13
シヴァに菓子を持って行け――
アスヴィルにそう言われ、きれいにラッピングされたクッキーを持たされて、再びライムミントのドレスに着替えさせられた
問答無用で、アスヴィルにこの扉の前まで空間移動で飛ばされたのだ。
沙良は大きな扉を見上げて、ゆっくりと深呼吸を繰り返すと、恐る恐る扉をノックした。
コンコン、という音は小さかったが、ややあって「誰だ」と
その声が不機嫌そうで、沙良は回れ右をして帰りたくなった。
それでも帰らなかったのは、「クッキーを渡したら迎えに行く」と言っていたアスヴィルの言葉があったからだ。
つまり、渡さなければ迎えに来てはくれないのだろう。
(うう……、何の罰ゲームですか……)
沙良は泣きたくなった。
せっかく
沙良は今にも消え入りそうなほどの小声で「沙良です」と告げた。
扉の向こうに沈黙が落ちた。
ややあって、かすかな物音が聞こえたあと、そっと目の前の扉があけられる。
昨日と同じ、冷たい顔のシヴァが立っていた。
――怖い。
シヴァの姿を見るだけで怖かった。
それでも、ミリーとアスヴィルの待つ部屋に戻るため、沙良は手に持っていたクッキーを差し出して頭を下げた。
「クッキーです!」
「………」
その沈黙が怖かった。
なかなかクッキーを受け取ってもらえず、恐る恐る顔を上げた沙良に、シヴァは短く告げた。
「入れ」
沙良を招き入れるためか、部屋の扉が大きく開かれる。
帰れ、ではなく、入れ、と言われたことに沙良は内心びっくりした。
沙良はビクビクしながら従った。
「お、おじゃまします……」
肉食獣の巣穴に入るときはこんな気持ちだろうか――
恐々と部屋の中に足を踏み入れた沙良は、「座れ」と言われて、五人は座れるのではないかというほど大きな皮張りの黒いソファに腰を下ろす。
シヴァが当然のように隣に座って、沙良は落ち着かなげに視線を落とした。
両手に大事に抱え持っているクッキーの包みを、手を伸ばしたシヴァがひょいっと取り上げていく。
「これはどうした」
「つ、作りました……」
「どこで」
「アスヴィル様のお部屋で……」
「アスヴィルに会ったのか?」
シヴァが少しだけ目を丸くした。驚いているようだった。
だが沙良は、短くとも、こうしてシヴァと会話が成立していることの方に驚いた。
「ア、アスヴィル様が、シヴァ様に、持って行けって……」
「余計なことを」
ちっと小さな舌打ちが聞こえて、沙良は首をすくませる。
(やっぱり、ダメだったんじゃぁ……)
プロが作ったものならいざ知らず、アスヴィルに教えてもらったとはいえ、作ったのは素人の沙良だ。
きれいにできたものを選んだが、それでもところどころ形はいびつだし、こんなものを持ってきて、と怒られるのではないだろうか。
けれど、心配する沙良の目の前で、シヴァは濃いピンクのリボンの結び目をほどいて、クッキーの包みを開いた。
シヴァはその中身をじっと見つめたあとで、一枚手に取ると、無造作に口の中に入れた。
(食べた……!)
沙良は、まるで目の前で奇跡が起こったかのように驚いた。
シヴァはクッキーを咀嚼しながら、パチンと指を鳴らす。
一瞬後、目の前のテーブルの上に紅茶の入ったカップが登場した。
「―――!」
沙良は思わず飛び上がりそうになった。
紅茶は二つあって、一つはご丁寧に沙良の目の前にある。
飲めということだろうか、とシヴァの顔を伺いながら、そっとカップに手を伸ばした。
「あ、ありがとう、ございます……」
「ん」
まだ口の中にクッキーがあるのか、短く返事をされる。
シヴァは紅茶で口の中を潤しながら、二枚目のクッキーに手を伸ばした。
(食べてる……)
なんだか、肉食獣の餌付けに成功したような気さえしてくる。
アスヴィルがシヴァはチョコチップクッキーが好きだと言っていたが、本当だったようだ。
ある種の奇跡体験をしたかのように感動して、沙良がシヴァを見つめていると、シヴァの目がこちらを向いた。
「どうした。何かついているのか?」
「い、いえ。なにも。……あ、あの」
「なんだ」
「チョコチップクッキー、お好きなんですね……」
ぴたり、とシヴァの動きが止まった。
だが、シヴァが沙良を睨みつけるより先に、沙良が、
「また、作ります……」
と言ったから、シヴァは沙良を睨みつけるタイミングを見失った。
「アスヴィル様が、いつでも作りに来ていいって、言ってくださったから。また、作ります。持ってきてもいいですか……?」
シヴァはじっと沙良を見下ろしたのち、無言で三枚目のクッキーを口に入れた。
もぐもぐと咀嚼しながら、
「好きにしろ」
こう、短く答える。
沙良は少しだけ嬉しくなって笑った。
「はい、また持ってきます」
結局そのあとは、会話らしい会話は成立しなかったが、沙良は少しだけ幸せな気持ちになって、シヴァの部屋をあとにしたのだった。
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