第51話 森の中の洋館 3


 Σ


 俺たちはピアノの音のする場所を探すために寝室を出た。

 セシリアはやっぱり人が住んでいるみたいだから帰りましょうと提案したが、ラキラキは音の正体を確かめに行くと言い張った。

 俺たちがいかないなら一人で行くと。

 結局、いつも通り根負けだ。

 最終的には、セシリアも納得した。


 音は最初は短く小さかったため、空耳かと疑うほどだったが、やがてその短音は旋律を奏ではじめた。

 さすがに、少しばかりぞっとした。

 森の中で打ち棄てられた洋館に鳴り響くピアノの調べ。

 暗闇の静寂に流れる美しい音色が、廃墟に木霊する。

 ……まるっきり怪談話だ。

 

 部屋を出る前、俺たちは“透明傘アンビジブル”を使って姿を消した。

 念のためだ。

 演奏しているのが人間だろうがモンスターだろうが、戦闘に入ることは避けたい。


 どうやらピアノの音は3階の東側から聞こえているようだった。

 近づくにつれ、徐々に音が大きくなっていく。

 セシリアはもちろん、俺も、ブルータスまでも少し緊張気味であった。(ラキラキだけは脇腹をボリボリ掻いていた)


「どうやら、この中から聞こえているようだな」


 廊下の突き当り、一番端にある部屋の前で、俺は言った。

 観音開きの扉は開け放たれており、もうはっきりとピアノの演奏が聞こえる。


 まずは俺が先頭に立ち、中を覗いた。

 するとそこは駄々広い板張りの室内で、奥に大きなグランドピアノが置いてあった。

 誰かが弾いているようだが、ここからではよく見えない。

 俺はみんなに目顔で合図を出し、恐る恐る、中に入っていった。


 ゆっくりと、足音を立てぬように、壁に沿って時計回りにピアノに近づいていく。

 すると徐々に演奏者が見えてきた。


 ――人間だ。


 思わず、息を吞んだ。

 窓から差す月の光の中で演奏していたのは。


 まぎれもなく、人間だった。


 Σ


 腰まで長い白髪。

 皺の刻まれた面相。

 老いた男だ。


 本当に、この森の奥深く、朽ちかけた洋館に、人間が住んでいた。


 俺たちはその場に立ち止まり、演奏がやむのを待った。

 いや、正確に言うと、待ったわけではなかった。

 場違いにも、俺は――俺たちは、場違いにも聞き惚れていた。

 踊るようにしなやかに動く指先が奏でる旋律に、全員が動けなくなった。

 あまりに素晴らしく、身体が動かなくなったのだ。


 モンスターになった俺に涙は出ないが――人間なら、間違いなく涙を流していた。

 それほど素晴らしい演奏であった。


 Σ


「さて。姿を現せ。客人ども」


 演奏が終わると、老人は静かに言った。


 どきりとした。

 そして俺たちは無言で目を合わせた。

 みんな、びっくり顔をしていた。

 当然、俺も。

 どうして――俺たちがいることに気付いた?


「す、すいません! 勝手にお邪魔してしまいました!」


 セシリアが、いきなり透明傘から飛び出し、老人の前に進み出て土下座をした。


「私はセシリア=ルードヴィヒと申します! ここから西にある王都、『ピリア』の街からやって参りました! 怪しいものではありません! ごめんなさい! すぐに出ていきます!」


 セシリアは平伏したまま、そのように捲し立てた。

 なんというか、謝り慣れている。


「無礼者め」

 老人は静かに言った。

「頭を上げろ。お前はもういい。他のものたち、姿を現せ」


 老人は俺たちの方へと目をやった。

 姿を消しているはずなのに――確実に、俺たちを見ていた。


 俺は無言で傘を閉じた。


「ほう」


 老人は一目見て、一言、そう唸った。

 俺たちモンスターの姿を見てどのようなリアクションをとるかと思ったが、彼の反応はそれだけだった。

 驚きもしないし、狼狽もしていない。


「……どうして俺たちがいることが分かった」

 と、俺は言った。

「今、あんたは俺たちの姿は見えなかったはず」


 老人は、眉を寄せた。


「馬鹿者。それだけ氣を垂れ流しておれば、分かるに決まっておる」

「……氣?」

「若輩め。そんなことも知らないのか」


 老人は言い、ゆっくりと立ち上がった。

 背が高く、年寄りとは思えないほどすらりと均整のとれた体型。

 皺は多いが顔も整っており、かつては美男であったろうことが伺える。

 いかにも上品な老紳士という感じ。


 だが、その表情は険しい。

 恐ろしく静かな佇まいで、こちらを射抜くように見ている。

 こうしているだけで圧力を感じる。

 セシリアではないが――無条件に謝ってしまいそうになる。

 これは強者の雰囲気だ。


 外の世界に出たばかりの俺でも、一目でわかった。

 こいつは、只者ではない。


「ジジイ、すげー!」

 突然、ラキラキが叫んだ。

「すげーなおい! 今の曲、なんつーんだ? ジジイが作ったのか!?」


 ラキラキはボンッ、とに戻り、老人に走り寄った。


「そうだ」

 と、老人は言った。

「大昔に、私が作った。今夜は、昔を思い出すには良い月だったのでな」


 老人は窓外に目を移した。

 ラキラキは「……ふーん」と、ちょっと考えてから、「なんだそれ!」とケラケラ笑った。


「いや、マジでなにそれ! ワケ分かんねーな! ワッケわかんねーけど、とにかくすげーよ。もう一回弾いてくれよ!」

「もう一回か」

「うん! つか、あたしが寝るまでずっと弾いててよ! なんかスゲーよく眠れそうだし、超回復しそうだから――ん?」


 興奮し、勢いよく喋っていたラキラキが、急にぴたりと動きを止めた。

 そして顔を歪め、次の瞬間――いきなり、ばちん、と老人を思い切りビンタした。

 俺たちは突然の出来事に、目を丸くした。


「こっの……スケベジジイ!」


 ラキラキは叫んだ。

 老人は小さく「ふむ」と唸り、手をわきわきさせながら一言、こう言った。


「うむ。なかなか良い尻だ」


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