第31話 イザベラ
Σ
「その根拠はなんなのでしょうか。イザベラさんには、別におかしいところなんてなかったですが……」
と、オーギュストは訝しげに言った。
「根拠はないわ。勘よ、勘。乙女の勘ってやつ」
ラキラキはまたぞろ、無意味に威張る。
「か、勘、ですか」
オーギュストは拍子抜けしたようにがくと肩を落とした。
俺はふむ、と顎に手を当てた。
勘、か。
こいつの勘は侮れない。
「申し訳ないが、ラキラキさん。イザベラさんは、あなたの言うような“問題児”ではないですよ」
オーギュストが少し語気を強めた。
「あなたは知らないかもしれないが、彼女はとても苦労をしてきた人だ。流浪の旅を続けて、ようやくこの地に辿り着いた。そして、身を粉にしてセシリアを支えてきたんです」
珍しく不快感を隠そうとしない。
いや、と俺は首を振った。
「いや、そいつはどうかな」
「なんだい、キミまで」
オーギュストは俺にも不愉快そうな目線を向けた。
俺は構わず、「実は」と声を低くした。
「実は、俺も彼女は少しおかしいと思っていたんだ」
「どういうことだい」
「俺が渡した“万能薬”によって、あの人は劇的に回復した。すると、次の日にはもう、ヒュンドル討伐を断るようセシリアに言いつけていた。これってやっぱり少しおかしい。あの二人はこれからもラティス公の元で生きていかなければならない。エリザベートとも上手くやっていく必要がある。それなのに、あんな風にあっさりと決断できるものだろうか」
オーギュストは目を伏せ、考え込んだ。
「イザベラからすると、確かにエリザベートは憎いはずだ。何しろ、イザベラは夫を殺されているんだからな。間接的に仇なわけだ。そんな奴のいうことを聞くのが嫌だというのは得心が入る。しかし翻って、だ。そのために、自分の大事な娘を危険に晒すなんてことを決断するだろうか。いや、例えそのような考えに至るとしても、それは熟慮や懊悩があって然るべきではないのか。そう言う違和感が、俺にはあったん――」
「ちょっと待ってくれ」
そこで、オーギュストが俺を遮った。
「ルルブロ。今、なんて言った」
「オーギュスト。お前の言いたいことは分かる。セシリアの母親が悪い人間だと思いたくないんだろう。しかし」
「そうじゃない」
オーギュストは大きく首を振った。
「イザベラさんの夫、即ち、セシリアの父上が、殺された、だと? 今、そう言ったのか
「ああ。そう言った。セシリアからそう聞いているからな」
オーギュストはごくりと大きく息を吞んだ。
額に汗が滲んでいる。
「なんだ。それがどうかしたのか」
「セシリアの父上は――殺されてなどいない」
「なに?」
俺は思わず上半身を前傾させた。
「ちょっと待て。そりゃあどういうことだ」
「彼女の父上は、ある日突然、姿を消してしまったのだ。行方不明になって、生死は不明。殺されたなんて聞いたことがないが――」
「俺たちは間違いなくそう聞いたぞ。闇討ちにあって、市井の人間たちに殺されたってな」
「ど、どういうことだろうか」
「さてな。ただ、あの
俺が言いかけた時。
ヌオオオ、という、地鳴りのような声が聞こえた。
思わず目をやると、寝ていたはずのブルータスが目を覚まし、起き上がっていた。
「腹が減ったぞオォオォ! 飯を食わせろォおオおおおオオオオ!」
ブルータスは巨体を震わせて地団太を踏んだ。
ずしんずしんと床が揺れる。
こりゃあまずい、と思い、俺は“袋”から杖を取り出した。
杖先に黒曜石の球体が付いたこのステッキ。
こいつは“睡眠魔法”が内包されており、一振りすれば誰でもそいつが使用できる魔法杖だ。
俺はブルータス目がけて思い切り杖を振った。
すると、煌めきを帯びた波動が彼の身体を直撃し、ブルータスはたちまち白目を剥いて、ズウゥウウン、とそのまま後ろに倒れこんだ。
「お、おい、大丈夫なのか」
「心配はいらない。眠らせただけだ。それより……遅いな」
と、俺は上についた出口を見上げた。
「遅い?」
「セシリアとイザベラだよ。二人が食事を取りに行って、もう30分は経つ。いくらなんでも遅い」
「た、確かに」
「今思えば、食料を取りに行くのに、俺の同行を頑なに拒んだのもおかしな話だった。“透明傘”を借りたのも、もしかすると別の意味があったのかもしれない。あれがあれば、人間の目から姿が見えなくなる」
「別の意味、とは」
「さて。それは判らないが、推測は出来る。例えば」
「例えば?」
「例えば姿を消して、市井の人間に復讐を果たすとか」
「ば、馬鹿な!」
オーギュストは大声を出し、立ち上がった。
「そんなことを、セシリアがするはずが無い」
「そうだ。セシリアはしない。そこは俺も同意だ。しかし」
イザベラはどうかな。
俺はそう言って、オーギュストを見た。
「そんな、まさか。イザベラさんに限って――」
「そんなことはしない?」
俺はオーギュストを遮った。
「いや、そうは言い切れまい。彼女は夫と共にこの街に来てから、ずっと迫害され続けてきた。ただ移民だという理由で、虐げられてきたんだ。一時はグエンのおかげで良い暮らしが出来ていたが、その時でさえも、市民は彼女を認めてはいなかった。憎み、嫉み、下に見ていた。元貴族のイザベラにとって、これ以上の屈辱はあるまい。考えてみれば、動機は十分にあるじゃないか」
俺は天井を睨み付けた。
嫌な予感が胸をよぎる。
俺はオーギュストに目を戻し、「とにかく外に出てみよう」と言った。
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