148 琴葉との夜1

 その後、3人で夕食を食べた。メニューは夏野菜のカレーにマカロニサラダという組み合わせだ。


 食べ終えると、絵里子と琴葉は人生ゲームをし始めた。「アナログゲームならいいでしょ?」という言い分らしい。たしかにアナログもダメとは中野からは言われていないので、俺は受け入れることにした。


 そして、中野に言われてなかったのと同時に「琴葉が思いの外、楽しんでいる」というのもあった。常に低いテンションかつジトっとした目をしているので、遊びは嫌いなのかと思いつつ、実際はイベント事が好きなのかもしれない。


 そんなふうに絵里子と琴葉の人生ゲームを見守りながら皿洗いを済ませると、テーブルの端に置いた自分のスマホが振動していることに気づく。中野からだった。なんとなくそこで話すのも気が引けたのでベランダに出て、通話ボタンを押す。


「よう、仕事終わったのか?」

「ええ。こちらは問題なしよ」


 涼しげで透き通った声がスマホ越しに聞こえてくる。夏の夜空のような底知れない深みと、蜃気楼のような憂いを帯びた声。日頃は暴言、悪口にもっぱら使われているこの声だが、こうやって改めて聞くと本当にキレイな声だなと感じる。


「さっき会場を出て、今ホテルの部屋に来たところ」

「そうか。一息つけるな」

「ううん、まだ仕事なの。これから打ち上げがあって顔を出す感じ。まあ少しだけど」

「壁から5センチくらい?」

「そうそう、ジャック・ニコルソンのようにすっとね」

「へえ、中野もキューブリックとか観るんだな」

「まあね。なんなら私の日々の美しい言葉遣いは『フルメタル・ジャケット』で学んだってとこあるからね。ハートマン軍曹は心の母よ」

「それでその毒舌が形成されたと」

「ってのは冗談として、アニメ以外のコンテンツに触れることは声優にとっても大事なことなのよ。だから日常生活でも自然と出ちゃうのよね、名シーンのモノマネが」

「なるほどな……あ、壁から5センチじゃなかったか。打ち上げは和食居酒屋、つまり障子に穴を5センチ開けてか」

「そうそう、進撃の巨人の壁の巨人みたいに、障子の向こうからカドカワの人を覗いたりしてね」

「……」

「ちょっと、今ふたつ腹立たしいことがあるのだけど」


 中野の声が怒っている。


「それ聞かなきゃいけない?」

「ひとつはこんなに疲れてるときに若宮くんがどうでもいいボケを仕掛けてきたこと、そしてもうひとつは、せっかく進撃でうまく乗っかったのにウケなかったこと」

「いや、今の進撃はちょっと微妙だったかなって……」

「私はむしろ最善を尽くしたでしょ? 反省すべきはあなたのフリの下手さだよね?」

「……すいません」

「反省したならいいけど」


 深いため息が、電話の向こう側から聞こえる。


 ただのため息なのに、高校生とは思えない色気を感じさせ、思わず耳を起点に背筋がゾクっとしてしまいそうだった。


「私が言う少し顔を出すの少しってのは時間の長さだから」

「ですよね」

「あと進撃は講談社。カドカワじゃないから」

「いや、中野がどこの会社のイベントに出てるかは知らんし」


 そんなふうに会話している最中、向こうからかすかな衣擦れの音が聞こえていた。どうやら着替えながら電話をかけてきているらしい。さっき時計を見たとき19時だったので、今は19時20分くらいか。打ち上げも仕事のうちって大変だな。


「しかし、ホテル着いてすぐ電話か。シスコンだな」

「失礼ね。私だって部屋に入るまで我慢していたわ」

「誰もフロントで電話するとまでは思ってねえよ」

「なお、部屋に入って3秒後には電話していたけどね」

「やっぱり、シスコンなのは間違いないようだな……」


 なかば呆れながらそう述べる。なぜ中野がシスコンを認めないのかよくわからないが、まあ本人なりのジョークなのだろう。


 気づけば衣擦れの音は聞こえなくなっていて着替えが終わったことがわかる。ステージ用の衣装ではなく、朝着ていた私服に着換えたのだろうか。


「ところで若宮くん」


 そして、中野がようやく本題に入る。


「琴葉はもうそちらにいるかしら?」

「ああ。結局あの後、すぐに来たよ」

「ご飯はちゃんと食べた? お菓子ばかり食べてないかしら。あと、YouTubeばかり観たり、ゲームばかりしたり、本屋さんで参考書立ち暗記したりしてないかしら」


 早口に心配っぷりがにじみ出た中野。


 俺は軽く苦笑しながら、背後を振り返る。リビングでは絵里子と琴葉が仲良く人生ゲームで遊んでいた。余談だが、絵里子はリアルの人生がままならないせいか、人生ゲームではめっぽう強い。


「安心しろ。メシも食べたしお菓子は買ってないし、俺の部屋でずっと参考書読んでたからYouTubeも観てない。今は絵里子と楽しそうに……喋ってるよ」

「そうなのね……正直、ちょっとびっくりしてる」

「どうして?」

「絵里子さん、人見知りな印象があったから」

「それはそうだな」

「それに、琴葉って初対面の人と仲良くなるの上手じゃないから」

「それもそうだな」

「……なにがあったの?」

「なにがあったのって」


 心底不思議そうな声色で中野が尋ねる。


 人に妹を任せておいて上手くいけば「なにがあったの?」というのはちょっと納得できない。まるで上手くいくのが想定外だったかのような言い方だ。


 まあ、実を言うと俺も同じ気持ちなのだが。


「俺も聞きたいくらいだよ。最初会話も全然かみ合わなくて、かみ合わなさすぎて、緊張する暇もなかったというか。琴葉が小声すぎて俺が通訳してたし」

「日本語話者同士で通訳ってスゴいわね。それでどうして仲良くなったの?」

「んー、かみ合わなさすぎてそれが逆に良かったというか」

「聞けば聞くほど意味がわからないわね」

「でもなんか、琴葉的に共通点があったのかも。絵里子がずっと引きこもりみたいな生活だったとか話したのもあるんじゃないか」

「ああ……」


 中野が小さく漏らした。


 俺の言葉で、すべてを察したようだ。


 そして、数秒の沈黙ののち。


「……琴葉、学校に行っていないことを話したのね」

「うん」


 スマホを耳にあてながら、俺は思わずうなずく。


「どうして行ってないかはもう聞いた?」

「それはまだ。あんま言いたくなさそうで」

「そう……まあでも時間の問題かもね」


 そこまで述べると、中野が一瞬口をつぐむ。


 自分から話してもいいが、琴葉の意思を尊重させたい……そんな姉としての、いや人としての配慮を感じさせる反応だった。


 そして数秒の沈黙ののち、ひんやりとした、それでいてどこか温もりを感じさせる柔らかい声が俺の耳に届く。


「ごめんなさいね。家族のこと、若宮くんにどんどん話して」

「いや、俺はべつに構わないけど」

「親が事故死してるとか次女が働いてるとか末っ子が不登校とか、要素だけを見ればとっても重いでしょ。両親のことは私のなかではもう終わった話だけど、聞いた人はそうは思わないだろうし」 


 中野の声は進むにつれて小さくなり、尻切れるようにして終わった。


 彼女の話を聞きながら、俺の胸のなかではひとつの感情が形作られつつあった。それは、


『俺たちふたりには、じつは共通するものが多いのではないか』 


 という感情だ。


 俺はもともと、彼女のことを自分とは全然違う人間だと思っていた。子供のときから声優として活躍しているし、口を開けば仕事とお金の話ばかりで、正直一緒にいて困惑することも多かった。


 でも仲良くなってみると彼女は知的でユーモアがあって、声優らしくなかなかのオタクで、心根はむしろ優しいし、高寺と接しているのを見ると意外と受け身だったりする。


 共通点で言えばふたりとも親に問題を抱えているし、家族のなかに引きこもりに近い人がいる。そして、そういう事情が重なったせいで、まだ高校生なのに仕事や家事をかなりこなしているということ。大人にならざるを得ないとは言えないものの、子供のままではいられなかったのは事実だろう。


 そんなことを思っていたせいで、俺が反応に困っていると思ったのだろうか。


「コホン」


 向こう側から小さく空咳が聞こえと、中野が話を再開させる。


「じゃ、そろそろ出るね」

「わかった。また寝る前にLINEするわ」

「うん。ありがとう」


 どこか名残惜しそうな声が響いた数秒後、電話が切れた。


 振り返って部屋のなかを見ると、なにも知らなさそうな無邪気な顔で、琴葉が絵里子とゲームに勤しんでいた。

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