イデアの女神

三機みき

序章

 夜空に一つだけ、星が輝いている。


 きれい、と言葉が出た。


「やあ」と星が話しかけてきた。


「こんばんは」と私は返事をした。


 星に天気の話をするのはおかしいのかな、そう思いながら星に話しかけてみた。


「今夜は真っ暗で、あなたしかいませんね」


「みんなどこかに消えているんだ。ここには僕しかいないよ」


「みんなはどこにいったのか知らないの?」


「うん、知らない。僕は気づいたときから一人だったから」


 私はひとりぼっちの星がかわいそうになって、他に星はいないか探してみる。でも、どこにも他の星はいなかった。

 そんな私の気持ちに気づいたのか、星が優しい声で話しかけてくる。


「その気持ちだけで嬉しいよ。君が辛くなることはないんだよ」


 その言葉が悲しくて、心が少し痛くなる。


「いいえ、空はとても真っ暗よ。一人きりではとても寂しいわ。私だったら悲しくて泣いてしまう。あなたは寂しくないの?」


「うん、真っ暗で一人きりで、寂しいよ」

 

 悲しい言葉が夜空に浮かぶ。


「だけどね、今からは真っ暗が少し好きになれそうだよ。一人でいることも少し好きになれそうだよ」


「どうして?」


 私は分からなくなって尋ねた。


「空が真っ暗じゃなかったら、一人きりでないのなら、きっとあなたはこんな悲しい気持ちにならないわ」


 私の思いに、星はゆっくりとした口調で答える。


「今までは真っ暗なのが怖くて、一人きりでいるのが寂しくて嫌だった。でも、君に会えて気がついたことがあったんだ」


「私に会えて気がついたこと?」


「君は僕が一人で輝いていたから、見つけることができた」


 当たり前のこと、と彼はつぶやいた。うん、と私はうなずいた。


「そこで、思ったんだ。真っ暗であるからこそ、僕は輝くことができて、存在することができている。真っ暗な中で一人輝いていたからこそ、僕は君と出会えた。そうやって存在してきたことに気がついたから、たとえ真っ暗が怖くても、一人きりでも、僕はここにいることができるよ」


「でも、やっぱり真っ暗なところに一人ではとても寂しいわ。もっと明るいところにいればにぎやかだし、寂しさは少なくなると思う」


「空が光で満ちあふれているのを想像してみてよ」


 星の言葉に、私は瞳を閉じた。そして、まぶしい太陽を思った。流れる雲を思った。空の青さを思った。


「そこに、僕は見つけられるかい?」


「いいえ、見つけられないわ」


「空には光が満ち溢れすぎて、僕は見えない」


「でも、あなたは空にちゃんと存在しているじゃない。ただ、明るくてあなたが見えないだけ」


「見えないっていうのは、僕にとっては存在していないのと同じ意味なんだ。それこそ孤独だよ」


 寂しそうに笑う彼。


「明るいと、世界は眩しくて輝きに満ちているかもしれない。だけどね、それで消えるものもあるんだ」


 それが僕、と彼は呟く。


「僕はどんなに真っ暗が怖くても、一人きりが寂しくても、そこにいなくてはならない。でもそれは悲しいことじゃないよ。そこで、僕は輝けるのだから。輝いて、君に見つけてもらえるのだから」


 私は彼がかわいそうで、それ以上に愛しくて、そっと手を伸ばして彼に触れようとした。でも、手は縛り付けられているように動かない。


「ごめんなさい、手が動かないの」


「いいんだ、君に見つめてもらえるだけで」


 そうして、夜空に一筋の流れ星が落ちた。

 それは、彼の涙だった。



 目をゆっくりと開けると、一点の光が漏れていた。


 カプセルの扉が開かれる。暗闇が割れて、一気に光が差し込む。


「お目覚めでしょうか」


 聞きなれない従者の声が耳に入る。私は喋ることができずに、目で頷く。


「おはようございます。ようこそいらっしゃいました」


 従者が丁寧なお辞儀をする。

 頭がうまく働かない。久しぶりに、移動する酔いを感じる。


「こちらにいらっしゃって、お休みください」


 別のお部屋にベッドが用意されていますと、従者がカプセルから出るように促す。

 段々と目が慣れてきて、従者の顔がはっきりと見えてくる。彼は笑顔で私の応対をしていた。


「すぐに出ます」


 私はカプセルから出ようとした。

 しかし、体が動かない。どうしてだろうと体を見ると、手と足に拘束具がはめられていた。


「これを除けていただけませんか」


 従者は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、私の言っていることが分かったらしく、丁寧にお辞儀をして拘束具の解除に取り掛かった。


「これは失礼しました。今すぐ外しますので」


 数秒後、解かれた私は従者の手を借りて、カプセルの外に出た。降り立った部屋は、真っ白だった。

 そのまま、自分を忘れたように立ち尽くす。従者は何も言わずに、かたわらにたたずんでいる。


「趣味の悪い部屋」


 私は表情をなるべく変えないようにして、呟く。


「チェスは相変わらずみたいですね」


「ええ、元気にしておられます。あなた様にお会いするのを楽しみにしていらっしゃいます」


 私は部屋を見渡してみたが、乗っていた灰色のカプセルがあるだけだった。


「現在の日時は?」


「20**年、3月20日13時10分です」


 従者にお礼を言って、部屋から出ようと扉を探す。しかし、どこにも扉らしきものは見当たらなかった。


「扉をお探しですか」


 私の困った顔を見て察したのか、従者が語りかけてくる。


「ええ」


「扉はこちらにございます」


 そう言って、従者が壁に向かって歩き出す。私は無言で彼の後についていく。

 自分の着ている白いローブを見る。ぼんやり歩いていると、自分がこの部屋に溶けていくような感じがした。


「ここにボタンがあります」


 従者が止まって、話しかけてくる。目の前には、真っ白な壁だけがある。


「ここに手をかざすと、ボタンが出てきます」


 従者が壁に手をかざす。すると、てのひらぐらいのボタンが現れた。上に赤、下に緑と一個ずつ並んでいる。


「緑のボタンで扉が開きます」


 そう言って、従者が緑のボタンを押すと、扉が音もなく出現して開かれた。

 私は扉の先に視線を向ける。そこは真っ暗な廊下だった。


「どうしたのですか」


 私が部屋から出るのを躊躇ためらっていると、従者が不思議そうに問いかけてくる。


「先に行ってください。しばらくこの部屋にいます」


 私の言葉に、従者は一瞬だけ怪訝な表情を見せたが、すぐに元の顔に戻った。


「それでは、部屋から出られるときはこのモニターをお使い下さい」


 従者が赤と緑のボタンの横に手を翳す。するとモニターが、水面から上がってくるように出てきた。従者は簡単な操作方法を説明してから、部屋から出ていく。扉は開いた時と同じように音もなく閉まり、溶けるように消えていく。この部屋に残ったものは、灰色のカプセル、緑と赤のボタン、モニターだけだった。


 白い部屋に一人佇む。

 今回の計画について、自分の役割がどのようなものかは分からない。きっと、体を休めたらチェスに呼ばれて、そこで私の役割が告げられる。それまでは、この悪趣味な建物の中で過ごさないといけない。


 私は彼の考えた計画が嫌いだった。そして何より、私は彼自身が大嫌いだった。


 チェスの用意した部屋はどこまでも白い。ぼんやりと歩いている時は、白さに溶けていく感じがした。しかし、頭がはっきりしてくると、白さが服を侵食しているように感じ始める。


 何だか、気持ち悪い。


 白さが服を通り越して、私までもが侵される感覚になってくる。これ以上この部屋にはいたくない。

 寒さを感じて、モニターを操作する。コールモードにして、従者を呼び出す。ほどなくして、従者の顔がモニターに映し出される。


「今から、チェスのところに案内してください」


「お休みは取られないのですか」


「ええ、結構です」


「かしこまりました。しばらくお待ちください」


 モニターから従者の顔が消える。これで迎えの者が来て、私をチェスのいる場所に案内するだろう。そこで私の役割が決まる。


 彼の計画がもうすぐ始まる。

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