トンネル

@Ak386FMG

第1話

 いよいよここまで来ると、もう終わるのだという気がしてくる。今日で本人質問が終わり、後は判決を待つだけだ。あれからここまで来るのに3年以上かかった。ずいぶんと長い月日が経ったものだ。裁判官から最後の和解の提案があったが、思いっきり突っぱねた。ここまで来て折れるものなどない。向こうは泣いていたらしい。本心では離婚はしたくないと、私の代理人の先生経由で聞いた。しかし、そもそもまさしく離婚原因を作ったのは向こうの方なのだ。


「先生、もう私が勝ったということでいいんですよね」

「まだ判決が出るまで分かりませんが、今までの裁判官の様子から考えますと、離婚請求が認められる可能性は高いと考えています。ただ、念のためもう一度言いますが、判決が出るまでどうなるか分かりませんからね。そのつもりでいてください」

「分かりました。でも先生、今まで長い間ありがとうございました。本当に先生のおかげで今を迎えられて……」

「山口さん、ここまで来て言うのもなんですが、本当にこれでよかったんですか」

「よかったんですよ。信じてた私をひどいやり方で裏切ったんですから」


 裁判所から自宅に帰ると自宅が妙に広くなっている気がした。気のせいだ。しかし今にも、帰ってきた私を子どもが出迎えてくれるような錯覚に陥る。彼女らがこの家を出てから3年、つまりあの日から3年。ようやく見慣れた光景になったのに、よりにもよってほぼ勝ちが確定した今日に、こんな気持ちになるなんて。まぁ向こうの本人質問での陳述を聞いて過去を思い出してしまったのだろう。荷物をいつものように廊下に放り投げると、テーブルに座って缶ビールを開けた。なぜだか、その開けたときの音が虚しさを感じさせた。


 結局、彼女が浮気をしていた理由が何だったのか分からないまま裁判が終わってしまった。そもそも、ついに彼女が浮気の事実を認めることはなかったけれど。私は、最後に彼女が浮気した理由を聞いて終わりたかったが彼女が言わないのであれば、自分で考えるしかないのだろう。それが彼女の私への最後の報復なのかもしれない。


 3年前の5月頃、彼女は、徐々に家に帰る時間が遅くなり始めた。歓迎会があったわけでもあるまいし、そもそも彼女の職場は業務後の飲み会は少なく、彼女自身、そういうのが嫌いなのだと、私は思っていた。そういう事情もあって、なんとなく、おかしいなと思い始めたのだ。彼女が帰ってきたときに、それとなく仕事が忙しいのか聞いても、全く答えずに風呂に直行し、私が作っておいたご飯も食べずに寝てしまっていた。

 私は、だんだん不安になって彼女の職場を調べてみようと思ったが、このご時世でも、職場の人なんて、インターネットで検索しても出てこない。しかし、ちょうど運のいいことに、私の友人が彼女の職場を訪問することがあるという。それでその職場の様子を聞いてみると、どうやら、彼女がいるところは、ほとんどが女性で、男性が少ないらしい。しかも、その少ない男性も、最近の異動で入ってきたとか。私は、ふと、男性が4月に新しく入ってきてそのうちの一人と仲良くなっていき、浮気をし始めたのではないかと思い始めた。

 そういう観点で彼女の行動を眺めてみると、なんとなく、思い当たる節がある。以前は、会社に行くときには、そんなに化粧をする方ではなかったのに、そのときはばっちり化粧を決めていたし、服装も、そんなかわいらしい服を着てたっけというような服を着て行っていた。その理由を聞いても、彼女は、なんとなくかな! といつもどおり答えるだけだったけれど、心なしか、彼女の声は弾んで聞こえるのだった。

 そんなことがあって、それから「浮気」の二文字が頭を回り始め、私は、仕事が全然手につかなくなっていったのだが、仕事で失敗して少し肩を落として帰っていると、目の前に彼女に似た人が男性と二人で並んで楽しそうに歩いているのが見えた。最初は他人の空似かなと思っていたけれど、よくよく見ると、その女性の持っているカバンは彼女のものとそっくりだし、そのカバンについているストラップは、まだ私たちが付き合っている時代に彼女が動物園で欲しいとねだったのでおそろいで買ったものと同じだった。それも私の田舎に帰省したときに行った小さな動物園で買ったやつだから、同郷の人でない限り、被るはずがないのだ。私は、浮気の現場を見てしまったとショックを受けたが、逆に怒りもこみあげてきて、証拠を残しておいてやろうと、その女性の後ろ姿とあのストラップのついたカバンを写真に撮っておいた。


 それでも家に戻って、あの場面を思い出すとつらかった。涙が込み上げてくる。私が何かをしたのだろうか。いや、こういうときは私が彼女に何かをしてあげられていないのだ。それでも今まであんな風に私と楽しそうに過ごしてきて、どこに不満があったのかさっぱり分からない。

 その日、また夜遅くに彼女が帰ってきた。私は、すぐに布団に入ろうとする彼女を止めて、何か不満があるならはっきり言ってくれ、と告げた。しかし、彼女は、何急に、そんなのないよぉ~と、いつもののんきな口調で笑いながら返すのだった。私は、それ以上何を聞いたらいいのか分からず、彼女が布団に入ってただ幸せそうに寝るのをただ見ることしかできなかった。

 それでも私は、彼女を心のどこかで信じていたのかもしれない。しかし、後日、彼女にその日のことを聞いたら、確かに男性と歩いていたという。彼女は仕事で一緒に歩いていただけだよと笑って答えていたけれど、どうもそうとは思えなかった。


 しかし、決定的なのは、これではなかったのだ。私に最後の一撃を食らわせたのは、彼女が男性と二人でラブホテルへ入ったとの情報だった。私の友人が、言うべきかどうか悩んだ末に私に打ち明けてくれたことだった。

 私は、それをもってもう一度彼女に問い詰めたが、そんなところには行っていないの一点張りで、絶対に認めようとしなかった。しかしこちらにだって、証拠はある。友人が撮ったという写真だった。二人でラブホテルに入っていく姿が写っている。後ろ姿しか写ってないのが悔しいけれど、それでも前回と同様、彼女の使っているカバンと例のストラップも写っている。否認する彼女に見せつけてやりたかったが、そこまでするのはかわいそうだと思い、しなかった。けれど、あの女性は彼女でしかない。


 こういう事情をもって、私は彼女が浮気をしたと確信したのだった。私は、彼女への信用を完全に失ってしまったのだ。子どもには本当に申し訳ないことをしたと思っているけれど、信用できない人と一緒にこれからずっと暮らしていくことはできないのだ。

 本当に、彼女が浮気をした理由とは何だったのだろうか。離婚をしてスッキリしたはずなのに、その理由が分からないせいでこころにモヤモヤが残っているような気がする。しかし、それも時間が経てば忘れてしまうのだろう。

 早くそんな日が来てくれと、泣きながら思った。

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