨拶をすませると有紀の部屋に駆け込んでいた。故に、有紀のお兄さんの顔はうっすらとしか覚えていなかった。


「そうか・・・・・・覚えてないか・・・・・、まあ、いいや!駅員に事情を説明しないといけないけど、大久保さんは、少し時間は大丈夫かい?」なんだか、狩屋さんが残念そうな顔をしたような気がした。


「えっ・・・・・あっはい、大丈夫ですけど」私は不安な気持ちが胸の中で広がる感覚に襲われた。

「緊張しないで僕にまかせて!」狩屋さんの八重歯やえばが輝いたような気がした。

「ありがとうございます」彼の一言で、私の胸の中の闇が一気に晴れるような気持ちに変わった。


 同じく被害者の女子高生と共に駅員室で車内での状況を説明した。


 そういえば有紀のお兄さんは刑事さんで、よく彼女にお兄さん自慢をされた覚えがある。


 こんなに素敵なお兄さんと思っていなかったので、正直、真剣に聞いていなかった。


 女子高生に危害を加えた痴漢男は常習犯らしく、駅員達もよく知っていたそうだ。


 程なく、痴漢男とハゲサラリーマンは抵抗せずに、パトカーで最寄の警察署へ連行されていった。あとで聞いた話だが、ハゲサラリーマンは某一流企業の部長だったそうで、仕事のストレスであんなことをしてしまったと弁解していたそうである。 


 ストレスの捌け口に使われるのもどうかと思うけど・・・・・・・。

 あれこれ手続きなどをしているうちに、登校時間は大幅に遅れてしまった。


 所謂いわゆる、遅刻というやつである。狩屋さんにパトカーで学校まで送ってもらったが、大事になるのも嫌だったので、校門のだいぶ手前で降ろしてもらった。 


 丁寧にお辞儀をしてから、学校へダッシュした。


 校門を駆け抜けて、教室に飛び込んだが授業は既に三時間目突入していた。


 担任の松井先生から授業もそっちのけで大目玉を食らった。


 事情は説明したのだが、気持ちがたるんでいるからだとか、すきがあるからだとか色々言われる。


 この説教が始まると中々終わらない。あまりにもしつこい為、ついたあだ名はスネークマンである。そういえば顔も爬虫類はちゅうるいのような顔をしている。


 頭がボーっとしてスネークマンのお小言も右から左へ流れていった。


(それにしても狩屋さんって、素敵な人だったなぁ・・・・・・)私は思考は現実逃避げんじつとうひを始めていた。


(いつも、あの電車に乗っているのかしら。満員電車は嫌だけど、明日もあの電車に乗れば、また会えるかもしれない・・・・・・・。う~ん、また会いたいなぁ)

「おい!大久保!お前、先生の話を聞いているのか!」唐突にスネークマンの声が頭に響いた。


「あっ、はい・・・・・・!」現実の世界に引き戻される。スネークマンと狩屋さんの笑顔が重なって、スネークマンには、見せたことのないような笑顔で微笑んでしまった。


「全く、呆れた奴だ!」最後は呆れられて終わってしまった。


 五時間目の体育の授業。今日の種目は軟式テニスであった。


 担当教師はテニス部の顧問も兼ねており、熱心に指導してくれるのだが、生徒達はテニスに興味が無いので、煙たい存在になっている。 


 彼の口癖は『この一球は絶対無二の一球なり!』服装はいつもグレーのジャージ上下だ。そういえば昔のスポ根アニメの熱狂的ファンだったと聞いたことがあった。


 授業が終わり更衣室で親友の狩屋 有紀に朝の出来事を話した。


「へー、それで美穂は今日遅刻したんだ。災難だったわね」

 有紀は体操服の上着の裾を両手でつかみ上にまくり上げた。二つの綺麗なふくらみがあらわになる。


 私の寂しい丘とは違い見事な山脈さんみゃく、またはふたコブラクダのようだ。


「どんな感じ!こんな感じかなぁ!」有紀が私の胸を掴んだ。


「えっ・・・・・・ちょっと、やめてよ!」有紀の手を払いのける。


「ごめん、ごめん!でもマニアックな痴漢さんだったのね!」有紀は私の胸を凝視しながら呟いた。


「どっ、どう有意味よ!」両手で小さな丘を隠す。


「どうせ触るなら、大きいほうがよくない~!」有紀がセクシーポーズをとる。デカイ!


「大きいから良いってものじゃないわ!それに私だって、そのうち・・・・・・ 」(大きくなるのかな・・・・・・? )自信は無い。少し自分で胸を揉んでみた・・・・・・ あぁ、馬鹿らしい・・・・・・。


「あなた達、早くしないと6時間目に間にあわないわよ!」クラス委員長の声が聞こえる。


 他のクラスメイト達は、既に着替えをすませていた。


「急がなきゃ・・・・・・!」有紀と私は慌てて制服を着る。


 改めて、有紀から、彼女のお兄さん・狩屋さんが警視庁捜査第一課の刑事であることを聞いた。今度は、スポンジが水を吸収するように情報が頭に入ってくる。 


 大学・警察学校を卒業し、早々に一課の刑事さんになったそうだ。空手・柔道・合気道あわせて十段ということ。


 有紀にとって、自慢の兄貴ということを再度強調していた。


「えっ、あなたもお兄ちゃんのファンになったの?けっこうライバル多いわよ」まるで、自分もその一人とでも言いたい顔だった。


 有紀によると、結構な数の女性が狩屋さんにモーションをかけているようだ。でも、仕事にしか興味がないのか、彼女を家に連れて来たことは一度もないそうだ。


 有紀も一時期、同性愛疑惑を持ったこともあるそうだ。


「そうか、狩屋さんは彼女いないんだ・・・・・・」少し、口元が緩み弾んだ気分になった。鼻歌を歌いながら、軽くスキップをしながら教室に向かった。


 次の日から私の乗る電車は一本遅くなり、朝の電車で狩屋さんを探すようになった。

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