空から神様が落ちてきたよ
甘味亭太丸
第1話 エンシェント聖国にて
エンシェント聖国は神の血筋による偉大なる王家の支配の下、繁栄が約束された理想郷である。
全知全能たる神の加護の下、我ら人族は平穏を受け取るのだ。
さぁ、民よ、見るがいい。我が王家の秘術、神より与えられし御業の一端を見せよう。
我が首は肉体を離れても、生きながらえる。
これぞ神の加護あっての力。唯一、神にえらばれし王家の嫡男にのみ与えられる偉大なるものである。
***
「今、なんといいましたか?」
今年で二十四になる神秘極会のシスターヴェルムは思わず聞き返した。
その表情は困惑というよりはつまらないジョークを聞いた時のような間の抜けたのような、茫然とした顔をしていた。
「神が、落ちてきた?」
神が落ちてくる。そんなバカな話があるわけがないのだから。
もしそうなら、世界は今頃大混乱だ。
全知全能の神が天から降臨ではなく、落ちてきたなどと。あまりにも不敬が過ぎる冗談だ。異端審問で罰せられても文句は言えない。
いかに、神の血筋であり、疑似的な不死を体現する王家の者であっても、そのような言葉は口にするのも許されないぐらいだ。
ひとたび神を疑えば王家は滅びるだろうとすら言われる。それだけ、神とは偉大なのだから。
「本気で、言ってるのですか?」
だからこうして聞き返したというわけである。
浄化の魔道具の小うるさいノイズを背景に、薄暗く狭い室内の空気はいたって清涼、正常であり、カビや埃の匂いなど一つもない空間だった。魔導書や各種紙媒体の資料も丁寧に保管され、乱雑さよりも一種の幾何学的な模様を醸し出すのはヴェルムの所属する部署の事務所でもあった。
「あぁ、辺境の村に。駐在していた衛兵たちからの報告も届いている」
彼女の直属の上司、白髪のハウンダー・ロート神父も概ねヴェルムと同じ表情を浮かべていた。信じてはいないが、彼が差し出した報告書には神秘極会の正式な印も押されており、正当な手段をもって提出されたものだということがわかる。
ただし、その印はかすれており、急いで押されたのかわずかにずれが生じていた。通常、このような報告書は書き直しが言い渡されるはずなのだが、どうやらかなり強引に提出されたものらしい。
「受け取った女の子がかわいそうだったよ。相手方、凄い剣幕だったようでね。怒鳴り込んで、良いから通せって言い張るものだから、俺が仕方なく通した」
ロート神父は懐から着火の魔道具を取り出し、煙草に火を点ける。
手の中に収まる、小さな箱。その中に黒い特殊な聖水を注ぐことで火を熾すことが出来る。
「ここは禁煙でしょう? それに黒聖水の無駄使いです」
「浄化の魔道具があるんだ。害はない」
タバコの煙を吐きながら、神父はタバコを杖のよう振って、報告書を指し示す。
「それに、こいつを持ってくるのに俺はおかみから嫌ーな顔をされている。余計な案件を持ち込むなとな」
「あぁ、だから私たちのところにあるのですね」
「中央は取り合わないだろうからなこういうのは俺たち向きだ。それに、近々降臨祭もあるしな。上の連中はそっちでのごますりに忙しい」
降臨祭とは古くから伝わる祭りだ。エンシェントの建国神話に基づく内容であり、偉大なる神が地に降りて、王家に英知と御業を与え建国を認めさせたというもの。
事実、エンシェント王家のものたちは不思議な力を使う。それは時に空を飛び、無から有を生み出し、相手の考えをたやすく見抜くなど容易なことだった。
そのような降臨祭が催されるときに限って、この「神様が落ちてきた」などというのは悪い冗談にもほどがある。もしこれで祭りに影響が出れば政治にも影響が出るし、国家が神の加護を失いかねない。
二人は顔を突き合わせて、報告書を確認していた。
「ペルトーの村だ。ここから西に位置する」
ロート神父はヴェルムの神学校時代の恩師でもある。こうしてヴェルムを引き抜き、自分の傘下に加えたのもヴェルムが若くして優秀だったからだ。
信心深い教徒でもあり、物事をはっきりという性格は好ましかった。今の、利己的な極会の中においては珍しい存在でもあり、それはロート神父も同じだった。
それゆえに煙たがれる審議調査部に置かれている。神の目を欺くことなど不可能という理念の下、あらゆる調査を統括するいわば諜報部のような部署であるが、同時に犯罪や不正の捜査も行うことからあまりにも権力を集中させすぎていると政治家、さらには国家防衛を担う騎士団からもよい顔はされないし、同じ極会内部でもその立場は疎んじられるものであった。
審議調査部の仕事はとにかくあらゆるものの調査だ。そのために王家からも絶大な権力を与えられている。だからこそ、他の部署が何を文句言おうと、審議調査部には逆らえない。いうなれば、ここは王家の直属であり、それは神のご意思そのものであるから。
公平性を期するために相当な権力と地位を持つ部署だが、言ってしまえばよその管轄に土足で乗り込んでくるような連中。そのくせ、古臭い資料ばかりかき集めて、あぁでもない、こうでもないとケチをつけて、魔道具のいくつかも勝手に保管、管理する偉そうな奴ら。
それが実際の評価だった。
「未開発地帯と隣接している新しい村ですよね? 三年前に土地開発の名目で興された」
そんな評価がなんだと言わんばかりに、ヴェルムは仕事を続ける。
件の村は人口増加のあおりを受けて開発された一つである。
ペルトー以外にも新たに興った村の数は多い。それだけエンシェントは栄えているという意味でもある。大がかりな戦争は消え、食糧自給率も申し分ない。それゆえに国民の数も増え、どうしても国土拡張の為、未開発、未踏破の土地に手を入れないといけなくなったという事情もあった。
産めよ増やせよ、地に満ちよ。古い創生書に書かれた一文だ。今の神秘極会があるのも名もわからぬ書物の一文から脈々と連なってきた歴史があるからだ。
「あぁ、その時、極会も教会の設立をするという条件で金を出している。それと、騎士団も。あそこにはモンスターも多いからな」
「で、そこに神様が落ちてきたって、どういうことですか。神父、まさか信じているのですか?」
どこの誰が金を出して、責任者がどの立場にいるかなどはヴェルムにとってはどうでも良いことだ。
彼女としては、今重要なのは神と騙られる存在への興味と調査追及でしかない。
「わからん。だから、調査に行く。で、それを君が担当するというわけだ。神かどうかはさておき、空からものが落ちてきたのは事実だからな」
「五十五メートルの、人型物体が、ですか」
ヴェルムはマギグラスをかけて、報告書を細部まで読み込む。
マギグラスは眼鏡の形をした魔道具であり、文字などを一瞥するだけでその情報を使用者の脳内に送り込むものだった。
報告書には村に駐在していた衛兵の簡易調査では落下物の大きさだけが明確に記されていた。それ以外で具体的な情報は人の形をしているという情報のみで、それがそもそも神か、生物か、である部分は不明とされていた。
落ちてきて、一日が経ったものの、動く気配がないということらしい。
辺境の村にまともな調査ができるわけがないのもあるが、あまりにも巨大な物体である。何をどう、報告していいのかはわからないというのも事実であろう。
「神は偉大なり、その身は天と地、あまねくすべてを力強く包み込むほど……」
「あぁ、五十五メートル、現地の衛兵たちも律儀に測ったものだ。まぁ、それぐらいしかできることはないだろうが」
実際のところ、報告書は簡素な内容だった。とにかく大きいものが空から落ちてきた、というのを小難しく文章をかさ増しして書かれたものでしかないのだ。
逆を言えば、たったそれだけの事で雑な報告書を押し付けてきたというわけだ。
「ですが、天と地を包み込むほど大きくないじゃないですか。まぁ、確かに五十五メートルというのは途方もない大きさかもしれませんが、聖典に描かれる神と比べれば小さいです。神様が落ちてきた……そんな大きなものが落ちてきたら、そりゃそう考えたくもあるでしょうけど、神が落ちてくるわけがないでしょう?」
ヴェルムはマギグラスを外しながら、立てかけてあった白の法衣を羽織る。
「なんにせよ、調査は必要です。五十五メートル。滅んだとされる巨人族ですら十メートルに届くかどうか程度だったと聞きますし」
はるか昔、地上を制圧していた巨人族という存在。巨体故の力と存在感をもってして、地上を征服したとされる巨人族であるが、もういない。
巨人族は短命でもあった為に、栄華を誇ったのはたった百数年という話が伝わっていた。
その化石を調べると、巨人族の大きさは八メートルを平均としていたという。また巨体ではあったが、二足歩行できるほどの筋力と骨はなく、四つん這いで這うようにして移動していたのではないかというのが学者たちの間では共通されていた。
「神の実在を証明するために、神を騙るものを調査する。それが、私たちの仕事ですからね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます