ぎざアソート
ぎざ
1話完結
三月の雪
あれ?寝てた?
どうして手袋なんてしてるんだろう。手袋したまま寝ちゃったってこと? 寝落ち?
なんだか体がだるい。お酒は昨日は飲まなかったと思うけれど。
ふあーわあ。ひめくりが昨日のまんまだ。
あ、昨日って、13日の金曜日だったのか。気づかなかった。今日は14日の土曜日、と。手袋を外して、カレンダーをめくって、昨日の紙をごみ箱に捨てた。
着替えの服、大学のレポートのボツ原稿、壁掛け扇風機のコード、中身の溢れたリュックサック。うーん、昨日は帰ったら部屋の掃除をしようと思っていたと思うんだけど、全然片付いていないな。昨日の俺は一体何をやっていたのだろう。
おーい、母さん、どうして起こしてくれなかったのさ。
呼んでも返事はない。時計を見ると、14時を過ぎていた。なら、今日はパートに出かけているな。いないなら仕方がない。携帯のゲームで暇つぶしをしようにも、調子が悪いのか、電源がつかない。
下に降りて、リビングで何かめぼしい昼食はないかと探すが、何もないな。コンビニでも行くか。
誰もいない家に、「行ってきます」と言って玄関を出る。
外は雨だった。寒いな。昨日は最高気温20度だったくせに。もうすぐ桜が咲くんだぞ。どうしてこんなに寒いんだ。
傘を取りに戻るんだったら、上着を取りに行っても同じだ。コーディネートを少し変更して、寒さ対策をきちんとしてから外に出る。傘も忘れずに。鍵を閉めた。
コンビニまでは、信号を1つ渡るだけでいい。自販機と同じくらいの距離だ。道行く人が、せわしなく通り過ぎていく。誰一人、こんな、中途半端な時間に外を出歩く大学生になど目もくれない。
まるで、自分が一人取り残されたような、自分だけ違う世界に飛ばされたような、そんな疎外感みたいなものを感じた。母さんにも会わなかったし、俺はまだ誰一人も話をしていない。ただそれだけなのに、そんなことを思うなんて、おかしいな。
コンビニに行って、昼飯とジュースをレジに持って行った。
「すみませーん、誰かいないんですか?」
声を出しても、店員さんは一向に現れない。どうしてんだろう。このコンビニ、いつもはレジに近づいただけで来てくれるのに。
「こんにちは」
と、思ったら、声が聞こえた。女の子だ。栗色の長い髪が先の方にいくにつれてくるりと天を向いていた。見たところ、店員さんというよりは、お客さんといういでたちだった。
こんな子、ここに働いてたっけ。
「その手に持ってるの、なんですか?」
女の子は指をさして、聞いた。
「何って、昼御飯ですよ」
「こんな時間に?」
「ですよね」
中途半端な時間だ。店員さんも休憩をとっていたのかもしれない。俺は代金をレジの机の上に置いた。ぴったり持っていた。
「どうぞ」
女の子はたどたどしい手つきで、レジ袋に弁当とジュースを入れてくれた。
「ありがとう」
コンビニを出る。
さっき、お金を渡すときに気づいたが、左手の人差し指が黒く染まっていた。
どうしたんだろう。絵具? 炭か? 昨日料理でもしたっけ? でも手袋していたんだよな。料理の後で部屋の片づけでもしたんだろうか。
うーん、何も思い出せない。
そういえば、なんだか、右手の薬指がひりひり痛い。小さい傷がついていた。ポケットに入れていた手袋を見てみる。右手の薬指の同じ部分に穴が空いていた。この手袋をしている上から穴が空くようなことをして、けがをしたんだ。
「思い出せましたか? 昨日のこと」
さっきの女の子が後ろから声をかけてきた。
「え?」
女の子は傘をさしていなかった。
俺は咄嗟に傘を差しだす。
「いいえ、いいんですよ。私は」
いいって……。
そうは言うものの、女の子は雨に濡れている風ではなかった。
俺だけが、傘も含めてしっとりと濡れていた。
「昨日、あなたは家に帰って、何をしましたか?」
「何って」
女の子の不思議な雰囲気に圧倒され、女の子の言うがままに、俺は昨日のことを思い出そうとした。
家に帰って、あの日はとても暑かったから。部屋の片づけをする前に、壁掛けの扇風機をつけようと思ったんだ。押し入れから引っ張り出したときに、ケーブルを引っ掛けて、傷をつけてしまったんだ。でも、その時はそれに気づかなかった。
コンセントをさすと、ホコリを巻き上げながら動く扇風機。その後、そのケーブルのほつれに気づいた。手元にあった手袋をつけて、テープで補強しようと思ったんだ。そうしたら……
そうしたら、手が滑って、ケーブルが何か金属に当たった?
薬指に火花が散って、それを左手で抑えた?
そうして……?
「あなたは、感電死したんです。13日の、金曜日にね」
女の子は、こともなげにそう言った。
え。
俺、死んだの?
女の子は頷いた。
「あなたみたいな人、たまにいるんです。自分が死んだことも気づかないで、翌日も普通に生活する人が。生きている人との違いって、誰にも気づかれないってことくらいですから。だから、私みたいな天界人が、パトロールしているんです」
女の子はコンビニでご飯を買おうとしている俺を発見し、声をかけたらしい。結局女の子はコンビニの店員さんじゃなかったということなので、俺はコンビニから昼食を持ってきてしまったわけだが。お金は置いておいたし、許してほしい。
「どうして」
どうしてパトロールなんか。放っておいてくれればいいのに。
「死んだ人が現世に居続けるのって、無理をしているから、エネルギーを使うんです。それがゼロになると、消滅しちゃいますよ。それってなんだか、かわいそうじゃないですか」
エネルギーか。なんだか体がだるいのも、それが原因か。
誰とも目が合わなかったのも、疎外感を感じたのも、しっくりくる。
唯一、自分が死んだということだけが、実感がわかない。天使の輪っかみたいなものがあればいいのに。
「天界に行けば、エネルギー不足になることもなく、好きなことをして暮らせますよ。年に数回、現世に戻るイベントもありますし」
お彼岸のことか。そうか。なら無理してここに居続けることもないか。
と、現世に居続ける理由を放棄していった時に、ふと思い出したことがあった。
「ちょ、ちょっとだけ、エネルギー、余ってない?」
「大丈夫です。ちょっとだけ、余ってます」
女の子は両手でガッツポーズをした。ちょっとだけってのが心配だったけど、俺は急いで家に戻った。
部屋のリュックサックの中から、プレゼントを取り出す。
母さんからのバレンタインデーのお返し。そういえば、まだ渡してなかった。
リビングに置いておいた。
とりあえず、これで心残りは無いかな。
本当はもう少し、いや、もう少しどころじゃない。もっと話したいことがあった。親孝行をしたかった。でも、もう俺は死んでしまったのだ。
消滅してしまうのは怖い。お彼岸に戻るくらいはやっておきたい。
壁掛けの扇風機のケーブルが焦げていた。左手の人差し指の黒いものは、焦げだったか。
こんなにもあっけなく死んでしまうとは。死んだ実感などないのかもしれない。
そもそも、生きていた時だって、生きている実感なんてなかったものな。
「心の準備、できましたか?」
「まぁ、それなりに」
玄関を出る。特に荷物は持って行かなかった。
「行ってきます。母さん」
鍵を閉めて、女の子の後ろをついて行った。
外の雨が雪になっていた。
「三月に雪なんて……」
「雪も降りますよ。三月なんですから」
昨日の最高気温が20度越えていたこと、扇風機を出すくらい暑かったことを言おうと思ったが、それは言葉にならなかった。
「そういうこともあるか」
雪を見上げ、雪を見下ろし、俺は天界に行く。
小さくなっていく家を見て、少しだけ悲しくなった。
「寒いな」
「三月ですから」
三月だから、そういう季節だから。
俺は、涙を流した。
それは雪に紛れて、見えなくなった。
完。
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