ミチオシエの少女

@miyatani_r

第1話


思わずため息が漏れた。彼女のアドバイスの的確なことにはいつも驚かされる。出会った当初は従わないこともあったが、結局、あとで後悔するのは私だった。彼女の言ったことが間違ったことはこれまで一度もなかったのだ。今では彼女に全幅の信頼を置き、どんなに荒唐無稽に思える助言にも従うだろう。

あの頃は生きるのもつらかった私だが、今では毎日が楽しい。本当に何もかも、彼女のおかげだった。以前は毎日のようにしていた相談は月に一度となり少し寂しい気持ちこそすれど、いつまでも頼りすぎてはいけないと、自分なりにいろいろと思うところもあった。それでも、一度話し出すと長かった。うれしくて、抑えなどきかない。私にとって、彼女は恩人であるとともに、もはやかけがえのない親友でさえあったのだ。

彼女は私の話を聞くのが好きだった。特に、身の回りで起きた嬉しかったことや楽しかったことを聞かせると、彼女はまるで自分のことのように喜んで、いつも続きを聞きたがった。彼女があまりにも話を聞きたがるものだから、それから、私もまた聞かせたい話をたくさん持っていたものだから、たいての場合、私たちは夜が明けるまで話し込んだ。そして、そういう日はきまって寝坊をし、両親に叱られるのだが、それすらも今の私には楽しい。それに、綺麗に片付けられた部屋で、安らかに寝坊をする私を本気で咎める両親ではなかった。二人もまた、私に訪れた良い変化に気付き、そしてそれを喜んでくれていたのだ。


 このように、日常の些末な出来事のなかに幸せを見出だせたとき、私は、この、顔も知らない親友のことを想った。彼女の視界には霧がない。先々を見通し、正しい道を見抜く彼女は私にとってのあこがれであり、彼女の送っているであろう完璧の人生を思い描くたびにその気持ちは強まった。彼女ほどではなくとも、いつかは私も誰かを助け、支えられるような人間になりたい。誰かの人生を照らしてあげられるような人になりたい。私は、彼女に救われたことを、そしてあのとき彼女がかけてくれた言葉を生涯忘れないだろう。そんな私にとって、だから彼女はいつまでも追いつくことのできないあこがれの存在だったのだ。


 


『話したいことがあるの』


 


 しばらく話したのち、ふいに彼女がそう言った。その文面に、少し嫌な予感がした。


『あなたと話すのは、これで最後にしたいの』


『言っておくけど、あなたのことは今でも大好き』


『とにかくこちらの事情なの。本当にごめんね』


こういうとき、私は納得するしかないことを知っていた。彼女は一度こうと決めたらテコでも動かない人だ。それに、自分のことだってあまり話したがらない。たとえ私が嫌だと泣いてすがっても、彼女の決意が揺らぐことはないし、どんなに聞いても理由を知ることはできないだろう。それに、いつかこうなる日が来るのではないかと思っていた。だって、私と彼女とでは住む世界があまりにも違いすぎる。彼女は彼女の人生を生きなければならない。同じ道をいつまでも進むことはできないのだ。だから、寂しいなりにも比較的素直に別れを受け入れることができた。それでも動揺している心を必死に抑えつつ、私はメッセージを打った。


『分かったよ』


『今までのこと、どうお礼すればいいのか分からない。だけど、本当にありがとう』


『今の私があるのはあなたのおかげだよ』


そしてこう続けた。


『また会おうね、そのときは、今度は私があなたの力になってみせるから』


打ち終えると涙があふれてきた。頭では受け入れているつもりでも、やはりつらい別れであることに違いはなかった。しかし、今はただ、この感謝の気持ちが彼女に届いていることを願った。既読がついてしばらくすると、短い返信があった。そして、それが彼女からの最後のメッセージとなった。


『こちらこそ、本当にありがとう』


 


 私はメッセージアプリを削除した。とたんに現実に引き戻される。ゴミで足の踏み場のない床や、鏡に映る薄汚れた自分の姿に虚無感がこみ上げてくる。もう少し、彼女と話していたかった。なんとか気持ちを切り替えようとカーテンを開ける。街はまだ暗く、自販機が一人佇んでいるだけだった。この世界のどこかで彼女は、いや、彼女たちは生きている、その事実がなんとなく私を安心させた。


私はゴミの上に横たわる。生臭さが鼻を突き、やわらかいものが背中に潰れるのを感じた。何をしようと、私を咎めてくれる人はいない。そう思うと、天井は一段と暗く、その黒に飲み込まれてしまうような気さえしてくる。私は逃れるように目を瞑り、ただ彼女たちの幸せな人生を想った。そして、それらが色とりどりの小さな光になって、天井を、そしてこの真っ暗で冷たい部屋をやさしく照らしながら、たのしげに駆け巡るのをたしかに見た。光たちはやがて窓を抜け、それぞれの場所へと帰るだろう。ひとつ、またひとつと消えていくそれらを眺めながら、だからせめてそのすべてが消えてしまうまで、私はこのままでいようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミチオシエの少女 @miyatani_r

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ