第19話 回復


 Σ


「ルルブロさん! ルルブロさん!」


 朝早く、けたたましいセシリアの声で俺は目を覚ました。


「ルルブロさん! ルルブロさん! ルルブロさん!」


 セシリアは俺に縋りつくようにして、わんわんと泣き続けている。

 俺はむくりと起き上がり、ぼう、とその様子を眺めていた。

 起き抜けであまり頭が上手く回らない。

 昨夜は結局、あまり眠れなかった。

 セシリアは「ルルブロさんルルブロさん」と俺の名前を叫び続けている。


「なによー。うっさいわねー」


 ラキラキが起き上がり、目をこすりながら不満を口にした。

 それでも、セシリアは泣き続ける。


「セシリア。落ち着け」


 俺は彼女の腕を持ち、優しく引き離した。


「一体、どうした。何があった」


 するとセシリアは黒目がちな瞳をくしゃくしゃにしながら、「止まったんです」と言った。


「止まった?」

せきが」

「咳?」

「咳が……母の咳が止まったんです!」


 刹那、何を言っているのか分からなかった。

 だがすぐに、昨夜渡した万能薬が効いたのだと理解した。


「そうか。それはよかった」

「はい! 熱も引いていて、食欲も戻ってるんです! ああ、神様! 神様! ルルブロさんは神様です! ありがとうございます!」


 セシリアは俺に抱き着いた。


「お、おいおい。大げさだ」

「大げさじゃないです! 大げさなんかじゃなくて」


 セシリアは両手で自分の顔を覆った。

 

「母の咳はもう何年も止まってませんでした。顔色も悪くて、立つことも出来なかった。でも、今朝、母さんが、笑顔でおはようって――」


 そこから先は言葉にならなかった。

 セシリアはひーんと、鼻水を流し、涎を垂れながら、情けない顔で泣き続けた。


「神様、だってさ。ルルブロ。あんた、なにしたの」


 ラキラキが聞いてくる。


「やめろよ。俺は大したことはしてない」


 俺は答えた。


 ただ。

 セシリアがこんなにも喜んでくれているのは、悪い気はしなかった。


 Σ


「どうやらドンピシャで効いたらしいな」


 俺はセシリアが用意した朝食を食べながら言った。


「はい。ありがとうございました」

「礼はもういい。もう充分に聞いた」

「すいません。ありがとうございます」

「だから礼はもういらん」

「すいません」


 また目を潤ましている。

 相当、嬉しいらしい。

 料理も一際量が多い。

 ブルータスは嬉しそうにバクバク食べている。


「それで、ヒュンドルの討伐はいつ行く」


 と、俺は言った。


「イザベラさんの病気は治ったが、エリザベートの命令が消えたわけじゃない。奴を倒さない限り、問題は解決しない」

「そーよねー」


 ラキラキがフォークに刺したサラダの野菜をこちらに向けながら言った。


「そこが一番の問題よね。ぶっちゃけ、ルルブロでも絶対勝てるとは限らないし」

「んだよ。前と言ってること違うじゃないか」

「そりゃそうよ。前はあんたをダンジョンから出すために、ノせる必要があったんだから」


 ラキラキは調子の良いことを言いながら、ぱくりとサラダに食いついた。


「……そのことなんですが」


 おずおずと、セシリアが口を開いた。


「母とも話したんですが、魔物“ヒュンドル”の討伐の件は、領主様に断りを入れようかと思っておりまして」

「なんだと?」


 俺は思わず目を開いた。


「どういうことだ、それは」

「すいません。せっかく、助けてくださると言っていたのに」

「理由を教えてくれ」


 俺が言うと、セシリアは唇をきっと結んだ。


「これ以上はご迷惑をおかけしたくないからです」

 と、セシリアは語った。

「ルルブロさんは母の病気を治してくれました。感謝してもしきれない大恩人です。そんなあなたに、これ以上、手を煩わせたくない」


 なるほど、と俺は頷いた。


「別に、俺は構わないぞ」

「ルルブロさんは、ヒュンドルの恐ろしさを知らないからです。いえ、確かにルルブロさんは強い。勝てる可能性は高い。しかし、100%じゃない。もしも、私のせいであなたが命を落としたらと思うと――」


 自分で自分が許せません。


 セシリアは強い口調で言った。


「は。良い子ちゃんねー」


 ラキラキが半眼になって茶々を入れる。


「しかし、ラティス公は――いや、エリザベートは、断りを了承するのか?」

「しないでしょうね。しかし、私も、もう負けません。母が元気になれば、私が彼女に遠慮する必要もありませんから」

「また嫌がらせがエスカレートするかもしれないぞ」

「構いません。ルルブロさんを、命の恩人を、死なせてしまうよりは」


 決意に満ちた瞳だった。

 そうか、と俺は言った。


「それに――実を言うと、そもそもヒュンドルは自分から人を襲う、という話も怪しいんです」

「どういうことだ?」

「ヒュンドルは自分の巣に近づいたものだけを標的にする。そう言う習性があるという話もあるんです」

「しかし、前は道行くものを襲っていると言っていただろう」

「それはエリザベート様がそのように仰っているだけで。今のところ、実際に往来を歩いているだけで襲われた例はないそうなんです」

「それにしても、そいつが危険なことには変わりないんじゃない?」


 ラキラキが口を挟んだ。


「あくまで、今のところ、ってだけなんだから。モンスターなんて気まぐれよ。そこに棲んでいる限り、いつ襲い始めるか」

「確かにそうですね。しかし、それでもやはり、これは人間の問題ですから。私たちが自分たちで解決すべきだと思います」


 ふーん、とラキラキは短く頷いた。


「そういうわけですので、今日の夕方、私は領主様の城に行ってまいります。ですので、次のダンジョンへの案内は、明日以降になるかと思いますが――それでよろしいでしょうか」


 セシリアは俺を見た。

 俺は「ああ、まあ」と曖昧に返事をした。


「セシリアがいいなら、俺たちは構わないが」

「では、そのように準備しておきます。ルルブロさん、ラキラキさん、ブルータスさん。母の事、本当に、ありがとうございました」


 セシリアは最後にもう一度礼を言い、納屋を出て行った。

 俺とラキラキは互いに目を合わせて、どちらともなく首を傾げた。


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