164 円との早朝練習2

「……あ、そうだ」


 河川敷の駐輪場に到達し、自転車の鍵を開けていると、すでに自分の自転車のハンドルを手で持った高寺が思い出したように言う。


「そういやわたし、若ちゃんにお願いしたいことあったんだ」

「なんだよ。はやく言えよ」

「あ、だよね。でもふたつだから大丈夫!」

「いやふたつもあるのかよ」


 俺はツッコミを入れるが、しかしながら高寺がこうやって誘ってきた時点で、正直そんなことじゃないかと思っていた。べつに自負しているとかそんなこともないのだが、彼女はなにかと俺を頼ってくれている。中野と仲良くなるときとか、幸四郎氏との間に入るとか、そういうので。


 並びながら歩きつつ、俺たちは話を続ける。


「ひとつは琴葉のこと。仲直りしたくて」

「無理だな」

「いや即答っ!? 諦めるのはやくない!?」

「……無理だな」

「いや、タメたからいいってワケじゃなく! てかそっちのが辛いし冷静に判断された感じでっ!!」


 高寺が憤慨しているので、俺は一応話を聞いてやることにする。


「ちなみに仲直りしたい理由は?」

「やっぱケンカしたままだと後味悪いし、しかも向こう小学生相手だし、琴葉と仲悪いままだと、りんりんに迷惑かけるじゃん」

「……まあ、それはそうかもな」


 俺がそう返すと、高寺は立ったまま、力なくうなだれる。


「でもあたし、今のまま琴葉に会っても絶対ケンカするなって」

「んまあ、それはそうかもだが……」


 あのケンカのとき、高寺にも悪いところはあったけど、でも琴葉にも問題があったのは間違いない。あんなにけんか腰で口が悪いJSって滅多にいるもんじゃないからな。


 と、そのとき。


 俺の脳内にある光景が浮かんだ。中野が、琴葉が水族館に行って喜んでいたと話していたときの光景だ。


 そして、自然と一計が浮かぶ。


「あー、じゃあどこかに遊びに行くとかはどうだ?」

「遊びに行く?」

「そう。あの子、中野と朋絵さんになかなか相手してもらえてないみたいでさ。水族館に連れて行ったらすごく喜んでくれてたみたいで」

「そうなんだ。そんなことがあったんだね……」


 どこかさみしげに高寺が言う。琴葉が泊まった日のことに想いを馳せたのかもしれないが、俺としては香澄が泊まったり、琴葉の裸を危うくこの目で見かけたことなどは、俺の名誉のために伏せておくことにした。


「でも、それで仲直りできるならいいね」


 高寺がやる気と前向きさを取り戻したところで、俺はさらに具体的なアイデアに移る。


「じゃあ、一緒にどっか泊まりで遊びに行くとか?」

「え、泊まり!? 楽しそう、どんなプラン!? どこに泊まるの!?」

「いや、テキトーに言っただけだからわかんねーけど」

「なんだ、泊まるところのアテがあるとかじゃないんだ」

「そんなのあるワケねーだろ俺に」


 高寺が落胆を隠さずに言うので、俺は思わず反論する。


 たしかに相談に乗るとは言ったが、べつに遊び先までセッティングすると言ったワケではないのだ。


「まあ、アニメならこういうとき、だいたいメインキャラの家が別荘持ってて、それで一緒に行って仲良くなったりするけど」

「あー、アニメあるあるだよね。そんな都合良くあるワケないでしょって言う」

「だよな。さすがの高寺家でも別荘は持ってなかったか」

「別荘……あ、うち別荘あったわ!!」

「あるのかよ!」


 まさかの流れに思わずツッコミを入れてしまったが、そうなれば話は早い。


 泊まりだと必然的に琴葉と高寺が接する時間は増えるし、琴葉も喜びそうだし、多忙な中野が話に乗ってくる可能性は十分あるだろう。やつはシスコンだからな。


「ごめん。最近行ってなかったから忘れちってた」

「まあいいけど……じゃあ、俺から中野に話してみるな」

「若ちゃんありがと」


 高寺はにこっとあどけない笑みを見せる。


「それで2個目はなんだ?」


 ……のだが、俺が問いかけるとすぐに元通りの表情になった。


「ももたそって覚えてる?」

「ああ、あのりんりんと役を争うことが最近すごい多いっていう」

「りんりんじゃない、中野!」

「いやそっちがりんりん呼びしてんだろ」

「あたしだけの呼び方なの!」

「今度一緒のアニメに出る人だよな」


 ももたそ。


 顔も出演作もよく知らないが、話は最近やたらと聞く声優さんだ。


「それで、あたしがりんりんと仲良しってももたそに言ったら、『え、ほんとに? 一緒に遊ぼう!』って言われて、『いいよ! 任せな!』って言っちゃったんだけど……どうすればいいかな?」


 高寺がリアルに不安な表情をしていた。


「高寺、また勝手にそんなこと言って……」

「あたし、気分良くなっちってさ。遊びの誘いする前なのに」

「中野と仲良しだとか言うなよ勝手に」

「うんうん、そうだよね。勝手に言っちゃいけないよねそんなこと……ってそっち!? あたし、さすがにりんりんと仲良しだよねっ!!?」

「冗談だ。だからそんな大きな声で叫ぶなって」


 そう言うと、高寺はホッと肩をおろす。


「りんりんは会ったことないから一方的に敵視してるみたいだけど、ホントにいい子なんだよね、ももたそ。気遣いできて優しいし、いっつも笑顔でかわいいし」


 高寺的に、そのももたそとか言う子はかなり評価が高いようだ。


「でも、会わせるってどうやって? 琴葉が絡んでこないと、あいつは自分から誰かと交流を持とうなんて思わないと思うぞ?」

「そうだよね……あ、いいこと思いついた。その合宿にももたそも呼ぶってのはどうかな?」

「その心は?」

「もし琴葉とあたしたちで行くとするじゃん? それで決まったあとに、じつはももたそも呼んでて……って話すみたいな」

「そんなことやったら怒りそう」


 と一瞬思ったが、すぐにその予想に違和感を覚えた。


「いや、あいつの場合」

「逆に『ももたそ? そんなの全然平気だけど?』って言いそうじゃない?」


 すかさず、モノマネで返す高寺。


「言いそう言いそう。負けを認めたくない性格だからな」

「やっぱそう思うよねっ??」

「ってことでこの作戦でいくか」

「うおしっ! そうと決まれば若ちゃんよろしくね! あたしはももたそに話したり、石神井くんたち誘ったりしておくから!!」

「俺は中野担当か。なんて話すか悩むけど……まあいいや。なんとなしとく」

「あざっす……このご恩は一生ごにょごにょごにょ」

「一生どうするか言う気ないよなそれ。まあいいけど……てか高寺さ」

「ん?」

「地味に策士だな?」

「ふふふ。これであたしも薄汚れた芸能界に染まってきてるのさ」


 なぜか自慢げに言う高寺に、俺はふっと小さく笑ってしまう。


 本当に薄汚れた人は、人を仲良くさせるためにするために裏工作なんかしないと思ったけど、高寺があんまりにもいい表情をしていたので、それは伝えておかないことにした。



   ○○○



 家の近所で高寺と別れ、家にたどり着いた頃には8時半を過ぎていた。


 さっとシャワーを浴び、朝食を作ってさっと食べると、残りを弁当箱に詰め、保冷剤と一緒に袋に入れる。


 運動後だと言うのに、こんなふうにきびきび動いているのには理由がある。じつは今日から、予備校の夏期講習が始まるのだ。


 持ち前の要領の良さで、日頃は学生業、主夫業、その他の雑務(中野や高寺のサポート業、琴葉の子守りなど)を器用にこなしている俺だが、朝から運動して予備校に行くとなると、さすがに慌ただしさを感じた。少なくとも読書をしたりする余裕はない感じである。


(これからは受験生としての予定も増えていくし、今まで以上に効率的に動く必要がありそうだな……)


 そんなことを考えながら最寄りである二子新地駅についたのは9時20分頃。電車を乗り継いで横浜駅で下車し、予備校の校舎に飛び込んだ頃には、授業開始3分前になっていた。


 掲示板を確認すると、今日の教室は最上階。その流れでエレベーターを見ると、ちょうどドアが閉まろうとしていた。最上階なので階段で行くのは厳しいし、これを逃すと初っ端から遅刻する可能性が高い。


「そのエレベーター待って!!」


 叫んで走っていくと、一旦閉まったドアが開く。先に乗っていた人が気を利かせて開けてくれたらしい。ラッキー、これで授業に間に合う。


「ありがとうございます……あ」


 乗り込もうとして思わず足が止まる。黒縁メガネをかけながらも、髪はおろしたままの中野がそこにいたのだ。一応変装しているということになるのだろうが、もはやその美人オーラは一切隠れていなかった。


「大きな声で叫ぶから反射的に開けちゃったけど」


 ひんやりとした声が、ふわっと俺の耳に触れる。


「誰かと思えば若本くんじゃない」

「いや俺は若宮だ。誰かと思えばってワードのあとに間違いがくるとは思わなかったぜ」

「ボソッ、若宮くんってわかってれば待たずに上がってたのに、ボソッ」

「おいボソッとかマンガの擬音ぽく言ってるけど口に出したら意味ないし、音量も全然普通だからな? むしろ声通る分、音量普通でも十分聞こえること自覚しろよ?」

「乗るの? 乗らないの?」


 急かすように言われ、俺は黙って乗った。ボタンを確認すると、最上階のそれはすでに押されていた。中野も同じ階のようだ。


 そして、俺は今朝のことを思い出す。幸い、エレベーター内は俺たちふたりだ。期せずして、打診するには最良のタイミングだった。


「あのさ」

「なにかしら」

「高寺がさ、琴葉と仲良くなりたいって言ってたんだけど」

「……無理じゃないかしら」

「諦めるの早いな」

「諦めたんじゃないわ。私はただ現実的な視点を持っているだけ」

「まだ話は途中だから」


 話を終わらせようとする中野を、俺はなんとか制止。


「高寺家が持ってる別荘にみんなで行かないかって話が出てるんだけど」

「別荘……?」


 その単語が出た途端に、中野の表情がほんの少しだけ変わる。お、予想通りちょっと響いたっぽい。


「静岡の海沿いにあって、電車で行けるって。バーベキューとかもできるらしくて。一緒に遊んでるうちに打ち解けるかなって」

「海、バーベキュー……」


 次第に真剣みを帯びる中野の表情。表情はいつも通りクールだが、口に出すということは、多少なりとも食いついているのは間違いない。


「ホームシアターとかハンモック的な設備もあるらしいぞ」

「ホームシアター、ハンモック、スイカ割り……」

「スイカ割りは言ってないけど」

「でもできるでしょう?」

「まあそりゃスイカがあれば」

「バットか木の棒も必要よ。スイカ割りをちょっと舐めすぎじゃない? あれって運とか第六感も必要とされる、高度で複雑なスポーツなのよ?」

「急にどうしたんだよ。そんなにスイカが好きなのか?」

「むしろスイカは嫌いよ。だから叩き割りたいの」

「そっちか」

「まあメロンも好きじゃないからメロン割りでもいいけどね。この際、ストレスを解消できればなんでもいいわ。若宮くんに頭でも」

「怖いよ普通に。メロン割りでもいいから俺の頭は勘弁……もしかして結構楽しみになってきてる?」


 そんなふうに問うと、中野はふっと不敵に笑って。


「ええ、正直楽しそうだなって思ってるわ。琴葉、きっと喜びそうだし……」


 自分が楽しみなのではなく、琴葉が楽しみそうだから楽しみ、という感じらしい。たしかに琴葉、あれでいてスイカ割りとか喜びそうだな。ただ、喜びが表情とか態度に出ないってだけで。そして、その辺りを見越して判断しているあたり、ひよ姉さん、さすがのシスコンっぷりである。


 そんなことを言ってるうちに、俺たちは最上階に到着。エレベーターを降りると、生徒たちが教室に急いで入っていっているのが見えたが、中野はエレベーター前で立ち止まったままだった。


「もう何年も旅行らしい旅行に連れて行ってあげれてないのよね……」


 そう語る表情にも逡巡の色が見て取れる。なので、俺は後一押ししてみることにする。


「もちろん俺も行くし、あと石神井に香澄、それと本天沼さんも誘う予定だ。人数が多ければ、琴葉も高寺のこと意識しすぎないで済むし、徐々に仲直りできるだろ?」

「一理あるわね」

「あと、もし琴葉の寝起き当番をすれば、高寺も苦手意識がなくなるかなって」

「寝起き当番……」

「高寺にはまだ言ってないんだけど、むしろ言ってないほうがいいかなって」

「たしかに、あの甘えん坊っぷりを見ればかわいくないワケがないかもね」

「高寺、琴葉に対してムキになりがちだけど、所詮、甘えん坊な小学生だってわかったら張り合わなくなるというか」

「なにを言われても、朝の甘々琴葉を思い出せば許せちゃうでしょうね。若宮くんがそうであるように」

「……」

「……」


 数秒の沈黙ののち、中野が口を開く。


「ちょうど、私も少し仕事に余裕が出てきたし、たとえば今週末、1泊2日でとかなら行けそう」

「今週末って急だな」

「あら、どうせ暇なんでしょ?」

「まあ、あなたに比べればそうですけど」


 と、そんなふうに会話が一段落すると。


「じゃあ、決まりでいいな? 問題なければ石神井たちにも声かけとくけど」

「ええ、お願い。琴葉には私から伝えておくわ」


 そう言葉を交わして、俺たちは反対の方向にある、それぞれの教室へと入っていった。

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