第39話 再会


 Σ


「……お、お父さん」


 と、セシリアは唇を震わせた。


「どうして――どうして」


 アレッキーオは穏やかに笑い、ゆっくりと首を振った。


「私にも分からない。だが、おそらくその剣。その聖なる剣から発せられる光を浴びた時、僅かに理性が取り戻せたのだ」

「ル、ルルブロさんの道具が――お父さんを元に戻したの?」

「ルルブロさん、というのか」


 アレッキーオは俺の方を見た。

 そして、丁寧に頭を下げた。


「ありがとう。どなたかは存ぜぬが、悪意に憑りつかれた私を、人間に戻していただいた」

「偶然だよ」


 俺は肩を竦めて、その場に剣を突き刺した。

 それから踵を返し、オーギュストの元へと戻った。

 俺の出番はここまでだ。


 その途中。

 イザベラの“沈黙”を解除しておいた。

 それでも彼女は黙ったまま、呆けたようにセシリアとアレッキーオを見ていた。


「セシリア、ありがとう」

 と、アレッキーオは言った。

「はっきりとしない混濁した意識の中で、お前の声が聞こえたんだ」


「お父さん……お父さん!」


 セシリアはわなわなと体を震わせ、やがて、こらえ切れぬというように、アレッキーオの胸に飛び込んで縋るようにわんわんと大声で泣いた。

 子供のように、泣きじゃくった。

 

「お父さん! 会いたかった! ずっと、ずっと会いたかった」

「私もだよ、セシリア」


 アレッキーオはセシリアの髪を優しく撫でた。

 セシリアはもう肌がふやけてしまうほど、涙と鼻水を垂れ流していた。


「笑うんだ、セシリア。お前は、笑顔が素敵なんだから」


 アレッキーオはセシリアの涙を優しく拭った。

 それから、イザベラの方を見た。


「さあ、イザベラ。お前もこっちにおいで。お前にも謝らないといけない」


 イザベラはよろよろと、見えない力に導かれるようにアレッキーオの方へと歩き出した。

 アレッキーオはイザベラを、セシリアごと抱きかかえた。


 イザベラは表情を変えず、佇立していた。

 ――ただ、両目から涙を流しながら。


「二人とも、本当にすまなかった。誰かを恨んで生きることはさぞ辛かっただろう」


 アレッキーオはさらに強く彼女たちを抱き寄せた。


「でも、もうやめにしよう。これからは、自分たちのために、自分たちだけの幸福のためだけに、それだけを考えなさい。セシリアが立派になった今、この土地に縛られる必要もない。私と同じ過ちを繰り返さぬよう、柔軟な選択肢を持ちなさい。そして、いつも楽しく生きなさい。出来うるだけ、笑って過ごしなさい。人間は、そのために生まれ、生きるのだから」


 アレッキーオは言葉を止め、苦笑しながら後頭部をさすった。


「皮肉なことだ。私は、魔物に成り果て、ようやくそのことに気付いた」


「あなた――」

「……父さん」


 彼女たちはてんでにそう呟き、アレッキーオの胸に顔を埋めた。

 二人はまるで、父親に甘える子供のようだった。


 アレッキーオは惜しむように彼女たちを見つめた。

 そして、夜空を見上げた。


 いつの間にか分厚い雲は消え去り、満天の星空が降り注いでいた。


「さて、そろそろ時間のようだ」

 と、アレッキーオは言った。

「寂しくなったら、夜空を見上げるんだ。私は無数の星となり、いつもお前たちを見ているよ」


 その時。

 アレッキーオの身体が、強い光を放ち始めた。


「お父さん! 待って! まだ話したいことがたくさんあるのに――」


 セシリアは叫んだ。


 だが、光は強くなるばかりだった。

 セシリアは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、お父さん、お父さん、と叫び続けた。


「さよならだ」

 アレッキーオは心の底から満足したような表情で、微笑んだ。

「ありがとう。イザベラ。セシリア。私は不器用で上手に生きられなかったが、それでも私の人生は、お前たちのおかげでとても幸せだったよ」


 神々しい光の残滓を遺して。

 アレッキーオは優しい笑みのまま、光の中へと消えていった。


 夜の森は再び、静けさを取り戻した。

 生ぬるい風がざあと吹いて、硬質な外殻の頬を撫でた。

 俺たちは、抱き合い、慟哭する親子をいつまでも見ていた。


 Σ


「……終わったな」

 やがて、オーギュストが言った。

「予想とはかなり違ったが、ともかくヒュンドルの討伐は為った。これで、この道も元通りに要衝の土地として使用できることになる。命令を出されたラティス公も文句はあるまい」


 オーギュストは一人言ちるように言った。

 心から喜んでいる、という表情ではなかった。


 それから、彼はちょっと笑いながら、俺の方を見た。


「全てはキミのおかげだ、ルルブロ。キミがいたおかげで、ヒュンドルは――いや、アレッキーオ殿の魂は解き放たれた」

「俺は何もしていねえよ」


 俺は“破壊石(ハルマゲドン”を袋に戻しながら言った。

 決して謙遜で言ったわけではない。

 “これ”を使わなくて済んだのは、セシリアのおかげだ。


 結局は、彼女の“愛情”が、アレッキーオの心を繋ぎ止めた。


 さて、と俺はもう一度、“袋”に手を突っ込んだ。

 そして、セシリアの傷を癒すための“強薬草”とそれを煎じるためのすり鉢を取り出した。


「それに、まだ何も解決してねえだろ」

 俺はその場にあぐらをかき、ゴリゴリと薬草を練り始めた。

「差別や排除パージが終わったわけじゃない。これからも彼女たち二人は、この土地で暮らす限り、苦労することになる」


「私がなんとかする」

 オーギュストは断言した。

「私は、もう逃げない。これからはセシリアとイザベラさんのため、そしてルードヴィヒ家のために、命を賭けて戦う。そして――アレッキーオ殿の名誉を回復させる」

「出来るのか?」

「出来る。彼女たちは、私が守る。それが――これまで看過し続けてきた私の、せめてもの償いだ」


 そうか、と俺は口の端を上げた。


 根拠はないが。

 オーギュストの顔を見ていると、上手くいくような気がしていた。


「だが」

 と、俺は言った。

「だが、だとしても、だ。まだ、この件は終わってない。肝心な人間が残っている」


 オーギュストは眉根を寄せた。


「それはどういう意味だい」

「もう一人、一番や厄介な問題児がいるだろう。これから“彼女”の元へ、行って来る」

「彼女?」


 オーギュストはいよいよ首を捻った。


「誰に会いに行くんだ」

「出来ればそいつにも、お前のやろうとしていることを応援してもらう。いや――それが出来なければ、真の解決にはならない」

「分からないよ、ルルブロ。キミは一体、何をやろうと言うんだ」。


 オーギュストは困惑した顔つきで問うた。

 俺はそれには答えず、少しだけ意味深に笑った。


「さあ、出来た。まずは、セシリアの傷の手当てをしてからだ」


 俺は立ち上がり、オーギュストを見た。


「あ……ああ。キミは、本当に何でも持っているんだな」


 オーギュストは感心したようにはあと息を吐いた。

 俺は肩を竦めて、「それだけが取り柄だからな」と言った。


 会話を止めると、森には静けさが蘇り。

 また虫たちが、少し遠慮がちに鳴き始めた。


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