Ⅰ.星間宇宙 水星上空 〈SUN-X〉スタート地点
【……以降、外部との通信は送信のみ。全〈バーンド〉、発進準備】
フライトコンソールに表示されたプロンプトを消すためにジェイクが手を伸ばす。
銀メッキよろしく、対高温船外活動スーツのナノファイバーに覆われた手が小刻みに震えた。高い肉体親和性をもつスーツにはうっすら、赤いものが染み出している。
「くっ……」
二度ほど、宙をかいてようやくホロスクリーンにふれた頃には、汗だくだった。目元から垂れた雫がスーツとのあいだでにじむ。スーツがすぐさま乾かしてくれるが、爛れた肌には少しの塩分でもしみて痛い。
「シールドジェネレーター良好。装甲は……」
うなされたように計器の状態を読み上げるジェイクの呼吸は不安定だ。呼気の循環を効率化し、鼻も口もふさいだスーツが凹凸を繰り返し、痩けた頬と相まって古代のミイラをおもわせる。
窓の類いがいっさい無い、CCセラミックスの塊のような船のなかで、外を確かめるには、スーツと同化したフェイスマスクのディスプレイ越しに、船体へ塗布されたカメラの映像を受け取るしかない。
映像では、深緋の球体が遠く、けれどくっきりと、うかんでいる。地球大気圏内で見るよりはるかに大きい太陽は、絶え間なく熱とエネルギーを放出し、時折、プロミネンスが恒星の外套を毛羽立たせる。
「リトルバード」
簡略化されてなお、手間のかかる船の最終点検を、痛みにボウっとする頭で機械的に進めていると、内耳に埋め込んだ通信機から感情のない声が横やりを入れてきた。聞きなれてきたが、いちいちイラッとする呼び方だ。
「推進器のセルフチェックを飛ばしてます。エンジンがイカれたら、飛べませんよ?」
「うっせぇ化け猫……ライフセーバーだったら代わりにやれよ」
ワタシはマシンに関与することを禁じられています、と中性的な声が速攻で拒否する。舌打ちしたいが、口のなかが潰瘍だらけでなるべく舌を動かしたくない。
毒づくのは腹のなかだけにして、飛ばしたエンジンのチェックをやり直す。
「……修理キットあるぞ」
「お気づかいなく。どのみちワタシたち、燃え尽きるんですから、脚の一本や二本、くれてやりますよ」
ジェイクの視界が傾き、船体側面のカメラに遷移する。白の点にしか見えない船が一隻と、いわゆる後方に、大小のクレーターに覆われた地表が広がっていた。ジェイクたち〈バーンド〉が数ヶ月間を過ごしたカロリス基地も、その一つである。
広大な宇宙空間では、同じスタートラインといえど、出場船同士の間隔は広い。ジェイクを含め、六人の出場者が各々のスポンサーから進呈された、ロゴやキャッチフレーズにまみれたエキセントリックな船で、同乗する相方とともに旗が振られるのを待ちかまえている。
さらにパイロットの視野を緑色の市松模様、巨大なチェッカーフラッグが塗りつぶす。
だが、船のパイロットがディスプレイを透かして見ていたのは、助手席に乗っている黒猫だった。
大人が載っても余裕のあるシートの座面に、真っ黒なイエネコがお座りし、右の前足のあったところをしきりに舐めている。チラチラ覗く舌が、そのたび色を変えた。
「一本だろ。ホント、不吉なことしか言わねぇな、にゃんこ」
「でも、ワタシがいてよかったでしょ?」
黒猫がひょいっ、と顔をあげてジェイクを見る。真ん丸の金眼に射すくめられると落ち着かない。
出発前まで太陽に負けじと爛々と輝いていたネコの目は、片方の瞳孔が不規則にチラついている。まばたきでやりすごそうとしているのが痛々しい。
胸元に手をやったジェイクがEVAスーツ越しに硬い感触をたしかめる。
サンキューな、と言いかけ、激しい咳に阻まれた。
「ぐほっ……げほっ……」
シートで身体をよじるジェイクに、毛づくろいを止めた黒猫が助手席を飛び降りる。たちまちコンソールが『警告。ライフセーバーAIはただちにパイロットから距離を置くこと。身体接触が認められた場合、即失格とする』のアラートに埋めつくされた。
無くなった前足をかばうように進み、パイロット席の下で黒猫はジェイクを見上げ、生物学的ネコがやるように喉を鳴らした。
隻眼の虹彩が白地に赤の十字へ変わり、パイロットのマスクから酸素供給の文字列が流れていく。
「まずは吐いて。それからゆっくり吸って」
異常を告げるパイロットのバイタルは、ジェイクが船に乗る前からさほど変わっていなかった。被爆線量を報せる項目は、増加の一途をたどっている。
「げほっげほっ……はぁー」
ジェイクがスーツのフード部分をつかみ、引きずり下ろした。顔の前面を覆うディスプレイが自動的に生地へ収納され、血色の失せた顔から、残り少ない髪がハラリと散る。
「からだ中が痛ってぇよ……あの野郎、これで半年もったのか……化けもんだな……」
「リトルバード」
あきれてため息をつくジェイクが、呼ばれてシートの下をのぞきこんだ。黒猫を見る目は充血し、限界が近いのは一目瞭然だった。
「〈PSP〉を超えたらすぐ、リザインしましょう。参加賞だけでも、貴方の治療ならできます」
「ざけんな。おれは、あの野郎をガツンとやりにここまで来てんだ。尻尾まいて逃げられるかよっ」
あれくらいじゃ治らなねぇ、と吐き捨てたパイロットに黒猫がしばし、無機質なフロアを見つめる。刹那、金の眼が光った。
座りなおし、ジェイクがふるえる手でフードを被りなおす。すかさず、水面が氷結するようにディスプレイが顔を覆う。
「いくぞ、にゃんころ」
席の下から潜りだし、身軽に跳躍した黒猫が助手席に戻る。アラートが消え、コンソールがスタートまでの時間を映しはじめた。
船外では、チェッカーフラッグが数回、点滅したのち、端から消え始めている。
景色を仰ぎ見ていた金の両目が一瞬、碧くなり、「ワタシはネコロイドです」とワンテンポ遅れて訂正した。
「さんざん、殺そうとしといて、名前は気にいったのか……おまえも狂ってるよな」
シートを囲うカーブしたコンソールをジェイクが叩く。船の振動が大きくなり、船尾のエンジンが高周波の唸りをあげていく。
どこか自慢げに「貴方を殺そうとしたことはありません。ワタシは貴方の未来を擱坐するだけなのですから」とライフセーバー。その声はジェイクに届かない。
アームレストの先端にある古典的なアクセルレバーを握りしめながら、武者振いかあるいは寒気か、ガタガタとシートごと揺られるその目は、集中するためにまぶたを閉じている。
「まってろよ」
グリーンシグナルが消え、〈バーンド〉たちを遮っていた幕が次の瞬間、無数の塵へと切り刻まれた。
陽の光を受け、宇宙空間へ盛大にスパークする旗を見るまでもなく、ジェイクがアクセルレバーをMAXまで押しあげた。
「……クソ親父」
カッと見開いた黒眼が、太陽そのものを挑発するように睨みつける。
『全機、いっせいにスタートしたぁっ! 今大会は粒ぞろいだけに、スタート早々、エンジンがバンッ!となる〈バーンド〉もいないようですっ。コホンッ……どうですか、パーカー?』
『〈セト〉だけではありません。〈イシス〉もいますよ。あと〈ネフティス〉も』
『今大会には女性〈バーンド〉も出場している、と言いたいわけですね?』
『おっしゃる通り、ジン』
『なるほど。現在、出場者六名のうち、半数がスイングバイによる太陽接近を試みていますっ。〈SUN-X〉では王道の軌道であります。ほか二名が推進剤によるアプローチを、そして今大会唯一、ワープエンジンを採用したバーンドネーム〈ゲブ〉が早速、出現先座標の計算をはじめた模様っ。わたしには座標を知るよしもありませんが、パーカー。あなたなら、なにかご存じでは?』
『ジン、守秘義務を破ったら、私が 〈SUN-X〉運営委員会から、真っさらなアルゴリズムをインストールされるのに一日もかかりませんよ』
『太陽系内の通信もはやくなりました』
『ザッツ、ライト。ですから、〈ゲブ〉号のワープ出現先を明かすことはできません。そもそも、座標の計算は、オフラインでクォークコンピューティングによる時空軸の三次元的な割り出しが……』
『はいっ、専門的な解説をどうもありがとう、パーカー。ワープ船の現れる場所はわたしにも、運営側も把握できない、ということですね。パイロットの戦略次第だ』
『まさしく、ジン』
『戦略といえば、パーカー。相棒ともいうべき、ライフセーバーの存在も大きな鍵となりますが……おぉ~っと?! 〈シュー〉号が救難信号を発信っ! 順調に楕円軌道をとっていたが、どういうことだぁ?!』
『パイロットがライフセーバーに襲われたようですね』
『むむっ!?……解説していただけますか、パーカー?』
『〈SUN-X〉のライフセーバーは、各スポンサーの斬新的な先端技術を取り入れています。斬新すぎて、ときに思いがけない行動に出ることも』
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