クラシック

エリー.ファー

クラシック

 クラシックなんて聞いたことがなかったし、基本的にはスラングのクラシックの意味しか知らなかった。

 別にどうでもいいことだけれど。

 父も母もクラシックには詳しくて、姉と弟はチェロの奏者だった。二人とも才能があるのだろう、とは思う。高校生の頃から既にプロとして仕事をしていたし、姉と弟という抱き合わせで世の中に紹介されることにも慣れているようだと感じられた。

 僕は。

 僕は別にクラシックに興味はなかったけれど。

 なんとなく。

 ラップばかりやっていた。

 別に尊敬するラッパーがいるとか、好きな曲があるとか、身の回りにヒップホップを知っている人がいるとか、そういうことではない。

 ただ、純粋に。

 ラップが好きだった。

 ラップの歌詞をリリックというのだが、そのリリックというやつを書いたことはない。

 いつも、YouTubeからフリーのビートを探してきて、それを流しながらその日、あったことをただ喋り続けていた。別になんということはないのだ。猫をみかけたとか、その猫のしっぽが千切れていていたそうだった、とか。排水溝の匂いがして、後ろを振り向いてみると好きな女の子がいて、少し幻滅したとか。

 本当に。

 本当に。

 そういうことしか言わないし、歌わないし、語らない。

 そういうラップだった。

 それは僕にとっては日記のようなものでもあり、全部、録音してYouTubeにアップしていた。別に見返すこともしないし、誰かに広めようともおもっていない。ただ、動画をアップすると、今、自分のしていた行為がインターネットの中にあるんだなあ、記録として未来永劫残ってしまうんだなあ、という感覚がただただ嬉しかった。

 僕は、僕以外の何かを、僕を使って、僕以外の人に、僕を知ってもらうことに快感を得ていた。

 クラシックの音楽ばかり聞いていたせいか、こういうラップとしての面白さというのは、普通の人よりも丁寧に理解することができていたのだと思う。クラシック的なアプローチを仕掛けてみる、というようなことをしなくとも、なんとなく自分のしているラップが、いわゆる普通に社会で認知されているラップとは距離があることは理解していた。

 どことなくラップというより。

 ポエトリーリーディングである。

 そのことを教えてもらう頃には僕のラップ歴は二年になっていた。

 教えてくれたのは誰だったのだろう。

 顔も知らないし、声も知らないし、何もかも分からない。

 ただ、僕の動画のコメント欄にそうやって誰かが書いてくれた。

 僕は自分のスタイルに名前がついていることを知った。

 別に汚い言葉を使うことはしなかったし、逆に軽蔑しているわけでもなかった。知識として知っていて、それをいつ使うべきかのタイミングを逃し続けている、という方が正しかったのだと思う。

 気が付くと、僕の投稿していたある動画の再生回数が百万をこえた。歌詞がある有名なラッパーと似ていて、しかも僕の方が良かったらしい。

 エモいそうだ。

 よく分からない。

 その有名なラッパーの方は、僕の動画を今まで見ていて幾つか参考にして曲を書いたこともある、と記事か何かで語っていた。

 嬉しくなかったわけでもなく。

 姉と弟のチェロの音が気にならなくなったわけもなく。

 僕は明日もラップをする。

 別に。

 ラップが好きなわけじゃない。

 ヒップホップが好きなわけじゃない。

 人から良い評価をもらうのが嬉しいわけじゃない。

 僕は。

 誰よりも。

 僕のことが好きなのだ。

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