第45話 景色
Σ
俺たちは別邸を出て、前庭に出た。
ここで話すのかと思ったが、セシリアはこっちに来てくださいと言ってそのまま敷地を出た。
彼女は裏庭へと向かい、小さな丘へと登った。
さらに小さな林を抜けると、その向こうには急峻な山があった。
そこからは舗装された道を外れ、足場の悪いけもの道を進んだ。
急勾配の坂を無理やり上り、無造作に生えた雑木林のアーチを潜り抜けた。
セシリアは山裾で「着いてきてください」と言ったきり、無言で歩いた。
一体、どこへ行こうとしているのか。
――セシリアはあんたが思っているような良い子ちゃんじゃないわ
歩きながら、ラキラキの言葉を思い出した。
たしかに、セシリアは彼女なりの闇を抱えていた。
だがそれは、“人間らしさ”の証明でもあった。
だから俺は。
セシリアのことを、ますます気に入った。
「さあ、ここです」
一際大きなブッシュを抜けると、セシリアはそう言って、大きく息を吸った。
突然目の前が拓け、現れた景色に俺は息を吞んだ。
月夜に照らされたピリアの街。
ぽつぽつと灯が燈り、ところどころから細い煙や蒸気が上がっている。
その向こうには広大な大地が広がっており、遥か先には天まで届きそうな山峰の稜線が伺えた。
そして、その合間に見えるのは――あれは海だろうか、それとも巨大な湖だろうか。
月の光を反射して、水面がキラキラと輝いていた。
言葉を失うような絶景。
「私の秘密の場所なんです」
セシリアは彼方に目を細めながら言った。
「昔から、嫌なことがあったりしたら、ここに来るようにしてたんです。ここからの景色を見ていると、ああ、世界は広いなあ、と思って、大きな悩みが小さく思えるんです」
「そうか。そうだな」
俺はセシリアの横に並び、崖のギリギリまで足を進めた。
素晴らしい景色。
何故だか、少し泣きそうになった。
本当だ。
世界は、広い。
「セシリア。俺は、お前と出会えてよかったよ」
目の前に広がる光景を見ながら、俺は言った。
「俺はな、この世界に生まれて、何十年も穴蔵で暮らしていたんだ。あのままだったら、こんな景色は見られなかった。こんないい気分には、なれなかった」
ありがとうな、と言った。
するとセシリアは「ち、違います違います」と言い、ぶんぶんと髪を揺らして首を振った。
「それ、全然違います。お礼を言うのは私の方です。私の方こそ、ルルブロさんに出会えてよかった。あなたに救われました」
「俺は何もしてないよ」
俺は短く首を振った。
「いいえ! 助けていただきました!」
すると、セシリアは語気を強めて言った。
「父とも、きちんとお別れが出来ました。最後に父の言葉が聞けて――私は、人生が変わる予感がしたんです」
俺はにやりと笑った。
俺も、そんな予感がした。
彼女の未来は、きっと明るい。
「そうか」
俺は肩を竦めた。
「そいつはよかったな」
「はい! 良かったです! 本当にありがとうございました!」
セシリアは腰を折って、つむじが見えるほど深く頭を下げた。
もう何度も見た光景。
この女の子は謝ってばかり。
本当に可愛い子だ。
それから。
俺たちの間に沈黙が落ちた。
しばらく、二人で目の前の景色を眺めていた。
涼やかな夜風が心地よい。
いつまでもこうしていたいような、良い時間だった。
「……あの」
やがて、セシリアが小さく口を開いた。
「あの、ルルブロさん」
「なんだ」
「これは仮定の話なんですけど」
「ああ」
「本当に、ありえないし、万が一、億が一、兆が一の話なんですけど! 助けてもらったくせにこんなこというのはとっても失礼だと思うんですけど!」
「だからなんだ」
俺は苦笑しながら先を促した。
よほど言いにくいことらしい。
セシリアはもじもじしながら上目使いをして、たっぷりと躊躇ったあと、
「その……もしも、私がルルブロさんたちの“旅”について行きたいって言ったら、ルルブロさんは、私を連れて行ってくれますか」
はにかむように、俺を見てそう言った。
「なんだそれ」
「だ、駄目ですか」
「駄目じゃないけど……イザベラはどうするんだ」
「だ、だから、仮定の話です」
「はあ。仮の話、ねぇ」
俺は少し上を見て考えた。
満月が、眩しいほどに輝いている。
「そりゃ、セシリアが行きたいって言うんなら、全然かまわねえけど」
「本当ですか!」
セシリアはぱあと目を輝かせた。
「ああ。だが、どうせつまらねえぞ。魔物との旅なんて」
「そんなことないです! 絶対、楽しいです!」
「そうかな」
「そうです!」
セシリアはんふー、と鼻から大きく息を吐いた。
俺は思わずくすりと笑った。
セシリアとラキラキとブルータスと、俺。
人間と妖精と巨人族と、カナブンか。
みょうちくりんなパーティーだが――たしかに悪くねえかもな。
そんな風に考えていると、不意に、頬に柔らかい感触を感じた。
驚いて横を見ると、目の前に、セシリアの顔があった。
「な」
俺は目を見開いて、思わず後ずさった。
「な、何やってんだよ、セシリア」
ドキドキしていた。
よ、予想外過ぎる。
「す、すいません!」
セシリアは再び、ぶん、と頭を下げた。
「前に読んだ絵本に、お礼をするときはほっぺにキスをすると描かれてあったもので」
「な、なんだよ、それ」
俺は思わず自らの頬に肢を当てた。
今の感触は、キスだったのか。
こいつ――俺にキスしたのか。
「ごめんなさい! 嫌でしたよね!」
「い、嫌じゃねえけど――お前、どんな絵本読んでんだよ」
俺はドギマギしながら――みっともないほど狼狽えた。
くそ、情けねぇ。
死ぬほど鼓動が早くなってやがる。
「どんなって……有名なおとぎ話です」
「おとぎ話?」
「はい。お姫様がキスをしたら、王子様の呪いが解けて元の姿に戻るって話で――」
セシリアはそこで言葉を止めた。
俺はどうしたんだと思って彼女を見た。
するとセシリアは目を見開き、わなわなと唇を震わせた。
「ル、ルルブロさん、その姿」
「その姿?」
「え、ええ、その姿は一体――って、あれれ?」
セシリアはそう言った直後、今度は眉根を寄せて、ゴシゴシと両目を擦った。
「なんだよ。一体、どうしたってんだ」
「い、今、一瞬だけ、ルルブロさんの姿が“人間”に見えた気がしたんですけど――」
「は?」
俺は思わず変な声を出した。
一体、何を言い出すんだ。
思わずぺたぺたと自分の顔を触る。
さらに慌てて“袋”から鏡を出して、自分の姿を確認した。
……いつものカナブンの姿が、そこに映っていた。
「み、見間違いでした。光の加減でしょうか」
「んだよ、それは。この至近距離で見間違うなよ」
俺ははあと息を吐いた。
一瞬、期待してしまったじゃないか。
「ご、ごめんなさい。目の錯覚だと思います」
セシリアはそういうと、またぶん、と頭を下げた。
俺はふっと苦笑した。
本当によく謝る。
俺は鏡を袋に戻すと、もう一度、絶景に目を戻した。
月夜の山頂。
女剣士とモンスター。
もう少しだけ、ここでこうして二人きりでいようと思った。
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