第11話 一年

 それからの一年は穏やかなものだった。勇者アカツキは客人相応の待遇で城に迎えられた。最初何をするでもなく愛馬シノノメと城の周りをぐるりと早駆けしたり、魔王ヨイヤミやその腹心、部下らとボードゲームをしたりしていた勇者アカツキだったが、いつの間にか城を花で飾るのが勇者アカツキの仕事となっていた。


 花には枯れないように魔法がかけられていたが、城や一帯の魔族領には四季があるわけで、それに合わせて花を飾るのが勇者アカツキの仕事だ。力の強い魔族に、繊細な花の扱いは難しく、魔法で花に触れないように扱うのは、とても神経を使う仕事だったらしい。更に勇者アカツキが飾る花はとても美しく、どんな魔族もそれを見れば癒されずにはいられない程だった。


 魔王ヨイヤミの遠乗りにもついていき、御料地にある魔王ヨイヤミの別邸を花で飾ったりした。よく花瓶をひっくり返すタソガレには困っていたが。


 魔王の客人という地位で、何不自由ない時間を過ごしていた勇者アカツキだったが、ひとつだけ禁止されていることがあった。人間界と連絡をとることだ。勇者アカツキはこれに同意した。不安がない訳ではなかったが、すでに親もなく、天涯孤独の身では断る理由はなかった。それに魔王ヨイヤミが裏で約束を反故にし、小さな自国なんかに戦争を仕掛けるとは思えなかったからだ。


 そして明日でちょうど一年になる。



 その前夜、勇者アカツキは城の柱に寄りかかりながら、庭園の花々を見ていた。そこに「にゃあ」とタソガレの声。思わず後ろにのけぞるが、柱に思いっきり後頭部をぶつけてしまった。


 しゃがんで後頭部をさすっていると、「クックックッ……」と声が聴こえてくる。振り返るとやはりというか、魔王ヨイヤミがそこにいた。


「大人気だな」

「何が大人気なものですか。どうにかならないんですかあの猫?」

「タソガレは嫌いな者には近づかん。好かれている証拠だよ」


 小首を傾げる勇者アカツキ。その顔は不満そうだ。魔王ヨイヤミがその横に立ち、勇者アカツキと同じように花咲き乱れる庭園を見遣る。


「タソガレだけじゃない。ここにいる魔族達も皆いつの間にか、キミの優しさに癒され、キミのことが好きになっている。全く敵軍の者を自軍に引き入れるとは、恐ろしい者を城へ招き入れてしまったものだ」

「また、思ってもないことを口にして」


 笑顔で互いを見詰めあう魔王さんと勇者くん。そこに「にゃあ!」とタソガレが割り込み、勇者アカツキの手を引っ掻き、そのまま逃げていく。


「くぅ」と涙を流して痛がる勇者アカツキ。その涙を見て、スッと魔王ヨイヤミの顔が真顔になる。


「涙か、羨ましいな」


 魔王ヨイヤミがボソッとこぼした言葉に、(魔王となると他者の前で泣くこともできないんだなぁ)と思っていると、


「私は生まれてこのかた、涙を流したことがないのだ。いや、流せないと言った方が正しいか」


 意味が分からずまたも小首を傾げる勇者アカツキ。


「勇者くんは私が黒炎を使うところを見たことがあったな?」


 首肯する勇者アカツキ。勇者アカツキが魔王ヨイヤミの居城で生活していた一年間、勇者アカツキの他に、ふたり勇者を名乗る者が魔王ヨイヤミの居城までたどり着いた。そんなふたり、始めは強気なのに勝てぬと分かると王からの手紙を読み、内容に狼狽し逃げ出したふたりを、魔王ヨイヤミは闇夜のように黒い炎で燃やし尽くしていた。


 人間界にとっては悲劇なはずなのに、魔族と、魔王ヨイヤミと長く一緒にいたからだろうか、勇者アカツキからそれはちょっとした喜劇に見えた。


「あの黒炎の源は私の、血であり、涙であり、体液なのだ。だから私が泣くということは、自身を焼く行為であり、辺り一帯を火の海にすることに等しい。泣きたい時に泣けないというのは、なかなか辛いものがあってな、人間共の魔族召喚で一体どれ程の同胞達が消えていったことか。なかには種族ひとつまるごと消えていった者達もいる。それほどに人間共の魔族召喚は酷かった。どれだけ泣き叫びたかったことか……」


 魔王ヨイヤミがチラリと勇者アカツキの方を見ると、泣いている。


「優しいな勇者くんは」


 少しだけ微笑んだ魔王ヨイヤミは、だがすぐに真顔に戻る。


「だが願わくは明日は勇者としてしっかりと決断してくれ」


 そう言って魔王ヨイヤミはその場を去っていった。



 翌日、謁見の間。


 玉座に座る魔王ヨイヤミに、その両側には魔王ヨイヤミの腹心や部下達が侍っている。皆真剣な表情でひとり平伏する人間を見ている。


 その人間、勇者アカツキに魔王ヨイヤミから一輪のアザミの花が返還される。


「さて、今日キミが私に贈りたい花は、そのアザミの花で良いのかな?」

「……はい」


 平伏する勇者アカツキは床を見つめたまま、そう答える。


「そうか。では勇者アカツキよ、そなたの望みを言ってみよ」

「自国の救済を」


 前回と同じやりとりをする魔王と勇者。しかしいくら待っても魔王ヨイヤミからの返答がない。返答が待ちきれず勇者アカツキが魔王ヨイヤミの方を振り向けば、あの時と同じように可哀想な者を見るような目で、勇者アカツキを見詰めている。


「勇者よ、それは出来ない」


 首を横に振り、勇者アカツキの願いを拒否する魔王ヨイヤミ。


「な、何故ですか!? 前回と同じ花だからですか?」


 やはり首を横に振る魔王ヨイヤミ。


「勇者よ、たとえ魔王である私でも、既に滅んだ国を救済することはできない」


 魔王ヨイヤミの言は勇者アカツキを奈落へと突き落とすものだった。

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