Hell? Heaven./過去を忘れさせられた男達が社会を転覆させてしまうまでの話。
江戸川ばた散歩
プロローグ ARK 823.04.23
『広報823.04.23、本日正午、先日の第35連隊におけるクーデター未遂の犯人に対する処置が行われる』
「おいテルミン、アレ聞いたか?」
耳に聞き慣れた高い声が、不意に飛び込んできた。
朝の騒がしい食堂。手には銀色に鈍く光るアルミのトレイを持ったまま、振り返ることもせず、ただ少しだけ背を反らせて、肩越しのその声に、小声で彼は返す。
「聞いたよケンネル。それだけじゃない、もうじき広報が映される。だからその前にとっととメシ食っちまおう」
「そうだよな、始まったら食えなくなる」
士官学校時代には一級上の友人であったケンネルもうなづき、空いている場所を探して、トレイを置く。席に着くが早いが、彼らは恐ろしい勢いで朝食をかき込み始めた。
元々味の評判はさほどに悪くない士官食堂だが、味わう余裕はない。実沢山のスープも、バタをたっぷりとつけた丸パンも、何杯でもお代わりが可能なコーヒーも、トマト味の煮豆も、次から次へと流し込まれるばかりである。
そんな食事を半分くらい済ませた頃に、食堂の真ん中に置かれた3Dモニターが作動し始める。部屋の隅々に置かれたスピーカーから、一瞬立ち上がりのざらっとした音が流れる。テルミンはあきらめて口の中のものを飲み込み、音のする方へ顔と身体を向けた。
甲高い声で「広報」の担当の女性兵士は、真っ直ぐその場に立ちながら注意を喚起する。その場に居た全ての士官の手から、スプーンやパンが皿の上に置かれる。
あの件だよな、とテルミンは無表情に、抑揚の無い声で広報を読み上げる女性兵士の映像を見ながら思う。
先日、若手士官によるクーデター未遂事件が起きた。当事者は、ここ第28連隊からは決して遠くはない、第35連隊。同じこの惑星の、首府警備隊の一つなのだ。
その程度には噂で彼の耳にも入ってきていた。当事者が、士官学校を自分とそう変わらない期に卒業した集団であることも、その人数が総勢25人であることも。
馬鹿だよなあ、とテルミンは内心つぶやく。
そんなこと、そう簡単に出来る訳じゃあないのに。成功する確率の少ない賭けなんかするものじゃない。
少なくとも彼は、自分はその様な愚は冒したくないものだ、と思っていた。
広報を読む甲高い声は、そのままその場に続いている。「処置」の場所は首府の中央広場であるらしい。だったらそれが銃殺刑であることは間違いない。そして公開でそれを行うということは、自分達が見物の市民を警備するようにかり出されるということでもある。
テルミンはそっと、周囲には聞こえない程度にため息をついた。
「いいよなあ、先輩は。今日は出なくてもいいんだろ?」
食堂を出たところで、ふと友人に嫌味を言ってみる。
あちこちが本日の「処置」のために騒がしい。廊下を歩きながら、同じ軍の中でも、技術研究所に配属されている友人に、こっそりと彼は嫌味を言ってみる。
「そうだよな。俺その点はうちの部署に配属されて幸せかもしれないよなあ」
嫌味が通じないのか、背の高い友人はげらげら、と笑いながら彼にそう返した。
「ま、お気の毒、と言うしかないよな。向き不向きってのがあるでしょ」
「向き不向きい?」
「だいたいテルミン、お前ウチに回す文書見ただけで数字の羅列が嫌いって、眩暈起こすくせに」
「うるさいよ先輩」
一言一言に力を込めて、テルミンは返した。
「ま、そっちに回されたんだから仕方ないさ。だいたい俺だって、時には見たくない様な研究だってあるんだからさ」
彼は立ち止まった。一歩先に踏み出していた友人はそれに気付き、振り返る。神妙な顔をして、テルミンは、こうつぶやく。
「ごめん」
そうなのだ。ケンネルの勤める技術研究所という所は、確かに軍隊の最前線とは縁のない場所なのだが、その一方で、あまり一般生活には縁を持ちたくない様なものを目にしてしまう、ということもあるらしい。例えば新兵器。例えば未来予測。
何処にもそれなりの苦労はあるのだから、自分ばかりが言うことではないのだ。
ケンネルは自己嫌悪に襲われる元後輩の方に向き直ると、腰に手を当て、努めて明るい声を出す。
「何言ってんのテルミン。だから、とりあえず今日は何とかしておいでって」
「そうだよな。それで夜さっさと寝てしまえばいいよな」
「そうそう」
そうだよな、とテルミンは思う。仕事なのだ。こなしてしまえば終わりだ。わずらわしさを自分から呼び込むことはないのだ。
「それよりさ、テルミンお前、どの位今度のこと、聞いてる?」
ケンネルは彼にやや近づくと、ようやくここまで来たら大丈夫とばかりに濃青の袖をまくりながら、小声で訊ねた。食堂では軍服はきっちりと着込まなくてはならない。それがこの元士官学校の理系の首席はどうも嫌いらしい。
「どの位って」
テルミンは首を傾げる。質問の意味がいまいち掴めない。
「誰が首謀者か、とか」
そう聞かれて彼はああ、とうなづいた。
「あまりその辺は良くは知らないな。ただ、年齢的には、俺や先輩と一緒くらいだとは聞いてるけど」
「同期かよ?」
「いや、同期とは限らないけど。ひょっとしたら、俺の同期も居るかもしれない。とにかく、ここ二~三年のうちに卒業した世代であることは事実らしいんだ」
「らしい、ね」
ふむ、とケンネルは眉を寄せ、首を傾け、腕を組む。やや軍人にしてはしまりのない、と言われている口元が、見事なまでのへの字を描きだす。
「何か今回さあ、いつもより情報が回るのが遅くないか?」
「あ、やっぱり先輩もそう思った?」
テルミンはテルミンで、普段誰からも大きい、と言われている目を、さらに大きくして返す。
「って言うか…… 結構ウチの…… 技研は色んなとこの連中が用事があってやってくるじゃない。俺もあちこち行くし。だけどこれと言って、使えるような噂って伝わってこなかったし」
「それは俺も思った」
テルミンはうなづく。
「当の35連隊に、ひどく慌てて首府以外から人数の補充があった、ってことから、人数は割り出せたんだけどさ、それが誰かというとなると、いきなりブラックボックスだもの。何も手がかりがなかった。でもさすがに今日は言うだろ。言わなくちゃおかしい」
「そうだよな」
そう言ってふとケンネルは地面に視線を落とした。テルミンはふと思い付いたことを口にする。
「何、先輩知り合いでも居るの? その中に」
「や、そういう訳じゃあないけど」
考えてみれば、自分にもその可能性はあるのだが。テルミンは口にしてからようやく気付いた。士官学校の卒業生は、他の一般兵士の訓練校より人数が少ない。だから同期と言えば、見知った顔もあるはずで―――
彼はそこまで思って苦笑する。俺ってそんなに連中に関心もってなかったのね。
それは仕方がない、と彼は思う。元々好きで入った軍隊ではないのだ。結果として、士官学校でケンネルの翌年、文系首席で卒業し、その後三年で大尉にまで昇官しているそつの無さはあれども、好きかどうかは別の話なのだ。
*
正午のサイレンが鳴る頃には、首府の中央広場は、公開処刑を見物するために集まった人々で埋められていた。
テルミンは警備隊の一員として配置されていた。広場にロープを張り、銃を腰につけ、人々が決められた場所から前へ決して飛び出さない様に見張る係…平たく言えば、見張る係を束ねる役だった。
「特に今回は注意する様に、テルミン大尉」
上官は彼にそう注意している。
「我々首府警備隊の中から、市民の平和を脅かす者が出た、ということで、市民の感情はひどくぴりぴりしている。この先何が起こるかは判らないが、決して突発的なことに対して感情的にならないように」
もっともだ、と彼は思う。
首府警備隊は、士官学校を卒業した一握りの人間が、まず自身の立場と使命を自覚させられるために就かされる部署でもある。技術研究所勤務のケンネルの様な例はまれで、普通は、最初の一年が成績良好なら、更に数年をそこに留まり、そこから特別なエリートコースへと進んでいくのである。
彼は自分に関しては、どうやらその絵に書いた様なコースを進んでいるのだ、とは自覚していた。
とは言え、彼は自分が望んでそうなった訳ではない、と考えていた。努力を全くしていなかった訳ではないが、人並み以上には適性があったらしい。
彼は苦もなく、この部署で既に三年を過ごしていた。そしておそらくは、道を踏み外すこともなく、近いうちに佐官の地位にも付けるだろう、と感じていた。
まあそんなものだろうな、と。
そんな彼の一瞬のぼうっとした考えは、次第に大きく、高くなっていく人々の声で遮られた。時間だ。
広場には大きく、厚い壁がある。その向こう側には、星系統一会議議事堂、首相官邸、各省庁や中央公立図書館等のある、「政治の街」がある。
こんなぶ厚い壁に守られてるんだよな。
テルミンは内心つぶやくと、その壁の前に次々と引き出されて来る今回の当事者を目を細めて眺める。日射しがきつい。目が痛い。壁が白すぎるのだ。
何度も赤く染められて、そのたびにこの壁は政府や警備隊の手で白く塗り重ねられる。何度も何度も繰り返すことで、その色は本当の白より白い。
目が痛くなる、とテルミンは思う。
次々に、当事者は引き出されてくる。彼はそれが誰なのか、判る奴がいるだろうか、とそれでも目をこらしてみる。帰ってから視力が一時的に落ちているだろう、とも同時に思う。
だが誰が誰だかさっぱり判らない。これは予想をしていなかった。皆が皆、布をかぶせられているのだ。
テルミンはちら、と同僚達の顔をうかがう。思った通り、彼等もまた、戸惑っているかの様に、ちらちらと視線を交わし合っていた。
その理由をこの場で果たして告げてくれるのだろうか、とテルミンは思い、その直後否定する。そんな余裕は無いだろう、と。
どんな理由にしろ、彼等が「クーデター未遂犯として」ここに居るのは確かである。
実際にそんなことが起きていようがいまいが、ここに居る以上は、クーデター未遂犯なのだ、と彼は解釈していた。過去の事例から、彼は知っていた。時には事実は作られるのだ。
だが彼は、ふと自分の目の前の光景に違和感を抱いた。
何だろう?
壁の前には、狭そうに当事者が並べさせられる。25本も柱を用意するのは面倒だろうな、と彼はふとその時思った。
頭の中は、気がつくとそんなことばかり考えている。
確かに自分の職業は軍人だから、戦争のプロで、つまりは殺し合いのプロなのだとしても、目の前で処刑が行われるのを、決して平然と見ていられるものではない。
しかし仕事は仕事なので、彼の無意識は、少しでも彼の注意を外に逸らそうとする。こんな時に彼がよくするのは、足元の小石を色分けして数えたり、消しきれなかった壁の染みがどんな形に見えるか、だった。
だからいつもの様に、つい数を数えてしまった。
そしてそれを無意識のうちに数えた時、彼は、ふと気付いた。
え?
彼は自分の目の錯覚だろう、と思った。そして数え直す。1、2、3…
……23本?
*
耳に飛び込む音を、彼は必死で聞き取ろうとしていた。
うるさいから止めないか、と自分の上に居る男がつぶやくのを無視し、細い腕を伸ばして、彼はリモコンを部屋の隅に投げ捨てた。
取りたいなら取って、この画像を音を消せばいい。そうしたら少しでもこいつは俺の上からどくんだから。
だがそんな彼の考えは無粋な相手には通じない。やっとのことで手に入れた自分の下に在る身体を貪り尽くすことだけに意識に集中している。音などどうでもいいらしい。
実況のニュースが、部屋の空間を支配する3Dヴィジョンに映し出される。音が、伝えられる。その場の声。その場の音。その場の空気。
このままでは見えない、と彼は身をよじる。だがここしばらくの抵抗でロクな食事も摂っていない彼には、通常なら簡単にできることすら、上手くできない。力が入らない。せめて、そう、もう少し、この暑苦しい奴が下にずれてくれれば、少しでも、俺は肩を上げ、身をねじり、あの画像が見られるのに。
彼は仕方なく、くっ、とはだけられた胸を逸らし、首を後ろに反らす。眩暈が一瞬視界を襲う。
「何をしている」
男は自分が何をしようと、思った様な反応を示さない彼に対して、やや怒りを含ませて訊ねる。
「あんたは約束を守ったと言ったな」
彼は頭を戻すと、吐き出す様に言葉を投げる。途端、眩暈の続きが頭に走るのを感じた。体力が落ちている。どうせならこのまま眠り込んでしまいたいくらいの。だがこれだけは聞かなくてはならない。
「ああ守った」
「少しでいい。見せろ」
男はしぶしぶ身体を離し、彼の上半身を自由にする。彼はゆっくりと仰向けからうつぶせにと体勢を変える。そして腕に力を入れ、ひどく重く感じられる身体を起こす。背が痛い。その背に長いゆらゆらとした巻き毛が落ちる。その感触が、記憶を引き出す。綺麗な髪だよな、と奴は言った。
彼は画面に視線を集中する。一人一人をゆっくりとなめる様にカメラ視線は動いていく。画面の中、処刑寸前の一人一人の頭には布が掛けられていて、見えない。
「これじゃ判らない」
首を横に振り、うめく様に低い声で彼は言う。すると男は、彼の首を後ろから掴んだ。ぐっ、と視線が固定されるのを彼は気付いた。
「よく見てみるがいい。人数を」
カメラ視線は引く。位置の決められた処刑の広場には、狭苦しそうに柱が立てられ、そこにまた一人一人がくくりつけられる。彼等の中には、全てをあきらめ、じっと動かない者も居れば、最後の最後まで抵抗を試みようと全身を激しく動かす者も居る。だが彼にはそんな態度などどうでも良かった。男に言われる通り、数を数える。数え間違えてはいけない。一人二人……
「23…… 人」
「そうだ。23人だ」
男はそう言うと、首を掴む手に力を込め、彼を寝台の上にぐっと押し付けた。衝撃に一瞬彼はせき込む。
「私は約束は守ったのだ。今度は、お前の番だ」
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