第15話 月夜


 Σ


 イザベラとの話を終えると、俺は一人、母屋を出た。

 セシリアは今晩も母親の看病をすると言って、部屋に残った。

 

 俺はすぐには納屋の寝床には戻らず、前庭で月を見ていた。

 煌々と光る満月は辺りをほんのりと明るく照らしている。

 地面を見ると、影が出来ていた。

 夜の影。

 不思議な光景だった。


 ――温かい、か。


 イザベラの言葉が胸に残っていた。

 彼女は俺を見て、恐怖のひとかけらも見せなかった。

 あの言葉は、きっと嘘じゃない。


 それならば。

 俺にもまだ、人間らしさが残っている、ということだろうか。


 現に、今。

 心の中で、あの母娘のことを助けてやりたい、という感情に見舞われている。

 俺は体温の感じられない自分の腹を撫でながら、思考を巡らせた。


 ――私たちは街の人間から嫌われている、か。


 セシリアもイザベラも、口をそろえてそう言っていた。

 それはいったい、どういう意味なんだろうか。

 彼女にはもっと根深い問題があるような気がした。


 とりあえず。

 ただ「魔物を討伐すれば解決する」というような簡単な話ではなさそうである。


 俺は本宅を仰ぎ見た。

 大体、この家もおかしいのだ。

 朽ちかけているが、とても立派な豪邸だ。

 彼女たちの上品な所作といい、恐らくは粗野な育ちとは思えない。

 きっと、かつては豪商の娘か、もしくは貴族階級の人間だったのではないか。

 それが何故――このように没落してしまったのか。


 と、その時。

 ふと、自分が持っているアイテムのことが頭をよぎった。

 

 俺は万能薬というやくそうを持っている。

 それを煎じて母親に飲ませれば、もしかしたら病が治るかもしれない。


 俺は踵を返した。

 どうして思いつかなかったのか。

 上手くいけば、二人を助けられるかもしれない。


 そうして本宅に向けて歩き出した――その時。

 突然、暗闇から殺気が襲ってきた。


 ガキィン!


 視界の端から襲って来る衝撃をかろうじて避けた。

 後ろに飛びのくと、目の前には、剣を振り下ろした格好の見知らぬ男の姿があった。

 振り下ろされた剣は俺の身体を掠めて、土に突き刺さっている。


「モンスターめ、どこから入り込んだ」


 男が言った。


 闇夜にも光るような金髪の美形の剣士だった。

 剣士はゆっくりと剣を持ち上げると、俺の方に向けて体勢を整えた。


「貴様こそ誰だ。こんなところで何をしている」


 俺は言った。

 すると、剣士は目を大きくして驚いた。


「な、なんと。お前、人間の言葉を話すのか」


 戸惑いか、それとも恐怖か。

 刹那、男の殺気が和らいだ。

 

「俺の質問に答えろ。貴様は誰だ。ここはセシリアの家の庭だ」

「ば、化け物に名乗る名などない。今すぐこの家から出ていけ。そうすれば、命までは取らない」

「貴様にそのような物言いをされる謂れはない」

「ふざけたことを――」

「ふざけているのは貴様の方だ」


 俺は“ポケット”から人喰いソードマンイーターを取り出した。

 こいつは人間に対して、威力の増す武器だ。


 俺はソードを構え、じり、とにじり寄った。


「セシリアは近隣の人間に嫌われていると言っていた。私たちに仲間はいないと。ならば、お前は誰だ。名を名乗れ。でなければ、彼女の友人としてお前を排除する」


 俺は言った。

 セシリアを躊躇いなく“友人”などと言った自分に驚いた。


 剣士は怪訝そうに顔をしかめた。


「な、なんだ、お前は。何故、セシリアのことを知っているんだ」

「言っただろう。友人なんだよ」

「戯言を。貴様はモンスターではないか」

「だからなんだ。見た目にどれほどの価値がある」

「信じられるか。人間とモンスターが仲良くするなどと」

「ならばセシリアに直接聞いてみろ。どちらが招かれざる客か」


 剣士はぐ、と怯んだ。

 俺はソードを構えた。


「さあ、最後の通告だ。名を名乗れ。でなければ――」


 斬る。


 俺は言った。

 満月の光で、刀身がきらりと光る。


「ルルブロさん!?」


 と、その時である。

 母屋の玄関から、セシリアの声が聞こえた。


「誰かいるんですか。何やら剣戟の音がしましたが――」


 セシリアが言った。

 彼女は辺りを伺った後、すぐに俺を視認し、こちらの方へと走り寄った。


 その様子を見て。

 剣士は「ちっ」と舌打ちをすると、闇の中へと消えていった。


 Σ


「ルルブロさん、どうしたんですか」


 セシリアが近寄ってきて、声をかけた。


「今、男がいきなり斬りかかってきたんだ」

「ほ、本当ですか。大丈夫ですか」

「大丈夫だ。セシリアの顔を見たら、逃げてしまった」

「私の顔を?」


 セシリアは刹那、ハッとしたような表情を見せた。


「そ、そうですか。……一体、何者でしょうか」

「心当たりがあるのか」

「あ、ああ、いえ」


 セシリアはどきりとしたように肩を上げた。

 俺は思わず苦笑した。

 嘘を吐けない娘だ。


「よかったら教えてくれないか。俺には、あの男が単なる賊とは思えない。あの男だけじゃない。色々と聞きたいことが出来た」

「き、聞きたいこと?」

「興味が湧いたんだ。あんたら母娘おやこに」


 そのように提案すると、セシリアは口を閉じ、俯いた。

 後ろにひっ詰めていた美しい髪が、はらりと額に垂れる。


「でも……きっと、ルルブロさんの気分を悪くするだけだと思いますが」

「構わない。力を貸すからには、全てを知っておきたい」

「……分かりました」


 セシリアは決意を込めた目で俺を見た。

 その瞳には、満月の欠片が映っていた。


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