14.ケンネルとジオとパンコンガン鉱石
「やあ」
扉を開けたら、知り合いがそこには居た。
「やっと来てくれたんだ、ジオさん」
「やっと落ち着いたって、連絡をありがとう、ケンネル」
さあさあ入って、とケンネルは知り合いを中へと招き入れる。無論その際、周囲をちら、と見渡すのを忘れはしない。もっとも、見渡してそこに誰かの視線があろうが、この男は客人は中に入れるのだが。
首府郊外にあるその一軒家に、科学技術庁長官ノーヴィ・ケンネルが越してきたのは、つい一週間前だった。ずっと空き家だった、というその家は、いくら一つの庁の長官の家とは言っても、一人暮らしには広すぎる程だった。
実際、この客人も、入ってすぐに、高い、三階まで吹き抜けの天井と、取り囲む二階三階の廊下に見える扉の数に呆れた。
「君、本当にここに住んでいるの?」
「まあね。まあだいたいは物置になってるけど……」
それはそうだ、と客人はうなづく。
「本と、鉱物標本だけでもずいぶんな数だったからね、あの時君が持ち出したのは」
「必要なものだったら、やっぱり持って来なくちゃいけないでしょう? フアルト助教授」
「その名は止してくれ、とあの頃も散々言ったろう?」
ジオは顔をしかめて手を横に振る。
「すいませんね。だけど俺にとっちゃ、あなたはジオという名より、そっちのほうがぴったり来るんですよ。ゼフ・フアルト助教授」
そしてその後に、ケンネルはすみませんもう言いません、と付け加える。ゼフ・フアルトと呼ばれたジオは、苦笑するしかなかった。
「それより、君がわざわざ僕を探して呼び出した理由を聞きたいんだけど? 科学技術庁長官どの」
「そう、そこなんですよ」
ケンネルはぴ、と指を一本立てた。
*
ケンネルが最初にゼフ・フアルト助教授に会ったのは、もうずっと昔のことだった。まだ士官学校に居た頃だった。
正確に言えば、「会った」訳ではない。「見た」のだ。
まだ若かった。若いなんてものじゃない。まだほんの子供だったのだ、と後になって彼は思ったものである。
士官学校は時々外部の大学から講師を招いて、専門の授業をする。その年は、隣市のベグランの大学から、地学の助教授がやってきていた。
しかしまだ子供の延長だったケンネルにとって、その「助教授」はひどく若く見えた。首府でよく見る「教授」や「助教授」というものは、皆四十五十と歳を重ね、ある遊び友達の担当教授は、八十を越えたご老体だとも聞いていた。
なのに、だ。彼はその時少なからず驚いていた。
フアルト教授は、どう見ても、二十代の真ん中だった。それは理屈で考えてどう歳を食わせてみても、という意味である。外見はもっと若かった。下手すると自分達を指導する先輩士官候補生のほうがよっぽど老けて見えるくらいだった。
したがって、そんな若い助教授に対し、生意気盛りの士官学校の生徒は、かなり侮っていたと言える。実際、地学など何の役に立つのだ、という生徒が大半だったのだ。ケンネルも元々そのくちだった。
だがしかし、その助教授が講義を始めた途端、彼はあっけにとられている自分に気付いた。地学など、それまでの初等学校や中等学校の予科で学んだ限りでは、大して面白いものではない、と思っていたのだ。
無論ケンネルは、そんな面白くないとは思っていたとしても、成績は良かった。その程度には要領は悪くなかった。文系よりは理系の頭をしている、と自分自身のことはよく知っていたから、良くできることに関しては、とりあえずその力を周囲にも示していた。
その程度でしか、無かったのである。だが。
「例えばこの大地をこの建物と同じくらいの深さで掘り進めると?」
助教授は彼らに対し、言葉を投げる。
「眠る地層の中には、その時々の歴史が全て詰まっている」
だから、それを調べて行くことは、星の歴史をひもとくことなのだ、と言葉を続ける。何てクサいことを、と彼は当初あっけに取られた。呆れたロマンティストだ、と思わず持っていた鉛筆を口にくわえてしまった程である。
ところが、その季節限定の講義に毎回出席するごとに、ケンネルはどうも自分の調子が狂うことに気付きだしていた。
*
「特に、あなたがライの話を始めてからでした」
「そう、そんなことを僕は言ったのかい」
ぱら、と本棚に無造作に置かれていた一冊の本のページを繰りながらジオは乾いた声で言う。
*
フアルト助教授の講義に特別な熱が込められだしたのは、話がこの居住惑星アルクのことから、ライのことに移ってからだった。
地形や気候、おおよその大気の流れなど、一通りのことをさらってから、フアルト助教授はテキストをいきなり閉じた。そして、教壇の机に両手をつくと、口元に笑みを浮かべて、こう言った。
「しかし、こんなことは、結局外側に過ぎない」
ケンネルは驚いた。テキストを閉じてしまったことももちろんだが、むしろ彼の驚きは、助教授のその表情にあった。まるで、宝物を見つけた子供の様な顔だったのだ。
「まだまだ、ライには解明されていない部分が多くある。例えばここに記された鉱物にしたところで、それはまだ今の時点で判明しているものにすぎない」
それを聞いた途端、ケンネルは思わず手を挙げていた。助教授は何だい、と穏やかに問いかけた。彼は勢いよく立ち上がり、訊ねていた。
「それでは、まだこれからの研究次第で、もっと新しい発見ができるということですか?」
するとフアルト助教授は、大きくうなづいた。
「発見。そう発見だよ。あの惑星には、まだまだそういう要素があるんだ」
「それでは、先生はいつか、ライへ渡ってその調査をなさるおつもりでしょうか」
助教授は少しばかり困った様な顔になり、首を傾けた。そして少し考えると、こう言った。
「それは難しいことだね」
*
「実際、難しいことでしたね。ライには普通の研究者が行くことはそうそうできなかった」
ケンネルは机の上に座ると、足を組む。ジオは持っていた本をぱたんと閉じた。
「そうだね。僕の記憶はともかく、『知識』もそう言っている。鉱物資源の産出は、記憶を失った政治犯だけに政府はさせていた。誰も皆、ほとんどの者が、『知識』にも鉱産資源の内容はさっぱり判らない。これはどういうことだと、君は思っていた?」
「あの頃は、何も考えてませんでしたがね」
そう言って、ケンネルはポケットから煙草を出して火をつける。
「軍の研究所に入って、俺もだんだん見えてくるものがありましたよ。ライの資源は帝都相手の政治にも必要なものであるはずなのに、奇妙なくらいに、一般の研究者は手をつけようとしない。俺は士官学校卒業した後に、一般の大学に入り直すこともできたんですが、そのあたりに気付いたんで、そのまま研究所入りを受け取ったんです」
そうらしいね、とジオはうなづいた。
*
講義は短期間のものだったが、ケンネルの中に様々なものを呼び起こしたことは確かだった。だがその時点では、まだそれが自分の行き先を決定するとは考えていなかった。
それを決定づけたのは、卒業の前の年の事件だった。
その年、卒業して研究所に在籍する様になってから起きた「水晶街の騒乱」よりは小規模ではあったが、一つの騒乱がベグランで起きた。
実際、規模は大したことは無かった。参加した人数も多くはなかったし、軍や放送局が占拠される等の具体的行動に発展する前に、参加者が拘束されたことで、事態はひどく軽く終わったのである。
ただ、その騒乱が人目を引いたのは、その参加者の顔ぶれだった。ケンネルはその時、目を大きく見開き、食い入る様にその顔ぶれが勢揃いした新聞のフォートをにらみつけた。その新聞は、後輩で友人のテルミンが入手したものだった。
これ、あの時の講師ですよね、と一年後輩の友人はわざわざ早朝、塀を乗り越えて新聞を買ってきてくれたのだ。ケンネルはそれをほとんど奪い取る様にして広げると、思わず嘘だ、とつぶやいていた。
そこには、ベグランの大学や中等学校の講師や教師の名前がずらりと並んでいた。教育に携わるものの凶行、とその新聞の見出しはうたっていた。
嘘だ、とケンネルは繰り返しつぶやいた。
いくら目を閉じても、また開ければ無駄だった。そのメンバーの、首謀者の中には、ゼフ・フアルトの名前があったのである。
*
「俺はかなりショックでした」
とケンネルは煙草をふかしながら言った。
「それは何度も聞いたよ。なるほど僕は、そんなことをしでかしたのか、と君に聞いて、思ったね。実に他人事だった。でも考えてみれば、実に僕らしい、とも思ったね」
ジオはやや自嘲的にそれだけを一気に言った。
「それは、どういう意味ですか?」
ケンネルは問いかける。
「僕はね、基本的にノンポリのはずなんだよ」
「つまり? あなたはこの騒乱に巻き込まれただけだ、と言いたいんですか?」
「いいや違う。僕が首謀者の中に入っていたというなら、きっと僕は首謀者なのだろう。だけど、おそらく僕の目的はそこには無かったのだろうと思う」
「と言うと」
ジオは口の端を上げた。
「君の思う通りだよ」
「と言うと」
ケンネルは同じ言葉を繰り返す。しかしそれは同じ意味ではなかった。
「あなたは、ライに行くために、わざわざそんなことを起こしたのだ、というんですか」
「僕は知らない」
ジオは即座に答える。そして付け加える。
「だがそうしたのだとしたら、それは実に僕らしい行動だ、と思わざるを得ない。僕はそういう人間だ」
「目的のためには手段を惜しまない? たとえ記憶を失う羽目になっても?」
「僕の記憶など、大したものじゃあないだろう。予想がつく。今だってそうだ。確かに仲間は居るが、僕はきっと、自分の研究が自由にできるというなら、彼らをも裏切りかねない。そのくらい、僕にとって地学は強烈なものだ。僕はあの惑星で、他の連中が、逃げ出したがっている間、ひどく気楽に、毎日毎日鉱石を掘り出しては、楽しかったんだよ」
「……ええ、確かにその様でしたね」
ケンネルはうなづいた。
*
政府の命を受け、軍の技術研究所の中から、地学分野において詳しいスタッフが、総勢七人、科学技術庁所属という名目をつけて、ライへと派遣された。
ケンネルはその中でも、元々パンコンガン鉱石に関しての研究に携わっていた、ということで、若手ながらスタッフの筆頭としてライの雪を踏んだ。
既に「夏」期は終わっていた。そこで待ち受けていたのは、囚人達にまんまと脱走された軍のスタッフ達と、食堂の主だった。
軍のスタッフは、彼らと入れ替わりに大半がアルクへと戻って行ったが、食堂のスタッフはそのまま残留を続けた。囚人達が脱走した時に、脅されたにせよ何にせよ、彼らに手を貸してしまったということで、食堂のスタッフ達にはすぐの帰還は認められなかったのだ。
結果、軍の管理スタッフが五人と、アフタ・ラルゲンを始めとした食堂のスタッフが五人。それまで何百人と居たこの場所に、それから三年間、十七人で生活することになったのである。
ケンネルは三年間と決められた時間なら、せめて有意義に過ごそう、と考えるタイプだった。今までの何処ででもそうだった。またそれがわりあい簡単にできる性質だった。
それは友人のテルミンと違い、無理のないものであったので、付き合う者達にも何処か安心感を持たせるものだった。
慣れない雪の中の作業が終わると、彼らの楽しみは、食事と風呂くらいである。
もっとも、この研究所のスタッフの場合、作業そのものが楽しみの一つであるのだから、気の抜ける時間、と言い換えた方がいいのかもしれない。
水には困らないのだ。辺りには、雪がこれでもかとばかりに深く積もっている。多数の囚人に使う必要の無くなったこの期間、彼らはこの唯一の息抜きを非常に大切にしていた。
とは言え、それは共同である。時間もある程度決まっている。そうなると、自然、様々なスタッフが一同に顔を合わせることになる。
「ふぅ」
といつも赤ら顔のラルゲン調理長は、湯に浸かると殆どゆでだこの様な状態である。
そしてこんなことも言った。
「いやあ、毎日風呂に入れるっていうのはいいねえ」
「毎日じゃなかったんですか?」
ケンネルはふと興味を覚えて訊ねた。すると何を今更、という顔になってラルゲン調理長はうなづいた。
「そりゃあまあ、囚人の様に全く入らない、っていうのじゃないがな、一週間に一度、とかその程度だな。確かに水に不自由はせんが、そうそうそんなことに構ってられなかった、というのが正直なところだね」
へえ、とケンネルは頭にタオルを乗せながらうなづいた。
そんな風に、元々風呂好きの彼は規定時間いっぱいまで利用しながら、スタッフ一人一人を把握していた。
把握するのは、研究所・軍・食堂どれも問わない。研究所のスタッフにしたところで、全く気を許せる位置に居た訳ではなかったのだ。ただ、ケンネルの性格上、そんなことに頭を使うのは面倒だったのだ。だったらなるべく早く把握してしまって、それなりの対応を取る方が得策だった。
「それにしても、ずいぶんと雪焼けしましたね」
そして、やはり風呂好きらしい料理人の一人は、ケンネルによく笑顔を見せた。
彼はジオと名乗るこの一人に会うたびに、既視感を覚えていた。ただ、それが何なのかがさっぱり判らなかった。
そして、違和感。
ジオは他の料理人とは何処か色合いが異なっていた。何処が、というのではない。実際、ジオも食堂の奥の調理場で食事を作るスタッフとして仕事をしている。その姿を目にしたこともある。実に器用にするするとじゃがいもの皮をむいていたし、タマネギのスライスは透けて見える程薄く作ることができる様だった。
だがそれは、調理人でなくても、家庭の主婦でもできることなのだ。
「あんたも結構なものじゃない?」
「ええ! そうですかね」
ははは、とジオはそうやってまた笑顔を見せた。無闇に笑う奴は一度疑え、というのが、意外にもケンネルの信条にはある。自分自身がそうであるのはとりあえず棚に置き。
「それで、何か成果はありましたか?」
もう一つ、このジオという男にさりげなく猜疑の目を向ける理由が、ここにあった。この男は、実によく研究所スタッフの仕事の中身を知りたがる。
「ケンネルさんよ、時々こいつを仕事場に連れてってはくれないかね」
ある日、やっぱり皆して湯に浸かってほっこりとしている時に、ラルゲン料理長は言った。
「こいつはそういうのが好きなんだよ」
「そういうの?」
「ほら、あんたらがよくやってる、ああいうこと。あんたら七人だけじゃあ、この地の硬い土相手は結構厳しくないですかね?」
「ああ…… でもそっちの仕事もあるでしょう? そりゃ、人手はあった方がいいですが」
実際、毎日の風呂が嬉しい理由はそこにもあった。研究のためとは言え、毎日毎日ドリル片手に掘削をする作業は、結構に重労働だった。この地に詳しい者が手伝ってくれるなら、それに越したことはないのだ。
しかし、調理人の一人を、というのはやや気が退ける。
「大丈夫ですよ。昔はこんだけの人数で、何百っていう連中のメシを作ってたんだ。今なんて仕事は楽で楽で」
「それに風呂にも入れるし!」
そう言って、あはは、とジオは笑った。そうですね、とケンネルも笑い返した。
*
「全く」
部屋の片隅に置かれた銀色の灰皿に、ケンネルは半分ほど吸った煙草をなすりつける。ざらざらした表面の灰皿に、くっ、と黒い跡がついた。
「皆してよく示し合わせていた、と思いましたよ」
「示し合わせていたのは、調理の連中だけさ。軍のスタッフは、僕が調理のスタッフの制服を着てしまったら、もう囚人ということは思いだしもしなかったらしいね。いや元々、一人一人なんて見てはいなかったんだから、当然か」
「そういうものでしたか」
「そういうものだよ。まあそれも当然かな。何せ連中は、僕達が死ぬのほ待っていたようなものだから。そういうのを人間とは思わない、というのが得策なんだろうな。一人一人の個人だの人間だの、って認識すると情が移る。あいにく僕と違って、奴らは実に善良だからね」
くくく、とジオは笑った。ケンネルはその笑い方に、ふと寒気を覚えた。
*
実際、ジオという名の調理人は、実に役に立った。
何せ、大地に突き刺さり、堅い岩盤を削るドリルの刃の音を聞くだけで、この場をそのまま掘っても無駄、とかこの近くに鉱脈があるんじゃないか、とか口をはさみ、それは実によく当たるのだ。
研究者の面々は、ジオのこの特技とも言えるものに素直に拍手した。元々研究馬鹿とも言えるメンバーを引っ張ってきただけあって、自分の苦手な分野に関しては、他人の助けを素直に受け入れるのに慣れていたらしい。
それにまた、ジオ自身が、研究スタッフに対してさりげなく敬意を払い、素直とは言えプライドは高い彼らの機嫌を損ねない様にしていた、ということもある。
気付かないでいることも、できた。ケンネルにしてみても。だが、そういう訳にはいかなかった。
赴任から三ヶ月程して、一通りの鉱物資源の状態を把握した後に、彼ら研究所スタッフは、本命のパンコンガン鉱石についての研究を始めることにした。
「パンコンガン、ですか?」
にっこりとジオはそれに対し、首を縦に振る。
「一応、話は聞いてますが。実物も見たことはあります」
「どんな感じ? 俺ら、確かに予習はしてきたけどな、でかい実物をどうしても手に入れることができなかったんだ」
その頃ジオは、既にスタッフミーティングの時に片隅に居ることを許される様になっていた。それでもその立場を確認するかの様に、短い時間のものだったら立ったままだったし、長くなる時でも、やや離れた場所で聞いていることが普通だった。
「ふうん。じゃあジオ、どういう感じ、なんだ? あんたの見た感じ」
「綺麗ですよ」
「綺麗、と言っても色々あるだろ? ほら、そこのエメラルドやらアメジストやらの様な、とか」
「ああ、そういう綺麗さではないですね。どっちかと言えば、見かけはオパールとかに近いです」
なあんだ、とスタッフの一人から声が上がる。
「おいおい、俺達は別に宝石漁りに来たんじゃないのよ。パンコンガン鉱石がどんだけのエネルギーを秘めたものなのか、それを研究しに来てるんじゃないの」
ケンネルは穏やかな声でスタッフの一人にやんわりと注意する。彼らの目的は、あくまでエネルギー資源としてのパンコンガン鉱石だった。
そもそも彼らスタッフは、帝都政府がこの鉱石だけを強烈に希望するのは、それが今までになかったエネルギー資源であるから、と踏んでいた。
元々は政府が依頼した研究テーマだった。当初は、彼も他のスタッフ達も半信半疑だったのだ。何せ、研究しろと言ったところで、その鉱石そのものがそう簡単には手に入らないのだ。採掘された鉱石は、アルクに着くとすぐにそのまま帝都行きの船に乗せられる。彼らが研究できるのは、そんな中でそっとかすめ取られたほんの小さな原石だけだった。
元々、一日100グラムだけ、をノルマにして採掘されたものである。数が減ったことくらい、すぐに判ってしまう。その中からぽろりとこぼれ落ちたり欠け落ちたもの、そんなものをこっそりとかき集めたものが、彼らの研究所に送られてきたのだ。
そんな思いをしてかき集められた原石は、彼らにとって非常に興味深いものだった。
まず、その欠片にしたところで、反応するものとしないものがある。同じ大きさ、同じ重さであっても、エネルギー反応を見せるものと見せないものがあるのだ。
しかもそれは放射線の様に既に過去の研究で見つかったものではない。何か別の、エネルギー反応である。ケンネルを始め、その研究に参加したスタッフは、次第にこの鉱石の正体を知ることにはまって行った。そうでなくて、どうしてこの冬の惑星にわざわざ来ようか。中には家族を首府に残した者も居る。
何せ、このライであれば、大きな原石で、気が済むまで観察と研究をすることができるのだ。
冗談ですよ、とスタッフの一人は手を広げる。
「でも、やっぱり皆で見つけた時に、綺麗なかたまりだったりすれば楽しいでしょう?」
「あ、それはちょっと」
ジオは手を上げた。何、とケンネルはジオの方を向いた。
「パンコンガン鉱石は、人数が多いと逃げるんです。だから、採取に行く場合は、いつも二人一組だった、って聞いてますが」
「二人一組」
「囚人にしてもそうでした。あれを採取しに行く場合は、二人組にして、一日地上車に乗せて雪原に放り出すんです」
「……うわ、悲惨」
思わずスタッフの一人がそんな声を立てた。
「でも、仕方ないんです。パンコンガン鉱石は、人数が増えると、その反応を変に転移させるのか何なのか……」
上手く説明できませんね、とジオは笑った。ふうん、とケンネルはあごに手をかけた。
「……そうだな。じゃあジオ、最初にあんたが、俺と一緒に採取に出かけてくれないか?」
「チーフ!」
口々に声が上がる。それはやや「ずるい」とでも言いたげな口調だった。
「うるさぁい。何にしても、初めてなんだし、だったら水先案内人は必要だろう? ジオは少なくとも俺達よりよく知ってるから、案内人としては最適だ」
スタッフ達はうなだれる。
「それに、俺の番が終わったら、どんどん順繰りにすればいいじゃないか。その間別の鉱物の件もあるんだし」
「ですが~」
恨めしそうな声で、子供の心が半分を占めているスタッフ達は肩をすくめた。
*
「あなたが詳しいのは当然だったよね」
ケンネルはつと立つと、本棚のそばに立つジオに近づき、本の無い一角に腕を乗せた。ジオは本を閉じると、顔を上げ、ケンネルを見上げた。
「だけどそれを言う訳にはいかないだろう?」
「ええ確かにそうだった。少なくとも、囚人だったジオという名の人間の正体は。だけど、あの時、あなたは」
*
二度目の「新年」を迎えた頃だった。
遠く離れたアルクから送られてくる電波からは、新年の祝賀行事の模様が送られてきた。
ケンネルはその様子を、それでも「新年」らしく多少調理人達が腕をふるった料理と、アルコールの度合が軽い果実酒を呑みながら眺めていた。
「どうしたんですか、チーフ、怖い顔」
研究スタッフの一人が、ふと気付いて訊ねた。何でもない、と彼は答えた。
画面の中には、にこやかに笑う首相代理と、その側近の姿があった。日々送られてくるニュースによると、首相「代理」が次の総選挙でその「代理」という名称が取れるらしい。無論ニュースキャスターはそんなことを断言する訳ではない。中央放送局は、それを「街の人の声」として収集し、それらしくまとめ上げているだけだ。
ただし、まとめ上げるのは、「誰か」だ。ケンネルはチーズを乗せたクラッカーをつまむと、口に放り込む。
「新年おめでとう。どうしたんです? ずいぶんと不機嫌そうじゃないですか」
気配の無さに驚いて振り向くと、そこにはジオがにこやかな笑みを浮かべて立っていた。
「別に不機嫌って訳じゃ」
「吸いますか?」
そう言って、ジオはポケットから煙草を取り出した。
「俺はやらないって、知ってるだろ?」
「そうですね」
そして煙草はポケットに元通りしまわれる。だがジオはそのままケンネルの横の空いた椅子に横座りの姿勢になった。
「本当はですね、ケンネルチーフ」
「何?」
「結構今日は、出そうだ、ってことを伝えに来たんですよ」
「出そう?」
「鉱石が、ですよ」
彼は手にしていたコップを置いた。
「出そう」なもの。それはその時期なかなか「出ない」もののことを指していた。
「パンコンガン鉱石の反応が大きいんです。さっき、ちょっとそちらの部屋にお邪魔したら、探知機ががーがーとうなってましたから」
「……無断で入るなよ」
「いや、別に入ろうと思って入った訳じゃないですよ。ちょっと裏の菜園ポッドから香味野菜を抜きにきたついでに」
ああわかったわかった、とケンネルは前髪をかき上げた。
「で、それを言いに来ただけなのかい?」
「いいえ」
何を今更、と言いたげにジオは笑った。
「無論、チーフを誘いに来たんですよ。探索の」
だろうな、と彼はうなづいた。そしてその十五分後、顔を洗って酔いを冷まし、装備をつけたケンネルは、ジオと一緒に外に出ていた。
風は無かった。だが痛い程の寒さは変わらない。空気がきしんでいるかの様な錯覚すら覚える程である。陸上車の暖房はいつでも最強になっている。それでも時々すき間から入り込んでくる寒気のせいで、気温は下がろう下がろうとする。
探知機の反応は確かに強かった。
「……こんな強いのは、俺初めてだ」
ケンネルは計器を見ながらつぶやいた。そうですか、とジオは問い返す。
「そうだよ。特に最近はそうだ。逃げ回ってばかりで」
「あれは人を見ますからねえ」
くす、とジオは笑った。
「何、それって、俺達のことを嫌いってこと?」
「というか、あまり切実なものが、今の我々にはないでしょう?」
「切実なもの」
ケンネルはその言葉を繰り返す。
「ええ、切実なもの。ここに住んでいた囚人達にしてみれば、回り持ちで彼らは鉱石を取っていた訳ですが、パンコンガン鉱石を持って来れない限り、戻ることはできない。それはそれは必死でしたよ。まあ相性がいい奴も居て、何ら苦労無く見つける奴も居たことは居ますが」
「何か、それって、鉱石が生きてるかの様じゃないか」
「そういう気がした、ということですよ」
あっさりとジオはかわした。
「何せこの惑星に関しては、皆知らないことが多すぎだから、何が起きても不思議じゃあない。どれだけ我々がこの手でドリルでこの大地を掘ったところで、この分厚い惑星の皮一枚傷つけることができないんですから」
「……」
ケンネルはふとあの既視感が襲ってくるのを感じた。
「我々はこの惑星の歴史に指一本触れていないようなものなんですよ」
「眠る地層の中には、その時々の歴史が全て詰まっている、ってことかい?」
「そう。その通り」
彼は息を呑んだ。
「だから、それをこれから調べていくことで、この星の歴史をひもとくことになるんじゃないですか」
既視感がケンネルを撃ち抜いた。
「……止めてくれ」
「は?」
「止めてくれ、って言ってるんだ!」
ジオは慌ててブレーキを踏んだ。地面の雪が、急ブレーキの車輪の下で、粉になって舞い上がる。
「一体どうしたんですか、ケンネルチーフ」
「……俺のことを、チーフと呼ぶな……」
ケンネルは顔を伏せ、頭を抱えた。ジオはその顔を上向かせる。
「顔色が、悪いですよ。酔ったんですか?」
「やめてくれ…… いや、やめて下さい」
「チーフ?」
「似てる似てるとは、思っていた。だけどどうしても信じられなかった。フアルト助教授」
「え?」
ジオは眉を寄せた。露骨な程にそれが困った表情だ、ということは、ケンネルにも判った。そのまま、ジオの腕をぐっと強く握ると、ケンネルは叫んだ。
「俺はあなたを知ってる、ジオ! いや、ゼフ・フアルト助教授!」
「だからそれは」
「知らない、と言う? だったらいい。じゃあ少なくとも、これは本当でしょう? あなたは調理人じゃあない。少なくとも、あなたは本当の、政府から派遣された調理人ではない。だったらあなたは一体誰なんだ?」
「僕は、ジオだ。それ以外の何だって言うんです? だいたいフアルト助教授ってのは、誰なんです?」
「知らない? 知らないって言うの? 俺は士官学校であなたの講義を受けて、地学が好きになった。ここにこうやっているのは、あなたのおかげだ。俺が、あなたを間違える訳が無い…… そりゃあ、外見が、ずいぶんと、変わっていたから、ずっと迷ってはいたけど……」
「ケンネルチーフ」
ジオは苦笑しながら、ケンネルの手をゆっくりと外させた。
「……あなたは頭がいい。だから、僕が本当の調理人でないことを見抜いたことには、頭を下げる。だけど、僕は、僕がフアルト助教授という、あなたの恩師かどうか、というのには答えることができないんですよ」
「……何故。違うんだったら、違うって言えばいいのに」
するとジオは首を横に振る。
「僕には、それは言えないんですよ、ケンネルチーフ。あなたは僕が本当の調理人じゃあないと言う。じゃあこの僕は一体誰だと思うのですか? その助教授だ、というのはさておき」
「あ……」
ケンネルは思わず声を漏らしていた。そう、とジオはうなづいた。
「僕は、ここに居た囚人の一人ですよ」
「まさか……」
「そのまさか。だから、僕には、ここに来るまでのパーソナルな記憶が無い。僕はあなたの言うところの、そのフアルト助教授だったかどうか、ということを答えられないんですよ」
そんな、とケンネルは思わず叫んでいた。
「そんなの、ひどい!」
「ひどいと言われても」
ジオは苦笑を浮かべたまま、そうつぶやいた。
「ええ、でも確かに、僕にそういう傾向の知識があったのは確かですよ。それは抜け落ちてはいない。それだけは大切だったんでしょうね、僕はここに来てから、ずいぶんと楽しく採掘をしてましたよ」
「それで、詳しかったんだ……」
「あなたには、それはいつかばれるんではないかと思っていたけど」
「俺はそんな、いい目はしてないよ……」
く、とケンネルの喉から押し殺した様な声が漏れた。
「だけど、あなたがフアルト教授だ、ってことは、俺は、絶対間違わない。絶対そうなんだよ。あなたはあの講義の時、言ったんだ、確かに。地層と歴史のことを。俺はちゃんと覚えてる」
「だけど、僕の中には、それは何処にも無い。そう、きっと、無くしても惜しくはない記憶だったのかもしれない。あなたの言う、フアルト助教授は、一体何をやって、ここに送られたんですか? ここに居るということは、政治犯だ」
「……騒乱を……」
ケンネルがそう言いかけた時だった。ビー、と激しい音が車中に鳴り響いた。二人は会話を止めて、音の出所に顔を向けた。
「……これは」
ジオは目を大きく広げて、様子の変わった探知機の針を見た。
「ケンネルチーフ、行きましょう」
「行きましょう、って何処に……」
「この様子は、いつもと違う。僕が囚人だった時、やっぱりそういうことが一度あって。いや僕ではなかったけど。他の房の者が」
ジオはアクセルを大きく踏み込んだ。それまでの貼り付いた様な笑みで応対をしていた顔とはずいぶんと異なっている。ケンネルは急発進にベルトで胸を強く圧迫されて、ぐえ、と喉から声を漏らした。
おっと、と言いながらジオは探知機とケンネルを横目にスピードを上げていく。
「一体、どういうことなんです!」
「敬語は止して下さい! その時、やっぱり二人組が出かけたんですが、その時、一人はひどいケガをして帰ってきて。もう一人は、身体には別状なかったけど、心が」
「心?」
「喋ることができる状態じゃなかった」
「何だよそれ!」
ケンネルは思わず叫んでいた。
「僕は、何とかして、ケガをした方に会おうと思った。会って、話を聞きたかった。そのために、しないでいいケガをわざわざ作って、滅多に入れられない『医務室』という奴に入っている奴から、何とか話を聞き出した」
ケンネルははっとして目を凝らす。首筋に、うっすらと跡があるのが見えた。
「そんなことまで!」
「そんなこと、でも僕には重要だった。だからやった。当然じゃないか。向こうは向こうで、別に処罰で暁に祈らせる様なことはするくせに、真面目な奴の自殺は効率に関わるとか何とか言って、適当な手当をして、また労働に出させる。そのほうが効率的、だから。僕はそれを知っていたから、そうしてみた。さすがに血がずいぶん抜けてふらふらしていたけど、夜中に起きだして、容態が悪化して虫の息だったそいつから、その時にあったことを聞き出した」
「……」
「僕は思わずその時気が遠くなった。何故だと思います? ケンネルチーフ。僕は、嬉しくなったんですよ。目の前で、人が一人死にかけているというのに。自分も処置したばかりでまだ傷が痛んでいたというのに。だって、そいつは、こう言ったんですよ? 『パンコンガン鉱石に、話しかけられた』」
「何だって!」
「僕だって信じられずに、問い返しましたよ。だけどやはりそうだった。間違いじゃない。そいつの妄想でない限り……いや妄想だったとしても、そうさせる何か、がパンコンガンにはある。それを知った瞬間、僕は躍り上がりたい程、喜んだんですよ」
ケンネルは背筋が寒くなるのを覚えた。だがその寒気が、この目の前の男のせいなのか、男の喋る出来事のせいなのか、それとも、これから先に起ころうとすることのためなのか、判らなかった。
やがて、一つの地点でジオは車を止めた。そこは岸壁になっていた。普段もよくそこからは採掘されていたらしく、向きだしの岩肌には、所々ドリルの掘削跡があった。
「……ここ…… なのか?」
「いいえ、違うと思います」
「それじゃ」
「と言うか、それは、人を見るんですよ」
ジオは断言する。ケンネルはまだ半信半疑だった。固く凍った雪を踏みしめ、ジオはその岸壁へと近づいていく。手には普段の採掘道具であるドリルは無い。
おいちょっと待て、とケンネルはジオの後を追った。
そして、前を行くその肩に手をかけようとした時だった。
ふら、と頭の芯が揺らぐ様な感触をケンネルは覚えた。
*
「……まだ信じられない」
「信じられない、と言ったところで、僕達が体験したことは、事実だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そうですね、とケンネルはうなづいた。事実を事実として認めること。それが研究者の資質として存在する以上、ケンネルはそれを夢だ幻だ、と都合よく解釈することができなかった。
「あれは、事実だった」
「そう、そしてあなたは、それを待っていたんだ」
ジオは黙ってうなづいた。
*
ゆらめきは一瞬だった。
だがその瞬きする程度の間に、視界は全く違うものになっていた。
少なくとも、そこには雪は無かった。
いや、雪どころではなく、何も、無かった。
少なくとも、ケンネルには、そう見えた。
「何……」
「判らない」
ジオもまた、何が起きたか判らない、といった表情を浮かべていた。
「予測していたんじゃないですか?」
「何かが起こる、とは予測していた。だけど、どんな事態が起こるかは予測はしていなかったよ」
辺りはまばゆい程の光に包まれていた。足元を見ても、そこには影が無い。四方八方、至る所から光が満ちあふれ、合わせた手の間にも、互いの影が写ることも無い。
「……浮いてるみたいだ」
ケンネルはつぶやく。だが足元には、確かに何かを踏みしめている、という感覚はあった。
「少なくとも、実体はある訳だな」
「どういう意味ですか」
「いや、もしかしたら、既に肉体は無いのかな、なんて考えたりもしたのだけど」
怖いことを言う、と彼はつぶやいた。
しかし二人の中には、不思議と恐怖感は無かった。
それはこの辺りに満ちている光の色のせいかもしれなかった。穏やかな、霧の中にも似た乳白色の光。雪の白とは違い、その光は二人の肌の上に暖かみを感じさせた。
……どのくらい経ったのか、彼らには判らなかった。互いに話す言葉は通じるのだが、他の音がさっぱり耳に飛び込んで来ない。何処かへ行こうと思うにしても、この霧のような光の中では、動いた所でどうにもならない、という感覚をケンネルに起こさせていた。
それに、とケンネルはジオを見る。
何かを待っている様なその顔を、じっと見る。
!
不意に、ケンネルは耳を塞いだ。
耳の中に、甲高い音が鋭く飛び込んできた。思わず彼は目を閉じる。両手で耳を塞ぐ。
頭の中にまで、その音は突き刺さる。
「……ジ…… ジオ!」
うっすらと目を開けると、ジオもまた、その場にうずくまって目と耳を塞いでいた。
たが回復するのは、そちらの方が早かった。いや、回復はしてはいなかったのかもしれない。ジオは意を決した様に目を開くと、こう言ったのだ。
「誰だ!」
あ、と彼は声を立てた。今度は頭だけではない。光の細かい針が、彼らめがけて何処からか放たれた。ケンネルは細かすぎて痛みと感じない程の痛みが、一気に身体全体に突き刺さるのを感じた。それだけではない。その光は、身体の中を通り抜けていく。通り抜ける時に、するりとした感触を一つ一つ身体の中に残していくのだ。
彼はどうしようも無い感覚に震えた。
しかしそれでも目を見開いた。ジオがそうしているというのに、ケンネルは自分だけうずくまっている訳にはいかなかった。
そして次の瞬間、彼は自分自身への説明に困った。
ぱん、と音がしてもおかしくないくらいの衝撃が、頭の中に直接弾けた。
何だ、とケンネルとジオは顔を見合わせた。
明らかに、自分のものでは無い考えが、自分の中に流れていくのを二人とも感じていた。だが、その考えが、さっぱり言葉として解読できないのだ。
テレパシイというものは、二人ともそれなりに知っていた。だが、それは表層の言語化された意識を飛ばすことだ、と解釈されることが普通である。
それを「普通」と呼ぶなら、その時二人の中に走ったものは、「普通」ではなかった。
映像が、恐ろしいスピードで流れていった。
それは、彼らの知っている色では彩られてはいなかった。奇妙にアウトラインだけがくっきりと浮き立つ様な映像が、ぐいぐいと一つ一つ迫る様な感触で、頭の中を通り抜けていく。強烈な色に、彼は思わず胸が悪くなる。
だが、次第にその一つ一つの映像が、判りやすいものに変わってくる。いや、理解できる範疇のものがその中に映ってきたのだ。
あれは。
……
どのくらい経ったのだろう?
気が付いた時、二人は岸壁の前に倒れていた。
しかし体温がそう失われていないところから、気を失ってからさして時間は経っていないことは容易に考えられた。
二人とも、何から口を開いたものか、という様に顔を見合わせた。
自分達の中に流れたものは、言葉で説明のできる様なものではないのだ。かろうじて言うなら、それは「流れ」。
意味の理解できない音のつながりが、波長の違う視覚を持った大量すぎる映像が、ほんの僅かな時間の中で、自分の中にそそぎ込まれた。それはそれまでの自分の蓄えてきたものを押し出してしまうか、と思われるくらいの大量のものだった。
ケンネルは頭をぶるん、と振ると、唇を噛んだ。
そして先に口を開いたのは、ジオの方だった。
「……ケンネルチーフ」
「チーフとは呼ばないで下さいよ……」
「あれは…… 歴史だった……」
「歴史…… ですか…… そう言われてみれば、そうかもしれない……」
「あれは、……でも、ここの歴史じゃ、ない……」
え、とケンネルは顔を上げた。
「ここの歴史じゃ、ないって?」
ジオはうなづいた。
「信じられない…… だが、あれが真実だとすると……」
厚い手袋をはめた両手が、一度大きく自身の頬を両側から叩く。ばふん、と乾いた音が、音一つしない雪の中で、奇妙にケンネルの耳に大きく響いた。
「地層は…… その惑星の歴史を……」
「違う、ケンネルチーフ、これはここの歴史じゃあない。この惑星ではありえない」
「どうしてそう、言い切ることができるんですか!」
ケンネルは思わず声を荒げていた。
「それとも、あなたにはあの映像の意味が、判るというんですか!」
ジオは顔を歪めた。それはそれまでケンネルが見たことの無かった表情だった。彼は――― 彼自身は、映像の意味を総体的に理解することはできなかった。浮き出す個々の映像一つ一つならば、まだ多少解釈の仕様がある。そこには人間が居た。人間らしいものが居た。乾いた大地があった。見たことのない草木があった。
そう、確かにこの惑星じゃあない。ケンネルでもそれは理解できる。
では何処なのだろう。
「……どうしてこれがここに在るのか、僕にはそれを説明できない。だが……」
「だが?」
「……僕は、あの顔を、知っている」
「あの顔?」
「あの映像の中に、一人の人物が出てきた。見間違えたかと思ったが…… 直接入ってくる映像に間違えるも間違えないも無いじゃないか。現に今だって、僕はその部分をくっきりと思い浮かべることができる」
「それは」
ケンネルは口ごもる。
通り過ぎた光景は、確かに、残っているのだ。通り過ぎて、無くなってしまった訳ではない。確かに、自分の中に、幾つかの映像をくっきりと焼き付けたままなのだ。ただそれがどういうものなのか、理解できないだけで。
「誰なんです? それはあなたのパーソナルな部分なんですか?」
「いや違う。あれは記憶じゃあない。知識の方だ。僕が直接会ったとか、個人的に知り合いというものじゃない。だけど、僕は確実にその姿を知っているんだ」
「だから」
「ケンネルチーフ、あなたは帝都へ出向いたことがあるか?」
「へ?」
急にそこへ話が飛んだことで、ケンネルは思わずとぼけた声を出してしまった。そしていいえ、と慌てて答える。
「でしょうな。アルクの人間はそこだけでほぼ全て完結しているから、帝都に用事があることはまず、無い。それにアルクでは、帝都や、帝立大学に留学したところでハクがつく訳ではないだろうし。だけどおそらく、僕はそのどちらかに行ったことがあるんだろう。そしておそらくは、その時に、その姿を見たんだ」
「……だから……」
「皇族だ」
短い答えだった。だがその答えは、ケンネルから一瞬呼吸を奪わせるのに充分だった。
「無論、今現在の皇族じゃない。……と、思う。今の様な、帝都の、全てが完備した様な場所じゃない。あれは。もっと…… 厳しい自然の中で生きてたような……」
「ってことは、ジオ、あなたは」
ジオは目を伏せて口ごもる。
「あれが、アンジェラスの鉱石だ、って言うんですか?」
*
「……さすがに俺も、言葉として理解しても、意味を理解するには、多少の時間が要りましたよ」
「そうだね、そして僕等の様な予備知識の全く無い者にとって、確かにあれは、強烈だろう。あの映像を受け止めようとしても、頭に一度に入れることのできる量を遥かに越えているだろう。危険な賭けだった、と今になってみて思うよ」
「でも、後悔はしてない」
ああ、とジオはうなづいた。
「あれがどうアンジェラスから移動してきたのかは判らない。ただ、現在の帝都を支配する皇族や血族の方々、の出身のアンジェラス星域には、帝都政府の力により、永久封鎖がされているんだが、その理由はよく判ったよ。そしてもう決して、そこに行くことはできないことも」
ケンネルはそうですね、とうなづいた。
「彼らは、帝都へ移り住んだ後、母星を破壊したんだ。この存在を隠すために。そしてその欠片が、何処をどう通ったのか知らないが、遠く離れたこの惑星へと落ち、冷たい大地の中でひっそりと息をひそめていた。あの鉱物生命体は」
「……俺は、あの後あなたがくれた結論を全部信じたくはない。できれば、信じたくはないんだ。だけどフアルト助教授、あなたが言うのなら、俺は信じずには居られないんだ。判ります? 影響を与える、というのは、そういうことなんですよ」
「……」
「だから、あなたの目論みも、できる限り協力します。科学技術庁長官の俺に、あなたは何を望むんですか?」
ケンネルは、普段まず誰にも聞かせない様な鋭い声を恩師に向かって浴びせた。恩師だから、浴びせた。
そして、その恩師は、その時極上の笑みを浮かべた。
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